第26話 やっと/たったひとりの
中庭を飛び出して、王宮の廊下を走る。
その勢いのまま突き当たりの壁を通り抜けて、〈客間〉の扉に張ってある魔法の術式を乱暴にぶち破った。
ガラガラと音を立てて、扉が粉々に崩れ落ちる。
「やぁ、ソフィア」
殿下はぼろぼろになった扉と私を見比べて、驚きながらも優しく声をかけてくれる。
「どうしたんだい? 扉を壊しちゃ駄目じゃないか」
そう言う間に、もう扉は殿下の魔法で元通りに直っている。
「……」
私はこみ上げる感情をどうしていいか分からなくて、うつむいたまま、歯を食いしばる。
さっき、ルイ様が勘違いされてもいいと言ったとき。
一夫多妻を望んでいるのかもしれないと思ったら、心の底から嫌だ、と思ってしまった。
ルイ様の妻は、私ひとりが良い、だなんて。
いつから、私はこんなに図々しくなってしまったんだろう。
自分が情けなくて、でもやっぱり悲しくて、とめどなく涙が溢れる。
殿下はぎょっとして、私の手を引き、ソファに並んで座らせてくれる。
「ど、どうしたの? 涙でかわいいお顔がぐちゃぐちゃじゃないか。貴族令嬢らしく振る舞うことを大事にしているソフィアらしくもない」
「も、申し訳、ありません……」
貴族令嬢としてあるまじき格好をしていることは、分かっていた。
でもどうしようもないほど感情が押し寄せて、何もできない。
「あぁ、違うよ。責めているわけじゃないんだ。ただ心配で……」
優しく眉を下げる殿下に、私は何も言えずにうつむいてしまう。
「誰かに意地悪された?」
殿下の問いに、首を横に振る。
「嫌みをいわれた?」
涙で呼吸がままならなくて、再び、首を振って否定する。
「何か、悲しいことがあったの?」
悲しい。
悲しいのかな、私……。
あ、やばい、さらに泣きそう。
「……おいで」
声につられたようにパッと顔を上げると、目の前には、殿下の優しい瞳があって。
その優しさに甘えたくなってしまって、広げてくれている両手に身を任せた。
「気が済むまで泣いていいよ。ソフィアと僕しかいないからね」
殿下の優しい声音に、ギリギリで耐えていた最後の砦のような何かが弾けて、私は声を上げて泣いてしまった。
◇◇◇
「落ち着いた?」
抱きしめてくれていた殿下から、そっと身体を離し、こくり、と頷く。
子どものように泣いてしまった。
でも、恥ずかしさよりも脱力感のほうが大きかった。
「いったいどうしたんだい?」
殿下は微笑んで、私のまなじりに残る涙を人差し指ですくった。
「いえ、王子殿下の――」
「お手を煩わせるほどのことではありません、って?」
言おうとしていた言葉を言い当てられて、ギクッとする。
殿下はそこで言葉を切って、はぁ、と小さく息をついた。
そして、私の正面に向き直り、私の両肩を優しくつかむ。
「ソフィア、いいかい?」
眼前に王子の綺麗な顔があって、少したじろいでしまう。
「今はライト王国の王子ではなく、きみを愛しく、大事に想う者のひとりとして、言っている」
きらきらとした瞳に真っ直ぐに見つめられて、その力強さに、目が離せなくなる。
「わ、かりました……」
ほんと、この人はすごいなぁ……。
心からの感謝を込めて、昔呼んでいたように、その名を口にした。
「ありがとう、アルフレッドお兄様」
殿下は私の顔を見つめ、ゆっくりと目を見開いて、それから、嬉しそうに笑った。
「……うん」
殿下――お兄様の笑顔に、私も嬉しくなって、笑顔を返した。
「何があったか話してくれるかい?」
お兄様は、ひとりの家族として心配してくれている。
それは伝わってきたけれど、逆に、家族だからこそ……。
「は、恥ずかしいの……」
お兄様に恋の相談なんて……。
頬がほんのりと赤くなっていくのが分かって、視線を逸らす。
「もしかしなくても、ルイ?」
「!」
お兄様にはお見通しのようで、顔が真っ赤に染まる。
「おっと、僕にもダメージが……」
お兄様が苦しそうに胸を押さえた。
「……? 何でお兄様にダメージが?」
意味が分からなくて、私は首をかしげる。
「ソフィー、やっとお兄様と呼んでくれるようになったね……!」
私の疑問を無視して、お兄様は違うところに飛びついてきた。
感動のあまり、瞳をうるませている。
「……ふ、ふたりのときだけですからね」
大げさなお兄様に照れてしまって、そっぽを向く。
お兄様も、私のことを愛称で呼んでくれていて、すごく懐かしい心地がした。
「あぁ、俺、生きてて良かった……」
天を仰ぐお兄様の頬を、一筋の綺麗な涙が伝っていく。
「ふふ、お兄様は大げさですね」
芝居がかったようなお兄様の様子に、自然と笑みがこぼれた。
「笑った」
「え?」
つぶやくような声に、顔を上げれば、慈しむような笑顔が向けられていた。
「やっと笑ってくれたね、愛しいソフィア」
そう言って微笑むアルフレッドお兄様――アルお兄様のお顔は、誰よりも美しく優しい兄の顔をしていた。
思わず自分の頬に手を伸ばし、反対の手でお兄様の頬に触れた。
「大好きです、アルお兄様」
「――!」
お兄様は一瞬固まってしまったけれど、次の瞬間にはぼぼぼっと上から下まで真っ赤に染まってしまった。
「お、お兄様!?」
「ちょちょちょ、ちょっと待って! まって! かっこ悪いから、あんまり見ないでソフィア!」
お兄様は顔を両手で覆って、私から背けてしまった。
耳まで真っ赤だわ……。
「あ、アルお兄様……?」
どうして赤くなってしまったのか分からなくて、きょとんと首をかしげて、私よりも少し高い位置にあるお兄様の顔に、不安げなまなざしを向ける。
お兄様は私に呼ばれたことで、顔を覆った指の隙間から横目で私を見る。
「ぐっ……」
しかし、すぐに顔を逸らされてしまった。
ええ……?
何なんだ、お兄様は……。
ますます頭の周りにはてなマークを飛ばす私を見て、お兄様がつぶやく。
「恐ろしい子だ……。これで天然だなんて……初めてルーに同情するな……」
「え?」
「ああもう! ソフィーは世界一かわいい俺の妹だ! 大好きだよ! 愛しているよ!」
なんでやけくそ気味なのよ……。
でも、久しぶりに『兄』として振る舞うお兄様に会えた気がして、素直に嬉しかった。
「ふふ、よくわからないけど、私も愛しているよ、世界でたったひとりの、私のかっこいいお兄様」
本心を伝えれば、お兄様は口をぽっかりと開けたまま、私をまじまじと見る。
「あれ、これ、ゆめ……?」
へ……?
「はは、そうか、都合が良すぎると思ったんだよ。大好きなソフィーが、俺のことを愛しているって言ってくれるなんて……。そうか、夢か……。こんな願望ダダ漏れの夢を見るようになるとは、俺も重症だな……」
「お、お兄様?」
え、ええ……?
お兄様は何やらぶつぶつ言っていて、どんなに名前を呼んでもしばらく反応してくれなかった。
◇◇◇
「あああああ、恥ずかしいところを見せてしまったね……」
やっと現実だと分かってくれたらしいお兄様は、顔を覆って深いため息をついた。
「いや、喜んでくださったのなら、私も嬉しい」
それだけ喜んでくれたのだと思えば、不思議と嬉しい気持ちが優しく胸を包んだ。
「ソフィー……」
お兄様は目に涙を溜めている。
「ソフィーは本当にいいこだねぇぇぇ……大好きだよ~……」
へにゃへにゃと私の腰に抱きついてくるお兄様は、王子として振る舞う凜々しいお姿とは打って変わって、とても可愛らしい。
「あらあら、いつものかっこいいお兄様はどこへやら」
クスクス、と笑ってお兄様の頭に軽く触れると、お兄様がいたずらっぽい笑みを向けてきた。
「やっぱり、ソフィーの笑顔はいいな」
お兄様があんまり嬉しそうに笑うものだから。
「も、もう!」
照れてしまって、今度は私が顔を背けてしまった。
お兄様もクスクスと笑って楽しそうだ。
そんなお兄様の様子に、幸せだなあと、かみしめながら。
たったひとりの、こんなにも優しいお兄様を、一生大切にしようと思った。




