日野中野城の戦い④
6月7日
籠城というのは神経戦だ。押し込められているという不安感と不満感の戦いである。実際、上様の城の落とし方は多くが内部への調略で、力攻めで落とした事案は思ったよりも少ない。
中には一年以上持ち堪えた城もある。それは後詰(救援)があるか、若しくはあると思わせることが重要である。希望を如何に持たせるか……それが城主の務めである。
だが、この南近江衆を纏める事は難しい。昔から言われている様に、「南近江侍はすくたれ者」なのだ。
侍には土着の性質があると言われてきた。北近江や越前、濃州の侍は精強。南近江や伊勢の侍はすくたれ(臆病者)。尾州侍はへっぴり、三河侍は屈強。甲斐と坂東武者は別格である。だから越前侍は軍配を一度振れば我先にへと突進するが、我等南近江侍では将が率先して先陣を切らなければ、陣が進まない。
上様の治めた尾州は長い槍が無いと安心して前に進まない程であったという。だからこそ、長い槍や火縄銃が発達したのだとも言える。ココ南近江でも、鉄砲鍛冶が早く発達したのも同様で頷ける話だ。
だが、こと籠城戦ともなれば些か心もとない。和田殿の所有していた和田城を見ても判る通り、本丸が何個も存在し、各自に責任を持たさなければ逃げてしまうのだ。尤も和田城には敵方がどれが本丸か錯乱させるという意図もあるが。
まだ、城に籠って数日ではある。だが、そろそろ皆の気も滅入ってくる時期に入ったと見た方が良い。加えてみるに、我等には後詰も無い。何らかの展望もなければ、そのうち、皆の心が疲弊するであろう……
そんな事を簡単な朝餉もそこそこに耽っていた時、遠くで法螺貝の音がした。陣触れの音である。忽ち、城の方々からも早鐘がジャンジャン鳴り響く。
「町野様より伝令! 明智勢が全軍大手門並びに西出丸へと突入しております!」
「…なんと、力押しで参るか!」
「は、詳しくは櫓までお越しいただきたいとの事」
左近が呼びつけるのだ、よっぽどの事である。手に持つ椀を放りだして櫓へと急いで駆け上る。
「殿、アレを見てくだされ!」と声をかけた、普段は穏やかな町野左近の顔が幽鬼のようだ。
敵陣を見て驚いた。
「死、死兵だ……!」
明智の軍の後詰(この場合、予備)すら投入して、全軍で掛かってくる。そこまでは想像していた。だが、尋常な様子ではないのだ。
馬回り衆を中心とした明智直属兵が後方に陣取り、長柄槍や鉄砲を前方の味方に向けて突き進んでくるのだ。いや、実際に鉄砲を放って味方を撃っている。
後方の退路を断たれた明智の雑兵や陣馬借り、地侍達は梯子を手に、死にたくないと城へ殺到。しゃにむに堀を泳ぎ、土塁を登ろうとしている。
軍略で味方が思うさま動かなかった場合、自ら退路を塞ぎ、進むも地獄、戻るも地獄という状態にする兵法の外道……それが死兵だ。ただしコレを行うと、失敗した場合、味方の離散が激しく、また諸将の信用を一気に失う。明智左馬助め……一気に勝負に出てきたのか。
「奴ら、“墓場”を踏み越えてきます……もう目茶苦茶ですぞ!」
いや、違う……昨日、こちらが油断した夕時に総員を動員して、別の場所に埋めかえたのだ。
「……“死兵”が城内に侵入すれば、略奪凌辱の限りを尽くすぞ! ここが先途と思って撃退するのじゃ!」
そう下知を飛ばし、矢玉を惜しむなと各曲輪へと伝令を走らせる。
敵兵は攻城戦には不向きな槍を棄て、梯子と竹矢来を抱えて、仕寄りもせずにただ突っ込んでくる。正に屍を踏み越え、それどころか屍を堀に埋め渡河の足場にさえしている。
如何に一斉掃射しても引かないので、寧ろこちら方の城兵がビビり始めている。
梯子は堀を越えたりする時に便利なだけではなく、土塁を足掛かりとしても大切な道具である。しかも一度架かってしまうと城から外すのは難しく、攻め手は其処を使えるので、労力がかからないのだ。
流石明智左馬助……丹波攻略で数々の城を落とし、名を挙げただけの事はある。
「伝令、東出丸の横山隊から弾薬の補充を乞うてます!」
「伝令、西出丸の赤座隊より、西の丘を敵兵が梯子を掛け駆け登っているとの事! 救援を願うとの事です!」
次々と危急を伝える伝令兵。ゆっくり考えている暇もなく、反射神経で返していく。
「町野隊で手が空いている者は横山隊まで弾薬を運べ! 赤座隊退路確保のために、二の丸の通用門から佐久間与六郎殿の隊で押し返す様、伝えよ…それと、本丸に近づけるなと、本丸西の福西隊へ伝えよ!」
「儀俄隊より伝令! 第一大手門突破されました!」
何だ…と……大手門は実は前後に二つある。だが、狭い場所に設置されているため、奥の大手門は鎧戸の様に薄い。スグに突破されてしまう……
誰か…誰か。救援に迎える者は居ないだろうか…岡半七…は、未だ年が若いし、賦秀を使う訳にもいかない。町野左近は本丸防衛に不可欠だ。
もう他に誰も居ないのか…?
いや……居るではないか。暇そうにしているのが一人。
ワシだ!
「槍を持て。ワシが出る!」
「と、殿…お待ちくださいませ!」
慌てて裾を引いて上野田主計助が押し留める。
「殿が出て万が一がありましたら、城が落ちます」
「大丈夫だ、息子の賦秀がおる。息子なら上手くやるだろう」
「しかし…殿は平服、小具足すら帯びて無いではないですか!」
「なあに、素肌武者の方が良く動けるものじゃ」
それに……と小声で続ける。
「この戦、明智の彼奴…大義も情すらもかなぐり捨てて攻めてくる。そんな馬鹿共を一喝せねば気が済まん!」
織田家の女房衆など放っておけばよいではないか。織田の家中に手を出して一統を根絶やしにしてなんとする?
我等は禽獣ではない、「人」なのだ。それなのに可惜命を無駄に費やして、くだらぬ戦を続ける愚か者め……物事の道理を分からぬ馬鹿者に一言、言ってやらねば気が済まぬ!
「殿」
「なんじゃ、左近。お主も止めるのか?」
「いえ、殿は若き頃、共にこの地へ逗留した疋田文五郎殿に剣を習った身ではないですか。腕を疑ってはおりませぬ。それよりもあれを御覧じろ!」
一瞬、蒼い三日月を見たのかと思った。しかし今は陽光煌めく朝である。だがソレは…遠目から見ても月と見間違うくらい長大な代物だった。
「念仏丸……!!」
上野田主計助が思わず呻く。
―かつて、已むに已まれぬ事情で人切りをした際、斬られた人物が歩いて「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えた後、真っ二つに割れたという曰くをもつ、3尺を超える大野太刀の名前…それが「念仏丸」である。
そしてそれを持つ剛の者こそ、我が家臣の結解十郎兵衛。今まさに大手門を破って突入してきた明智の死兵共を10人ばかり、紙でも斬るかの様にいとも容易く千々に散らした。
「大殿が出るまでもない、この十郎兵衛にお任せあれ」
…この混戦でも判るほどの大音声で念仏丸をヒラリと一振りキラリと回すと、大手門へ一心不乱を突きをブチかます。
日野城の大手門は人独りが通るのがやっとの狭さである。忽ち5~6人が念仏丸の串刺しになった。
「結解十郎兵衛…推して参る!」




