頑愚殿の最後の戦い①
その日の酒宴は結解十郎兵衛の話でもちきりだった。
「青鉄鱗二枚胴具足に置手拭兜の十郎は、まるで竜神の如く見えたぞ!」
濁り酒をカワラケで飲み干しつつ、ガハハと儀俄忠兵衛が笑った。当の結解十郎兵衛はというと、怒ったように顔を赤らめて酒を飲み干している。褒められ慣れてないので、どんな顔をすれば良いのか分からないのだ。不器用な男である。
ムキムキの背筋を屈め、小さくなった十郎兵衛の背中を叩いて労わる横山喜内は、未だ甲冑を脱いでいない。
「左様じゃ。こちらの方では死兵が来た時、生きた心地がせんかったぞ。今こうして酒が飲めるのも十郎殿のお蔭じゃ!」
喜内は夜襲に備えているのであろう。他にもちらほらと小具足や甲冑を装着したままの姿の、諸将が散見される。
「敵共め、ワシらの事を『ガオウが来た』と言って慄いておったわい!」
赤座隼人が怒鳴るような大声で一際大きく笑う。ガオウとは、蒲生が訛ったモノで、近江の童達はこの名を聞くと震えあがる。それほど蒲生の名は近隣の国から恐れられているのだ。
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昼間、敵がため捨て身の作戦で窮地に陥った大手門は、結解十郎兵衛の奮迅の戦いで押し留められた。
敵兵は城攻めの為に、小回りの利く刀や短槍に持ち替えていたため、狭い虎口である大手口で、縦横無尽に振るわれる十郎兵衛の野太刀に近寄る事が出来ず、立ち止まった所を儀俄・横山の両隊が頭上から矢と銃で集中砲火を喰らわしたのだ。忽ち敵兵の屍が山となり、更に行く手を阻んだ。
この隙をついて、出丸であった横山隊が脱出に成功。迫りくる追手は剣豪・雲林院出羽守が引き受け、見事、殿を果たした。
続いて儀俄隊も脱出を果たし、被害は最小のまま本丸まで退いた……これが今日の戦いの全容である。敵は多大な犠牲を払いながらも、着々と大手門と本丸東側の馬出は陥落した。
続いて西側の出丸も、大きく迂回した敵の別働隊が西の丘を登って攻めて来た為、佐久間与六郎殿が救援に向かうも多勢に無勢、結局、西出丸に居た赤座隼人が本丸に退きつつ駆逐、こちらも被害は無かったものの西の曲輪を失い、本丸が晒された。
だからこの酒宴は実は、負け戦の反省会なのだ。しんみりしても仕方ないので、皆、結解十郎兵衛を肴に憂さを晴らしているだけである。それを分かっているから、普段こういうことに厳しい町野左近も、酒で唇を湿らしながら黙って微笑んでいる。
だが、明智方もそれ以上攻める余力は無かったとみえて、今日はそのまま本陣まで下がった。本日城が落ちなかった事と、死兵として手駒に使われた屈辱と恐怖から、敵兵の多くは霧散してほとんど本陣まで戻っていない様子だ。更に夜になればもっと逃亡者が続出する筈だ。きっと明日以降の押し出し勢は5000に満たない数になっている事であろう。
「皆、今日はよくやってくれた。礼を言おう」
頭を下げると赤座隼人がワシの肩に腕の乗せて寄りかかってきた。
「なあに…さんざ暴れてスッキリさせてもらって、こっちの方が礼を言いたいくらいでさぁ!」
「おい、父上に無礼が過ぎるぞ隼人!」
気色ばんだ賦秀を、まあまあと宥める。
「良いのじゃ息子よ。こうして強固な家臣団が居てこそ、ワシのような凡庸者でも一角の責任を負わせてもらえたのじゃ。お主は少し己を過信しておる。武将あっての蒲生家という事を忘れてはならんよ」
またぼんやりと父・定秀が視界をよぎる。父上、貴方は家臣と一線を画してましたね……
「そうじゃそうじゃ、頼むぜ若様よ?」
更に調子に乗った隼人だが、町野左近が鋭い殺気の籠った視線を向けていることに気付き、途端に行儀良くなる。
「明日、明智はもう一度総力を挙げて攻めて来るであろう。場合によっては本丸を棄て、南の二の丸に下がる事も存念しておくように」
「蒲生殿、未だ秘策でもあるのですか?」
本丸が落ちると聞いて若干弱腰になったのか、佐久間与六郎殿が恐る恐る訊いてきた。
「フフフ……佐久間殿。正にその秘策があります。そのうち炸裂しましょうから、その時までを楽しみにしていて下され」
ニッカリと笑ったワシの顔を覗き込んで、横山喜内がバンザイをしながら叫ぶ。
「わはは、我らが殿は策士じゃからな~。皆の者、明日も勝ち戦の酒宴を開こうぞ!」
「応!」とそれぞれが呼応し、それから談笑に入っていった。
ワシは空気を読んで、そのまま静かに二の丸へと向かう事にした。
秘策など……ない。
「ガオウがくるぞ!」というと泣く子が黙ったというのは、近江の東に伝わる、本当の伝承です。悪鬼の如く恐れられていたそうです。




