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頑愚殿の決断  作者: いのしげ
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日野中野城の戦い③


 日野中野城の本丸は四方を土塁に囲まれた、或る意味単純な構造だ。

 だから敵の様子を探るには物見櫓に登らないといけない。

 出丸に近い、東側にある町野隊が守る櫓に登って見渡すと、夕陽の中で、早くも自炊を始める敵の陣から湯煙が立ち上るのが見えた。

 やれやれ、敵方の総大将は確か明智左馬助秀満であったか。あの敵兵の墓の意図を汲んでくれたようで、なにより。これで上手くすれば、明日も攻めて来ない可能性があるかもしれん。

 そう思って櫓を降りようとすると、二の丸からこちらに手を振って走ってくる者が見えた。

 「殿、一大事でござります!」

 ワシと同様に肩衣かたぎぬの平服なのでスグに分かった。

 普段は柔和な優男の小倉行春殿である。昔嫁いだ、お鍋の方の小倉東家と戦った小倉の本家であり、蒲生家の一門衆扱いである。

 女子供に対する接し方がとても丁寧なので、町方や安土城の女房衆が避難している二の丸傅役もりやくにしていたのだが、こちらまで駆け寄ってくるとは只事ではない。隣に控える町野左近へ「後は頼む」と伝えると、急いで櫓をヨタヨタと降りた。

 「どうした、行春殿」と言い終えないうちに息を切らせた行春殿が口火を切った。

 「賢秀様、大変です! 女房衆が……」

 ここで、息切れた行春殿が一旦呼吸を整える。

 「女房衆が味噌が不味いと言って、食事を拒否しております!」

 「なぬー!」

 安土城から数少ない引き上げ物の中に、徳川家康殿から貰った赤い豆味噌がある。この城の味噌だけでは量が心許ないため、持ってきたのだが……

 「特にあここの方様が『酸っぱいし、塩辛い。それに何じゃ、この赤い色の味噌は!』と激怒でございます」

 ううむ、ワシは三河の赤味噌も悪くないと思ったのだけど、京風の白味噌で慣れた女御にょうごの口には合わないのか……しかし困った。

 京風とまでは行かないにしろ、日野の味噌も糀の配分が多いため白い。しかし、先にも思った通り量は多くないし、このまま女房衆の我儘で振り回され続けたら、この城は中から瓦解してしまう。

 とはいえ一喝して収めようとしても、不満が燻る。なによりワシにそんな度量は無い。

 だからと言って味噌汁を棄てては、今度は城内の規律が歪む……困った。

 そんな困り顔を見かねたのか、行春殿も苦笑しつつ「いっそ、みんな同じ味噌で満足出来れば良いのですがね~」と呟いた。

 背中にピシャンと雷が走った。そうじゃ……日野の白味噌と赤味噌を練り合わせてみよう……!

 「行春殿は二の丸に戻って差し替えを出すといって、宥めてくだされ。ワシは本丸の台所から日野の味噌を少々持って参ります」

 いまいち意味の良く分かっていない行春殿とは反対に駆け出し、本丸の味噌蔵から小振りの壷に白味噌を掬って二の丸へと走る。


 初夏で虫の鳴き声も喧しい二の丸の台所へ到着すると、額からどっと汗が出た。

 信楽院から来ている賄方僧侶と共に、味噌汁へ絶妙な白味噌の量を適宜、投下していく。今日の具は浅葱に茗荷と、オカノリを添えたものだ。

 僧侶と頷き合う。白味噌ではないが、赤味噌の荒々しさを抑え、味が絶妙に交じり合った味噌汁が出来たと思う。

 それを黄色い声が飛び交う部屋へ、手ずから持っていく。他の方々も大小の差はあれど、赤味噌のアクの強さに戸惑っている様子だ。もっとも稲葉殿は酒があれば文句はないらしいし、お養の方は顔が変わっていないので、全然どういう心持なのか分からないが。

 「あここの方様、お待たせしました。替わりの椀をお持ちしましたので、ご賞味あれ」

 「左京太夫殿遅いでおじゃる! 次にかの様な田舎汁を振舞うようでしたら、わらわは共の者を連れて京へ往ぬりまするぞ!」

 プリプリしながら椀の蓋を取ったあここの方が一瞬、不機嫌な顔つきでこちらを射抜いた。思っていた汁の色と違った為であろう。だが、こちらが力強く頷き、促すと渋々ながら口を付けた。

 「おっじゃ!」

 甘味と塩気の塩梅が絶妙な配分となった汁の美味さに、皆の不審そうな表情は綺麗サッパリと払拭された様だ。

 一様に感嘆の声が上がる。

 「皆様、これは先ほどの赤味噌に我々日野の味噌を合わせたモノです。粗野な味と雅な味も混ざり合って一つになれれば、かように何倍も美味しいモノへと変容するのです。お方様方には慣れぬ故不便もありましょうが、ぜひ城方と融合して頂けましたら、この城はもっと強くなります」

 汗だくの男が突然畳に平伏して、高説を述べだしたのだ。安土様方々始め、毒気を抜かれ「左兵衛太夫殿、これからもよしなに頼むぞよ」と言うので精一杯だったようだ。


 「殿。しかし、女房衆の扱いに場慣れしておりますなあ~!」 

 二の丸御殿を退去したワシに、後から駆け寄った行春殿が尊敬の眼差しでこちらを見つめる。

 安土城の二の丸を何年も取り仕切っていたのは、ワシなのだぞ…と言いかけて、あんまりカッコ良くないなと思い直し、手を振りながらフニャリと笑った。


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