日野中野城の戦い②
「父上! 父上は“ふゆ”に何を言ったのです!」
賦秀の甲高い怒声が遠くで聞こえた。“ふゆ”とは、袱紗姫の事である。袱紗では呼びづらいのか、冬生まれの袱紗姫の事を、息子は“ふゆ”と呼んでいる。
美貌のお養の方と上様の間に生まれた子だけあって、尋常でないくらい美しい。だが母譲りなのか、滅多に表情を動かす事が無いので、息子はそのご機嫌取りに苦慮している様だ。
そう言えば、安土から戻ってこの方、未だ一度も袱紗姫に会っていないな……等と、悠長に考えていたら、ワシを見つけた賦秀が半泣きで食って掛かった。
「父上、“ふゆ”に何を吹き込んだのです!」
「い、いや……ワシは袱紗殿には会っておらぬぞ。一体取り乱してどうしたのじゃ?」
「あの“ふゆ”が……箸より重い物を持った事が無い姫が……飯盛りをしているのですぞ!」
普通、一国の姫というものは飯炊きなどしない。下賤な振る舞いとされているからだ。
先程の母親であるお養の方やお鍋の方が弾造りをしているのにも驚いたが、まさか袱紗姫にも影響を及ぼしていたとは…………いや、この仕掛け。糸を引いているのが誰か分かって来たぞ。
ワシが黙って台所に駆けだすのを見て、一拍遅れた息子が、慌てて追いかけだす。
「おきり、おきりは居るか!」
汁物や飯炊きでムアッと湯気が充満した台所に入ると、俵飯を握っているおきりの姿が確認出来た。…だが、そこには袱紗姫と、あろうことか帰蝶様まで居るではないか。
「ふふーふ、あなたのその驚いた顔が見たかったわ」
満面の笑みでこっちを見返す我が妻に、クラクラと目眩がした。
「ば、馬鹿ッ。袱紗姫だけではなく、安土様にまで飯盛りをさせる奴がいるか!」
「ふふふ、良いのですよ左兵衛大夫殿」
やんわりと取り成したのは帰蝶様。
「私からおきりの方様へお願いしたのです。土田御前も仰っていた様に、もはやコレは貴方様と明智の戦いだけではありませぬ。我等、女子の面子の戦でもあります」
「ううう…し、しかし……」と言いかけたワシの口に、握り飯が絶妙な機で放り込まれた。
「義理父、食え」
まだあどけない袱紗殿がポツリとしゃべりながら、続けて息子と上野田主計助にも絶妙の機で飯を口に投げ込んでいる。梅干しに使用する漬け汁がふんだんに塗りたくられて、正にいい塩梅である。
「義理父。戦は男だけではなく、女子の力も添えれば、2倍以上の力が発揮出来るぞ」
物怖じせぬ袱紗殿のその言葉と、怜悧な瞳に上様が乗り移られたのではないかとハッと息を呑む。その時、背後が急に騒がしくなった。
「殿、ズルいですぞ! ワシ等も帰蝶様の握った飯が食いたいわい!」
我先にと、赤座隼人や結解十郎兵衛、儀俄忠兵衛、横山喜内、福西宗長等が押し寄せ、競って飯を食いだした。
「ガハハ、上様でも食った事無いであろう、帰蝶様の握り飯じゃあ! チカラ飯じゃあ!」
米粒を飛ばしながら、儀俄忠兵衛などは涙を流して喜んでいる。
「父上、“ふゆ”の言う通りです。この城はいまだ意気軒高ですぞ、負ける要素が見つかりませぬ!」
先程までワシのせいだと言わんばかりであった賦秀が、ちゃっかり尻車に乗っかっておる。
ワシも冥土の土産に帰蝶様の握り飯が食いたくなって、ソ~ッと手を伸ばすも、おきりが「メッ!」っと手を叩いた。
「殿、そう言えば昨日から坂殿が算術で経理を担当してくれています」
叩かれた手の甲をフーフー冷ましながら喧騒の台所を離れると、主計助が囁いた。
坂殿の実家は商家である。幼い頃から算盤に慣れ親しんでいる筈であろうから、これほど適材適所という言葉が当てはまる例も無いだろう。
「坂殿によりますと、食料は2か月持つのとの事ですが、玉薬が少々心許ないそうです」
「後どれくらい持つ?」
「は、斉射5~6回分くらいかと」
5~6回分だと、2日間も敵の総攻撃を喰らえば終わってしまう。防ぎ弓を増やして節制するしかないな……
そう考えていると、物見櫓から早鐘が鳴った。続いて大音声。
「明智方2万の軍勢が雲霞の如く寄せて来たぞ!」
来たな…ここが正念場である。頬に付いた米粒を舐め取りながら、腹をくくった。




