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あの視線を感じた日から、数日が経った。あれから特に何かが起こることもなく、時間だけが過ぎていく。
私は学園の食堂で、友人のアナと昼食を取っている。
高い天井の下には長いテーブルがいくつも並び、大勢の生徒たちが思い思いに昼食を囲んでいる。あちこちから話し声や笑い声が飛び交い、食器の触れ合う音や椅子を引く音が絶え間なく響いていた。給仕たちが忙しなく料理を運ぶ中、焼きたてのパンや温かな料理の匂いが広い食堂いっぱいに漂っている。
今日のメニューは、シチューとパンのセットだ。私はパンをちぎってシチューにつけながら、向かいに座るアナの話を聞いていた。
アナは肩につくくらいの茶色い髪をカチューシャで後ろに上げ、額をすっきりと出している。くるくるとよく変わる表情も相まって、活発で親しみやすい印象の女の子だ。平民の出身だけれど、成績優秀者に与えられる特待生としてこの学園に通っている。座学も魔法の実技も成績は上位。何をやっても人並みな私とは違って、ちゃんと「優秀」と呼ばれる側の人間だ。
そんなアナとは入学した頃からの付き合いで、気づけば三年目になる。
「それで、先生とは実際どういう関係なの?」
向かいに座るアナが、身を乗り出して聞いてくる。
「どういうって?」
「グレイヴ先生よ、グレイヴ先生! 最近ずーっと研究室に通ってるんでしょ? 結構噂になってるよ」
「ああ」
「ああ、じゃないって。で? 二人って付き合ってるの?」
「付き合ってないよ」
「じゃあ、まさか……」
アナがにやっと笑って、ぐいっと顔を近づけてきた。
「人には言えない、ふしだらな関係だったり?」
「なってない」
「ほんとにー?」
「なってないって」
「じゃあなんで毎日のように研究室に通ってるの?」
「なんでって……」
先生を死なせないため――とは、さすがに言えない。私は少し考えた。毎日研究室に行って、本を読んだり、お茶を飲んだり。この前は薬草もあげた。そう考えると。
「……先生の助手?」
「なんで疑問系なのよ」
「この前、薬草もあげたし」
「薬草あげたら助手になれるの?」
「珍しい薬草だったよ」
「そこじゃないって!」
アナがけらけらと笑う。
「じゃあ普通に、先生と生徒?」
「最初っからそうでしょ!」
「確かに」
「今気づいたの!?」
わかってはいる。ただ、本当の理由を言えないだけだ。
「ま、変な関係じゃないならいいけどさ」
アナはあっさり話を切り上げ、シチューに手を伸ばした。私もまたパンをちぎり、シチューにつけて口へ運ぶ。
そのときだった。
「――痛っ」
突然、右手の人差し指に鋭い痛みが走った。
「ん? どうしたの?」
「……指が」
パンを置いて、手を見る。
指先に細い傷ができていた。じわりと赤い血が滲んでくる。でも、おかしい。私は何もしていない。ただパンを食べていただけだ。これは、私が負った怪我じゃない。だったら。
「先生……!」
私は勢いよく椅子から立ち上がった。
「えっ、ちょ、ナデラ!?」
「ごめん、ちょっと行ってくる!」
「ええ!? 今度はなにー!?」
肩掛け鞄を掴み、食堂を飛び出す。廊下に出て辺りを見渡すと、すぐに見つけた。校舎の壁の向こう。小さな光が、ゆらゆらと浮かんでいる。先生の光だ。ちゃんと揺らめいている。生きている。私はその光を目印に走り出した。方向からして研究棟。きっと研究室だ。ここ数日、感じていた妙な視線が頭をよぎる。もしかして、ついに何かあった?
毒?
刃物?
それとも――。
「先生!」
勢いよく研究室の扉を開ける。けれど。
「…………」
先生は普通に机に座っていた。いつものように大量の書類に囲まれて、いつものように不機嫌そうな顔をしている。
「……なんだ」
「先生、怪我しました!?」
「怪我?」
「指です!」
先生が自分の手を見る。右手の人差し指。そこには、私とまったく同じ細い傷があった。
「紙で切った」
「……紙?」
「紙だ」
私は一気に力が抜けソファに腰をかける。
「…………なぁんだよかった」
「この程度の傷で、わざわざ走ってきたのか」
「当たり前じゃないですか」
先生は呆れたように私を見る。
「……過保護にもほどがある」
「これくらいがちょうどいいんですよ」
「どこがだ」
「先生にはわからなくていいんです」
十六回も失敗したのだ。だったら十七回目くらい、過保護になったっていい。
「今度から紙にも気をつけてくださいね」
「無茶を言うな」
「私も痛いんですから」
「その契約を結んだのは貴様だろう」
「…………」
それはそう。とにかく、先生が無事ならそれでいい。
「じゃあ先生、また放課後に来ますね」
「来なくていい」
「来ます」
「来るな」
先生の言葉を聞き流しながら、研究室を出る。扉を閉めようとしてふと、足元に黒いものが落ちていることに気づいた。
「……ん?」
黒い羽だ。それも、ずいぶん大きい。私の手よりずっと長く、三十センチ近くありそうだった。どこから入ってきたんだろう。窓から風にでも飛ばされてきたのだろうか。何気なく手を伸ばす。
「それに触れるな!」
「え?」
遅かった。指先が羽に触れた瞬間、ぞわりと冷たいものが腕を這い上がる。
「うっ……」
気持ち悪い。強い吐き気と眩暈に襲われ、咄嗟に壁へ手をついた。
「エヴァンス!」
先生が駆け寄ってくる。
「な、に……これ……」
「呪術だ。くそっ……!」
「呪術……?」
それなら知っている。私は床に落ちた黒い羽を掴んだ。
「おい、何をしている! 離せ!」
禁書庫で読んだ古い魔導書。そこに、受けた呪いを術者へ返す魔法が載っていた。頭の中から術式を引っ張り出し、古代語で呪文を唱える。
「――《其は巡り、其は還る。災いの主へ、汝が禍を返さん》」
ぼっ、と手の中の羽が青紫色の炎に包まれた。熱くはない。炎は羽だけを焼き、あっという間に燃やし尽くしていく。最後の一片が消えた瞬間、身体を蝕んでいた気持ち悪さも、すっと消えた。
「……ふう」
「エヴァンス」
顔を上げると先生が、見たこともないほど険しい顔で私を見ていた。
「貴様、今の魔法は……」
「呪い返しです。かけられた呪いを、そのまま術者に返しました。たぶん今ごろ、犯人苦しんでると思いますよ」
「貴様、どこでそんな魔法を――」
「……あれ?」
がくん、と膝から力が抜けた。まずい。思ったより魔力を使ったらしい。これ、結構燃費が悪い。
「エヴァンス!」
身体が傾く。倒れる寸前、先生がものすごい勢いでこちらへ手を伸ばしてくるのが見えた。そこで、私の意識は途切れた




