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「先生、おはようございます」
「…………」
先生はものすごく嫌そうな顔をしていた。
「なんです、その顔」
「朝から貴様を見たからだ」
「ひどい」
いつものように先生の隣を歩く。先生は嫌そうだけれど、追い払うのはもう半分諦めているらしい。廊下を曲がった、そのときだった。
「…………?」
視界の端で、何かが動いた。振り返ったが、誰もいない。ただ、廊下の角に黒いローブの裾が消えたような気がした。
「どうした」
「いえ……」
気のせい?
しばらくそちらを見つめてから、私は先生の後を追った。
それからというもの、先生のそばにいると、誰かの視線を感じることが増えた。廊下を歩いているとき。授業が終わったあと。研究棟へ向かう途中。ふと誰かに見られているような気がして振り返る。けれど、そこには誰もいない。
「…………」
もしかして、先生を殺そうとしている誰かが、そろそろ動き始めたのでは?今までのことを考えれば、十分ありえる。そうとなれば、いつ襲われてもいいように準備しておかなければ。私は小さな肩掛け鞄に、解毒剤、回復薬を詰め込んだ。私自身、回復魔法は使える。
けれど、いざというときに魔力切れを起こして先生を守れなければ意味がない。使えるものは、できるだけ使っていくつもりだ。
ほかにも役に立ちそうなものを片っ端から詰め込んでいくと、鞄は少し重くなった。まあ、これくらいは我慢しよう。毒殺でも、刺殺でも、魔法による襲撃でも。なんでも来い。
今度こそ、全部防いでみせる。
「先生」
「なんだ」
「私が守りますからね」
「……何からだ」
「いろいろです」
先生は呆れたようにため息をついた。先生は何も知らなくていい。私が勝手に守ればいいのだ。もちろん、四六時中そばにいられるわけではない。そんなときは、辺りを見渡して先生の光を探す。
奴隷契約ゆえの特権、私には先生の居場所が分かる壁の向こうでも、階が違っても。先生がいる場所には、小さな光が見える。ゆらゆらと揺れるその光を見つければ、ひとまず安心する。
今日もちゃんといる。ちゃんと生きている。それを確認するのが、いつの間にか私の癖になっていた。
♢♢♢
授業が終わり私はいつものように、先生の研究室へと向かっていた。窓の外は、もう夕暮れに染まり始めている。西日に照らされた校舎の屋根を眺めながら廊下を歩いていると、どこか遠くからカラスの鳴き声が聞こえてきた。
カァ、カァ、と。
「……そういえば」
ふと、以前聞いた噂を思い出した。この学園には、子供くらい大きなカラスがいるらしい。そんな話を、前のループでも誰かがしていた気がする。そのときは、どうせ見間違いか、話に尾ひれがついただけだろうと思って聞き流していた。子供くらい大きなカラスなんて、さすがにいるわけがない。だから確かめようとも思わなかったのだけれど。
「……あの噂、本当だったのかな」
十七回も同じ時間を繰り返しているのに、私は一度も見たことがない。もしいるのなら、一度くらい見てみたい。今度、噂を聞いた場所でも覗いてみようかな。そんなことをぼんやり考えているうちに、先生の研究室へ着いた。
「失礼しまーす」
扉を開けると、先生はいつものように机に向かっていた。こちらをちらりと見ただけで、すぐに手元の書類へ視線を戻す。私もすっかり慣れたもので、そのまま勝手に部屋の中へ入った。
さて。
「どこか使えそうなところは……あ」
本棚の横に、小さな棚がある。使われていないらしく、中は空っぽだった。
ちょうどいい。
私は鞄を床に置くと、持ってきた荷物を一つずつ棚へ詰めていった。紅茶、ココア、砂糖。それから、可愛らしいティーカップとティーポット。あとは読みかけの禁術書と――。
「回復薬と、解毒薬っと」
小瓶を何本か並べる。うん。これでいちいち持ってくる必要もない。
「…………エヴァンス」
「はい?」
「何をしている」
「荷物を置いてます」
「それは見ればわかる。なぜ私の研究室に貴様の私物を置いている」
「毎日持ってくるの、大変なので」
「毎日来るつもりなのか」
「はい」
「即答するな」
「先生も、紅茶とかココアとか、気軽に飲んでいいですよ。あと、この回復薬と解毒薬も。いざというとき使ってください」
棚の端に、小瓶を何本か並べる。赤い液体が回復薬で、青いほうが解毒薬だ。先生はそれを一瞥して、鼻で笑った。
「生徒が作った回復薬など使えるか。信用できん」
「ちゃんと作りましたよ」
「だから信用できんと言っている」
失礼な。
「材料だってちゃんとしたものです。月光草と、白霊花と、あとは竜血苔を少し。回復薬のほうには聖樹の若葉も入れてます」
先生の手が止まった。
「…………待て」
「はい?」
「今、何と言った」
「月光草と白霊花と竜血苔です。あ、聖樹の若葉も」
「聞き間違いではなかったか……。なぜ貴様がそんなものを持っている」
「いろいろありまして」
「いろいろで済ませるな。どれも市場に滅多に出回らん薬草だぞ」
「でも、よく効きますよ」
「そういう問題ではない」
「自分で鑑定もしましたけど、かなり高品質にできてました」
「……鑑定?」
先生は棚の小瓶を一本取ると、光に透かすように眺めた。そして、しばらく黙る。
「……エヴァンス」
「はい?」
「これは王族に献上されてもおかしくない代物だぞ」
「へえ」
「へえ、ではない!」
先生は頭を抱えた。
「なぜそんなものを私の研究室に置く!」
「先生が怪我したときのためですけど。気軽に使ってくださいね♩」
「気軽に使えるか!」
そんなに怒らなくても。先生のために作ったのに。
「ちぇ……。あ、そうだ。薬草が余ってるんですけど、先生いります?」
先生がぴくりと反応して、こちらを見る。
「……いくらだ?」
「えー、お金はいりませんよ」
「そういうわけにはいかない」
「じゃあ――」
私は少し考えて、先ほど荷物を詰めた棚を指さした。
「この棚、私が使ってもいいことにしてください」
「…………」
「薬草と交換です」
「……好きにしろ」
「やった」
こうして、先生の研究室に私専用の棚ができた。あっお菓子持ってくるの忘れた。明日はお菓子も持ってこよう。




