3
「おはようございます、先生!」
「…………」
翌朝。廊下で先生を見つけた私は、元気よく声をかけた。先生は立ち止まり、こちらを見るがものすごく嫌そうな顔をしている。そして私を無視して無言で歩き出した。
「あ、待ってください」
「ついてくるな」
「嫌です」
「なぜだ」
「先生が死ぬと困るので」
ぴたり。先生の足が止まる。
ーーしまった。
「……昨日から気になっていたが」
「授業に遅れますよ、先生」
「エヴァンス」
「今日もいい天気ですね」
「誤魔化すな」
私は先生の横をすり抜けた。危ない危ない。あの話を掘り返されるところだった。とにかく、今日から私は先生のそばを離れないと決めている。
奴隷契約を結んだ以上、先生が傷つけばその痛みの半分は私にもくる。先生が刺されれば、私も痛い。毒を飲めば、たぶん私も苦しい。魔法で吹き飛ばされた日には、考えたくもない。こんな契約を私から結んだとしても痛いのは嫌いだ。ものすごく嫌いだ。
なので先生には、できるだけ無傷でいてもらわなければならない。
幸い、先生の居場所を見失う心配はない。先生の身体の中心には、小さな光が浮かんでいる。火の玉のような、淡い光。実際にそこに何かが浮かんでいるわけではない。奴隷契約を結んだ者にだけ見える、契約相手の位置を示す印のようなもの。
壁の向こうにいても。別の階にいても。遠く離れていても。光だけは、ぼんやりと浮かんで見える。つまり。
「どこにいてもわかりますからね、先生」
「……何の話だ」
「こっちの話です」
ちなみに、これは先生からも同じように見えているはず。先生には私の位置がわかるし、私には先生の位置がわかる。奴隷契約とは、実に便利な魔法である。禁術だけど。
「それで、いつまでついてくるつもりだ」
「しばらくはずっとです」
「帰れ」
「嫌です」
「私はこれから授業だ」
「知ってます。私も先生の授業なので」
「…………」
先生がものすごく嫌そうな顔をした。
ひどい。
生徒が授業を受けに行くだけなのに。まあ、授業が終わってもついていくつもりだけれど。今までの経験上、先生はいつ、どこで、何が原因で死ぬかわからない。だったら一番確実なのは、私がずっとそばにいること。ストーカー?違う、ボディーガードと言って欲しい
毒を飲もうとしたら止める。刺客が来たら倒す。魔法が飛んできたら防ぐ。階段から落ちそうになったら引っ張る。とにかく死にそうになったら、全部止める。
完璧だ。
「エヴァンス」
「はい?」
「なぜ私の研究室までついてくる」
気がつけば、授業はとっくに終わっていた。
「護衛です」
「いらん」
「私はいります」
「なぜ貴様が必要とする」
「だって先生が怪我したら、私まで痛いじゃないですか」
「…………」
「痛いのは嫌なので」
先生はしばらく黙った。それから、眉間を押さえた。
「誰がこんな契約を結んだと思っている」
「私ですね」
「今すぐ解除しろ」
「嫌です」
即答した。先生が深いため息をつく。でも、解除するつもりはない。だって。十六回も失敗したのだ。十七回目くらい、これでいいと思う。
それからというもの、私は毎日のように先生につきまとった。
なぜそこまでするのか。理由は簡単だ。
先生には、魔力がない。
正確には、昔はあったらしい。それも、かなりの魔力を持つ優秀な魔法使いだったとか。けれど、何があったのか、今の先生には魔力がほとんど残っていない。この学園では有名な話だ。だから先生が教えているのも、魔法そのものではなく薬草学だ。薬草の知識や調合なら、魔力がなくても扱える。
つまり何が言いたいのかというと――。
先生は襲われても、魔法で身を守ることができない。そんな人を放っておいたら、またいつ死ぬかわかったものではない。だから、私は先生のそばを離れないことにしたのだ。
当然、そんなことをしていれば噂にもなる。
そもそも学園というところは、噂話が大好きだ。最近では、北棟の屋根に人間の子供ほどもある大きなカラスが止まっていたとか。夜になると、誰もいないはずの廊下から足音が聞こえるとか。学園のどこかには、禁じられた魔導書ばかりを集めた『禁書庫』があるとか。
まあ、最後のひとつは本当だけど。
そして、そんな数ある噂の中に最近新しく加わったものがある。
――ナデラ・エヴァンスは、レヴィス・グレイヴ先生に惚れているらしい。
「…………」
なんですって?
どうしてそうなった。いや、原因はわかっている。
毎日のように先生の後をついて歩き、放課後になれば研究室までついていく。傍から見れば、好きな男を追いかけ回しているようにしか見えないらしい。中には、実はもう付き合っているんじゃないかとか。毎日二人きりで研究室に籠もっているものだから、ふしだらな関係なんじゃないかとか。好き勝手な噂まで流れている。
「…………」
それなら、どこかの人生でそうなった。
ははっ。
心の中で乾いた笑いが漏れる。思い出すな、私。今の先生は何も知らない。私も知らない。何もなかった。そういうことにしておこう。
友人たちからは、とうとう頭がおかしくなったのではないかと本気で心配された。
「あんな不気味な先生のどこがいいの?」
「趣味悪すぎない?」
失礼な。
悪趣味なのは私ではない。
十六回も死んで、私に同じ三ヶ月を繰り返させている先生のほうだ。
まったく。少しは私の身にもなってほしい。




