第二章 邪竜には邪竜の事情があった
――案件No.014(続き) 追加問題:邪竜が「暴れたくて暴れているわけではない」疑惑――
翌日、蓮は単独で邪竜の巣穴に向かった。
なぜ単独かというと、全員が止めたからだ。
「危険です」と小春さん(転送直前に連絡が来た)。
「正気か」と国王。
「やめなさい」と宮下。
それでも行ったのは、交渉の余地があるかどうかだけ確認すればいいと思っていたからだ。確認して「無理」なら帰ればいい。
巣穴は国の東端、珊瑚礁の崖の奥にあった。洞窟の入口に近づくにつれ、水の温度が下がっていく。青みがかった光が届かなくなり、代わりに岩肌の奥に微かな赤みが滲んでいた。低い振動のような音が、足元から伝わってくる。
音なのか、何かの気配なのか判断がつかなかったが、進むのをやめる理由にはならなかった。
蓮は洞窟の入口の前に立って、大声で言った。
「突然失礼します。勇者派遣株式会社の神崎と申します。少しお話ができますか」
しばらく沈黙があった。
それから、岩が軋むような声がした。
『……会社?』
「はい。勇者を派遣している会社です」
『派遣。……知っている。あの役に立たない者たちか』
「役に立たなかった件については申し訳ありません。品質管理が行き届いておらず」
『何をしに来た』
「なぜ暴れているのか聞きに来ました」
また沈黙。
今度は最初より長かった。岩の奥から、何かが動く気配がした。近づいてくるのか、身構えているのかは判断がつかない。
それから少し、声のトーンが変わった。
『……暴れたくて暴れているわけではない』
「そうだと思っていました。よろしければ、詳しく聞かせてもらえますか」
邪竜の名前はゴルムといった。
話を聞くと、事情はこうだった。
五十年前、ゴルムはナゾニア王国と「不可侵条約」を結んでいた。ゴルムが珊瑚礁の奥に留まる代わりに、王国は年に一度、生け贄――今でいう「供物」として大型の魔魚を届けることになっていた。
しかし二十年前に代替わりした国王(今の国王の父)が条約の存在を知らずに供物を止めた。
最初の数年はゴルムも我慢した。しかし空腹が限界を超えた時点で、珊瑚礁から出て食料を求め始めた。それが「暴れている」と解釈された。
「……要するに、お腹が空いていた、ということですか」
『そういうことだ。本意ではない。あの国の人間を傷つけたいわけでもない。ただ食べなければ死ぬ』
「条約の話を、今の国王に直接言えなかったんですか」
『言おうとした。しかし勇者が来た。話し合いの前に攻撃された。それが三回続いた』
「……三人、ですね」
『あの者たちが来るたびに戦う準備をして待っていたが、誰も来ない。農業をしている。歌っている。本を書いている。一体何がしたいのか』
蓮は思わず少し笑いそうになった。邪竜の視点から見ると、あの三人は確かに謎の集団だ。
「それは弊社の管理不足です。大変ご不便をおかけしました」
ゴルムが少し、笑ったように聞こえた。
『……珍しい人間だ。謝る人間はほとんどいない』
「謝るべき時は謝る、これは基本です」
『あなたは怖くないのか』
少し考えた。「怖くないというと嘘になります。ただ、話を聞く前に判断するのは良くないと思っているので」
『ふむ』
「一つ確認させてください。食料の問題が解決すれば、外に出る必要はなくなりますか」
『必要はなくなる。ここが好きだ。静かだし、外は人間が多くて騒がしい』
「わかりました」と蓮は言った。「解決策を考えます。数日ください」
『……わかった。待つ』
洞窟の入口から離れながら、蓮はメモに書き込んだ。「邪竜・ゴルム。契約不履行による飢餓。本人に戦意なし。食料供給ルートの確保で解決可能の可能性あり」。
こういう仕事だ、と改めて思った。問題の表面だけ見ていると、解決策は永遠に出てこない。
夕方、蓮は国王のもとに戻った。
「邪竜と話してきました」
国王が椅子から立ち上がった。「生きてたんですか?!」
「生きています。話し合いができました。問題の原因がわかりました」
条約の件を説明すると、国王は顔面蒼白になった。
「……父上が条約を失念していた、ということか」
「引き継ぎミスです。どこでも起きることです」
「でも二十年間も……」
「ゴルム様はずっと待っていました。まず謝罪と条約の再締結が必要です。供物の再開、または代替の食料調達ルートの確保。それが解決すれば、暴れる理由がなくなります」
国王が深呼吸した。「わかった。しかし我が国の慣習として、正式な交渉には占いの許可が必要だ。明日で頼めるか」
「宮下さんに確認します」
宮下は夜、蓮から話を聞いた後、少し間を置いて言った。
「……邪竜が悪者じゃなかった、というのは」
「そうです」
「それを突き止めたのは、勇者じゃなくてあなたですね」
「たまたまです」
「たまたまじゃないでしょう」と宮下は言った。「前職でも、怒鳴り込んでくる客の裏に本当の問題があるのを、ずっと見てきたんでしょう」
蓮はそれには答えなかった。そういう自覚はなかった。ただ、理由がわからないまま問題を解決しようとするのは気持ちが悪かっただけだ。
「明日の占い、頼めますか」
「もちろん」と宮下は言った。「結果はちゃんと出しますよ。統計的に見ても、明後日の星位は交渉に向いています。本当に」
「……宮下さんの占い、信頼していいんですか」
「三十年の証券マン人生で、星位と市場の動きの相関を独自に研究してきました。有意差は確実にあります」
「文系的な話ですね」
「理系的な話です」と宮下は言った。「占いを馬鹿にしてはいけない。数千年のデータですよ」
言われてみると、反論しにくかった。




