第一章 海底王国の勇者は三人が三様に迷走していた
――案件No.014 派遣先:海底王国ナゾニア 問題:勇者三名の迷走、占い師需要の解明――
海底王国ナゾニアは、想像より普通だった。
深海に巨大な魔法の泡で作られた都市で、建物は珊瑚と石を組み合わせた独自の建築様式をしている。市場には見たことのない魚介類が並び、住民はほぼ人型だったが、うっすらと鱗があったり、髪が水中でもゆっくり揺れていたりした。光の加減は地上とは違う、青みがかった柔らかい明るさで、目が慣れると不思議と落ち着く色だった。
水の中なのに普通に歩けて、普通に呼吸できている。魔法とはよくできたものだと思いながら、蓮は宮下とともに王宮へ向かった。
ナゾニア国王ポーラは、三十代の痩せた男性だった。目の下に濃いクマがあり、どう見ても疲弊しきっていた。謁見の間には疲労の気配が満ちていて、国王本人が発しているものか、この国全体のものかは判断がつかなかった。
「来てくれたか。勇者派遣会社の……」
「神崎です。こちらは本日から弊社の占い師担当、宮下です」
「よろしくお願いします」と宮下が丁寧に頭を下げた。
「うむ」国王がため息をついた。「占い師については後で説明する。まず現状を見てほしい。我が国には今、勇者が三人いる」
「三人同時派遣というのは、かなり異例の規模ですが」
「最初は一人だった。しかし初代が動かないので二人目を足した。それでも解決しないので三人目を呼んだ。今や三人とも、別々の方向に暴走している」
「別々の方向に……」
「見てもらった方が早い」
国王に連れられて回った結果、三人の状況は以下の通りだった。
一人目・坂本ケン(二十九歳):「海底で農業を始めた」
元農学部出身。海底の土壌改良に着手し、現在は「海藻農場」を三区画経営中。農業スキルは本物で収穫量は右肩上がりだったが、本来の目的である「深海の邪竜討伐」には一切手をつけていない。「土が面白すぎて」という理由で。
二人目・白石サキ(二十三歳):「海底アイドルになった」
元地下アイドル。現地の民に「歌う天使」として崇拝されており、毎週ライブを開催している。集客数は国内最大のお祭りを超えた。本人は楽しそうだが邪竜には近づく気配もない。「ファンがいるから帰れない」と言っている。
三人目・鷹野リョウ(三十五歳):「海底で哲学書を書いている」
元編集者。「深海で孤独に過ごす経験から真理を発見した」と称して思想書を執筆中。なぜか現地の貴族層から熱烈な支持を受けており、「ナゾニア哲学協会」が設立されてしまった。邪竜については「真の勇者とは何かを定義してから戦う」と言い続けている。もう四ヶ月になる。
宮下が三人の話を聞きながらメモを取っていた。几帳面な字で、重要な言葉だけを拾い上げる書き方をしている。
「なるほど」と宮下は言った。「農業、アイドル、哲学書。三者三様に居場所を見つけてしまった、ということですね」
「そうなんです」と国王が頭を抱えた。「怠けているわけじゃない。全員、何かで本物の成果を出している。だから強制的に動かしにくくて……」
「本題の占い師についてはなぜ?」と蓮は聞いた。
国王が少し恥ずかしそうに言った。
「……実は我が国では、大きな決断をするときに必ず国の占い師に伺いを立てる慣習がある。邪竜討伐の出陣も、占い師の許可がなければ正式な遠征にならない。国の占い師が先月、高齢で引退してしまって……」
「つまり」蓮は整理した。「占い師がいないと、勇者を正式に出陣させることができない」
「そういうことです。勇者が三人いても、占いの許可が出ない限り、国民が出陣を認めない」
「文化的な制度として、占い師が必要なんですね」
「左様」
蓮は宮下を見た。宮下がうなずいた。「占いはできます。ただ、その前に」と宮下は言った。「三人それぞれと、少し話してみたいですね」
三人への個別面談は、翌日から行われた。
坂本ケンは海藻農場の視察中に会った。膝まで泥(海底の特殊な土)をつけながら、嬉々として成長記録を見せてくれた。
「この品種、地上のコンブとは全然違う成長カーブを描くんです。土の塩分濃度と魔力の関係が面白くて」
記録用紙には細かいグラフが描いてあり、数値の横に気温ならぬ水温のメモが添えられていた。勇者として召喚された人間の仕事ぶりとは到底思えない、農学研究者の顔だった。
「邪竜、怖いんですか」と蓮は直接聞いた。
ケンが少し固まった。「……怖いっていうか。俺が行かなくてもいいんじゃないかと思って。だって農場のほうが役に立ってるし」
「農場は確かに役に立っています。でも邪竜問題は別に存在しています」
「わかってます。でも農場を放棄して行く理由が……」
「放棄しなくていいとしたら?」
「え」
蓮はメモを取りながら、頭の中で解決策の骨格を組み始めた。ケンは「逃げている」のではない。自分が価値を発揮できる場所を、ただ純粋に見つけてしまっただけだ。その場所と邪竜の問題を切り離して考えていることが、止まっている理由なのかもしれない。
白石サキはライブの合間に会った。ステージ衣装のまま、ファンに囲まれながら少し離れた場所に来てくれた。衣装には海底らしい青と銀の装飾が施されていて、地上のものより手が込んでいた。
「帰りたくない気持ち、わかります?」とサキは言った。「日本では売れなかったの。ずっと三十人のライブハウスで。でもここでは五千人が来てくれる」
「それは本物の成果です」
「でしょ?」サキの目が輝いた。「だから帰れない。日本に戻ったら、また誰にも見てもらえない気がして」
「……邪竜については」
「戦えます。スキルはあるし。でも負けたら終わりじゃないですか。今ここにあるものが全部消える気がして」
「負けた後のことを考えている、ということですか」
「勝ったとしても、でも、かな」とサキは少し視線を落とした。「邪竜を倒したら、私の仕事はここで終わる。お役御免になって帰るしかない。それが嫌なんだと思う。だから、踏み込めなくて」
蓮はその言葉を書き留めた。怠慢ではない。未来が怖いのだ、と気づいた。
鷹野リョウは書斎――貴族から借りた広い部屋――で会った。原稿用紙が積み上がっており、部屋の隅には「ナゾニア哲学協会」の旗が立っていた。棚には現地で手に入れたらしい書物が並び、付箋だらけになっていた。
「神崎さん、あなたも考えたことありますか。『勇者』とは何か、と」
「考えたことはないですが、処理したことはあります」
「……なるほど」鷹野がペンを置いた。「現実的な人だ。それは良い。では聞きます。僕に、邪竜を倒す理由はありますか」
「契約書に書いてあります」
「そういう話じゃなくて」
「わかっています」と蓮は言った。「何があったんですか」
鷹野が少し黙った。窓の外を見た。水の中だから空はないが、光が差し込む方向に、なんとなく視線が向く。
「……邪竜と一度、目が合ったんです。洞窟の入口で。あれは、ただ強いだけじゃなかった。何か……理由があって暴れているような目だった。だから倒す前に知りたくて。なぜ暴れているのか。勇者とは何かを定義したいのも、それと繋がっています」
「倒してしまう前に、理解したい」
「そうです」鷹野がこちらを見た。「おかしいですか」
「おかしくないです」と蓮は言った。「でも四ヶ月は長い」
「……それはそうだな」鷹野が苦笑した。
蓮はその言葉を書き留めた。
(これはただの怠慢じゃない)
三人とも、止まっている理由がある。理由がある限り、頭ごなしに動かしても機能しない。それどころか、理由を聞いてみると、三人それぞれの話に何か重なるものがあるような気がした。
その「重なり」の正体が、まだうまくつかめなかった。
夜、蓮は宮下と二人で状況を整理した。
「三人とも、逃げているわけじゃないんですよね」と宮下は言った。
「そうです。別の場所に本気になってしまっている」
「占いで背中を押す、というのが今回の役割になりますかね」
「ただ、それだけじゃ足りない気がしています」と蓮は言った。「三人がバラバラに動いている問題と、邪竜そのものの問題を、同時に解決しないといけない」
「邪竜の方はどうします」
「鷹野さんが言っていた『邪竜が怒っている理由』、これを確かめに行く必要があるかもしれません」
「……それは、あなたが直接行くということですか」
「まず話ができるかどうか、確認するだけです」
宮下が少し間を置いた。否定も肯定もせず、蓮の顔を見ていた。
「……魔王のときも似たようなことがありましたね」と宮下が言った。「問題に見えたものが、実は問題の入口だった、というケース」
「前職でもそういうことは、よくありましたか」と蓮は聞いた。
「ありましたよ。怒鳴り込んでくるお客さんに、何度話を聞いてみたことか。たいがい、怒りの奥に本当の問題があった」
「それと同じかもしれません」
宮下が星座表を広げながら言った。「明後日が吉日です。占い的に。それまでに解決策を作りましょう」
「わかりました」




