プロローグ ―占い師の求人を出したことがない―
朝、出勤してまず確認するのはメールではなく、案件トレイだ。
神崎蓮が入社して半年が経つ。最初の一ヶ月は案件の処理方法を覚えるだけで精一杯だったが、今では十数件をこなし、「勇者派遣業」というよくわからない仕事の輪郭がようやく見えてきた。
勇者は、ほぼ全員、何かやらかす。
やらかし方に個性がある。それだけだ。
前職は一般企業の営業職だった。ノルマがあって、上司がいて、マニュアルがあった。問題が起きれば上長に報告してエスカレーションするのが仕事だった。この会社に来てからは、そういった仕組みが一切機能しない。問題は毎回初めての形をしていて、解決策はその場で考えるしかない。最初はそれが怖かった。今はどうかというと、やはり怖いのだが、少しずつ「考えればなんとかなる」という感覚が育ってきている気がする。
今朝のトレイには書類が四枚。うち三枚は継続中の案件の進捗報告で、残り一枚が新規。
【新規案件 至急】派遣先:海底王国ナゾニア 担当勇者:未定(要選定) 問題:占い師を派遣してほしいという要望あり。理由:勇者はすでに三人いるが、全員が現地で迷走中のため戦力として機能していない。なお国王が「占い師でなければ魔王と戦わせる気はない」と言っている。
「……昨日も読んだ」
「読んだよね」と室田社長がコーヒーカップを持ちながら言った。「でも解決してないよね」
「占い師の登録者がいないので」
「うん」
「弊社に占い師の採用要件も存在しないので」
「うん」
「今日から作ります」
「頑張って」と社長は言って、自分のデスクに戻った。
蓮は採用要件の草案を開いた。「占い師 採用要件(案)」というファイル名のドキュメントが、昨夜の時点では項目ゼロのまま保存されている。
まず「占い師とは何か」から考える必要があった。
何を判断する人なのか。スキルの定義は何か。資格があるのか。異世界での実績は求めるか求めないか。求めないとしたら、何を代わりに見るのか。
ゼロから考えていると、一時間経ってもまだ項目が二つしか埋まらなかった。
こういう仕事だ、と蓮は思った。前職ではあり得なかった。マニュアルのない問題を、マニュアルから作る羽目になる仕事。
嫌いじゃない。
その日の昼過ぎ、小春さんが「占い師、一人見つかりました」と言ってきた。
「どこで」
「なろう……じゃなくて、その、知人の紹介で」
小春さんの「なろう」は聞かなかったことにする。それはいつものことだ。
「どんな方ですか」
「えーと……」小春さんが手元のメモを見た。「六十二歳。元証券会社の部長。定年後に占いを独学で習得。スピリチュアル系ではなく統計学ベースの占星術が専門らしくて。趣味は家庭菜園と麻雀。異世界経験はゼロ」
蓮は少し考えた。
「お呼びしてください」
午後二時に現れたのは、白髪まじりの温和そうな男性だった。名前は宮下信二。背筋がまっすぐで、スーツの着こなしが自然に様になっていた。年齢は六十二と聞いていたが、話す前から「この人は話が聞けるタイプだ」という印象が先に来る。
「神崎と申します。本日はお時間いただきありがとうございます」
「こちらこそ。変な求人だと思ったけど、面白そうでね」と宮下は言った。「異世界の占い師、ですか」
「はい。海底王国からのご依頼で」
「海底」
「はい」
「潜水は必要ですか」
「転送魔法で移動するので、水着等は不要です。一応、水中でも息ができる魔法をかけてから行きます」
「それは助かる」と宮下は言って、少し考えた。「占いで何を解決するんですか」
「それが、まだわかっていません。現地で確認が必要です」
「わからないのに行くんですか」
「わからないので行きます」と蓮は言った。「なお現地には迷走している勇者が三人います」
「迷走、というのは」
「農業をしている者と、アイドルになった者と、哲学書を書いている者がいます」
宮下がしばらくこちらを見た。表情は崩れなかったが、目の奥に「続きを聞かせてください」という光が浮かんでいた。
「詳細は現地で。とりあえず一緒に来てもらえますか」
宮下は一拍置いて、それからにっこり笑った。笑い方が穏やかで、自然だった。
「定年してから毎日やることなくて困ってたんだよ。いいよ、行こう」
その翌日、蓮と宮下は海底へ向かった。




