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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第五章

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千差万別・変幻自在 2/2

 メーベルは息を切らしながら、スパリゾート・もぐりあんズ内の大ホールへとやってきた。


 数日前、ここで新人歓迎会がおこなわれたとき、メーベルは青柳を含めたほかの新人教徒と一緒にステージに立った。


 しかしいま、そこに立っているのはたった一人だけ。おそらく校長だろう。ホール内が薄暗いため、顔まではよく見えない。メーベルはすでに溢れかえっている信者の人並みをかき分けながら、ステージへと近づいていく。


 ふいに、ステージの端にスポットライトが当てられた。暗闇に浮かぶように現れたのは、巨漢の教団幹部、鮫戸さめどだ。


「みなさァ~ん! お集まりいただき、ありがとうございま~す! さっそくですが、本日の主役をご紹介しましょう! かつて、我らの教団を潰した因縁の相手ェ! 堂島どうじま花男はなおォ~ッ!」


 パッと、まばゆい光がステージの中心を照らしだす。そこに立っていたのは、グレーのスーツを着た、ウルフヘアーの白人男性だった。


(誰!?)


 予想外の展開に、メーベルは目を見開く。そしてまぶたをこすり、もう一度ステージの上を見たが、やはりそこにいるのは、知らない人物だ。


 謎の男性は、妙なイントネーションで、マイク越しに言った。


「ドウジマって、誰のことですカァ~? 私の名前は、今坂いまさかローレライでぇ~ス!」


(今坂ローレライ!? 誰!?)


 驚きを隠せないメーベルとは対照的に、鮫戸は想定内だと言わんばかりの不敵な笑みを見せた。


「変装しても無駄だ。お前が堂島さんだということは、とっくにわかってるんだよ!」


「えェ? まったく意味がわかりませ~ん。私はローレラァイ……ライライラライラァ~イ」


 今坂ローレライはとぼけた表情で、頭を左右に揺らしつつ、両手を小刻みに交差させるという、奇妙な動きを披露した。完全に不審人物だ。


 突如、大ホールの端の方がざわめきだす。それはやがて悲鳴にも似た歓声に変わり、あっという間に会場全体へ伝播していった。


「キャアアアアアア! 天児あまごさぁ~ん! 」


「天児さぁ~ん! 」


「うおおおおおおおッ! 天児さァ~ん!」


 喝采に包まれながら、一人の男がステージへ上がっていき、鮫戸の隣に立つ。そしてスポットライトが彼を照らした瞬間、歓声はいよいよ地響きに近いものとなった。


 赤雲の土竜の会、代表・天児瑛路(えいじ)


 メーベルが彼を直接見たのは、これが初めてだった。


 どこを見ているのかわからない、生気のない真っ黒な瞳。それに反してまぶたは力強く見開かれており、目力があるのかないのかわからないアンバランスさが、どことなく不気味だ。土竜への信仰を表現しているのか、土色のローブを身にまとっている。照明のせいか、顔色はやたらと青白く見えた。


 天児がマイクを片手に、今坂ローレライに語りかける。


「堂島さん。変装しても無駄です。本気で隠し通せるとお思いですか? たくさんの観衆が見ているのです。よしましょうよ、こんな無粋なやり取りは」


「な~にを言ってるんですかラァ~イ! 私はラライライライ、ローレラァ~イ♪」


「こんにちは!」


 唐突に、天児が挨拶をした。すると、今坂ローレライは0.5秒で、天児の六倍の声量でこう言い返した。


「こんにちわァァァアアアアォッ!!!」


 ニヤリと、天児が口元を歪める。


「やはりあなたは堂島さんだ。こんなに急な挨拶に、きちんと挨拶で返せる人間など、あなた以外に存在しない……」


「たぶん結構いるだろ!」


「あくまで否定なさいますか。よろしい。では、あなたが堂島さんじゃないと言うのなら、私の挨拶、無視できますよね?」


「無視……ですカァ? ラァ~イ……」


「ええ、そうです。堂島さんというお人は、挨拶を無視しようとしても、我慢できずに挨拶を返してしまう、そんなお人です。逆にあなたが堂島さんじゃないのなら、無視するのは簡単ですよね? ただ無言でいればいいだけなのですから」


「お、おォ~ウ……」


「これから私は、あなたに挨拶をします。あなたはそれを、無視してください。そうすれば私はあなたを今坂ローレライさんだと認め、非礼を詫びましょう。そしてもう二度と詮索はいたしません。簡単な話でしょう?」


「オ、オーケェイ……それで疑いが晴れるなら、やりましょウ。ラァーイ……」


「では、さっそく始めましょうか」


 天児は不敵な笑みを浮かべ、再び口を開く。


「こんにちは」


「…………」


「こんにちは」


「…………」


「こんにちは」


「…………くっ」


「こ ん に ち は」


「…………くぅう……」


「こ ん に ち は」


「…………くっ……ううっ!」


「こ ん に ち は」


「…………こ、こん……」


「こ ん に ち は」


「こん……にち……は……」


「ほうら、屈した。やはりあなたは堂島さんだ」


(私はなにを見せられてるんですか?)


 大の大人二人が繰り広げる奇天烈きてれつで風変わりなやり取りを見ているうちに、メーベルは一時的に、緊張感や危機感というものがすっ飛んでいってしまった。


 なにこれ? これ、なに?


 今坂ローレライは悔しげに地団太じだんだを踏むと、感情を爆発させるように声を荒らげた。


「チクショーッ!!!! どうしてバレた!? 変装が得意な玉ノ緒さんに、特殊メイクまでしてもらったのにッ! 演技だって完璧だったはずだ! クソォオオオオオ!」


 彼は叫びながら、自身の頬の肉を掴み、勢いよく引きちぎる。そうして破けた皮膚の下から出てきたのは、白髪交じりの老年の男の顔だった。


 やはり、と言うべきか。彼は今坂ローレライなどではなく、特殊メイクで変装した校長だったのだ。


「堂島花男さん……改めてようこそ! 我らが楽園、もぐり~ランドへ!」


 天児が歌うように言うと、呼応するように会場が沸いた。そして照明が点き、薄暗かったホール全体に、華やかな光が行き渡る。


 観衆のボルテージが上がっていく。しかしそれと反比例して、校長は徐々に落ち着きを取り戻しているようだった。先ほど肩で息をしていた彼も、やがて歓声が鎮まる頃には、表情から余計な力が抜けていた。


「まあ、いい。バレてしまったからには仕方ない。むしろ変装して忍び込むなどという、まだるっこいことをしなくてよくなったわけだ。わかりやすいではないか。さあ、天児よ。ここに囚われた我が校の生徒を、返してもらうぞ」


「ふっ。囚われた、だなんて。まるでここが地獄みたいな言いぐさですね。しかしここは楽園なのですよ。このもぐり~ランドで生きることこそが、幸福になるための最大の――ぐッ! ううっ!」


 話している途中で、天児が口元を押さえ、苦しそうに倒れ込んだ。誰かがなにをしたわけでもないのに。


 ホールから悲鳴が上がり、鮫戸が慌てて天児に駆け寄っていく。


「どうした……具合が悪いのか?」


 校長が戸惑いを見せつつ問いかけると、天児は血の気が引いた顔に、不穏な笑みを滲ませた。


「いえ……私のような普通の人間が、土竜モグラさまの力を扱うのは、少々、荷が勝ちすぎていたようでしてね……身体が……持たないんですよ……。心配はいりません……定期的に、こうなるんです……。しかし私ごときでは、土竜さまの目の役割は、いずれ務まらなくなるでしょう……。だから、土竜さまの力を授かるのは、やはりあなたこそが相応しい……!」


「私が? そう言えば以前、路地裏でも似たようなことを言っていたな」


「あのときとはまた状況が違いますがね……。しかし、大枠では同じことです。私はあなたこそが、土竜さまの目となるに足る人物だと思っているのですよ」


「理解できん。どうして私なのだ。私はお前たちにとって、かつて教団を潰した敵ではないのか?」


「ええ、敵です。しかしあなたが一度教団を潰したからこそ、いまの我々があるのです。あなたはこの教団の敵でありながら、最大の功労者でもあるのですよ……。まあ、お話はあとでゆっくりしましょう……。鮫戸! 堂島さんを捕らえなさい!」


 鮫戸が天児の側から離れ、校長の前に立ちはだかる。


「大人しく捕まるとでも?」


 校長がファイティングポーズを取ると、鮫戸は心底嬉しそうに頬を緩ませた。


「おっとぉ。抵抗するっていうんなら、多少手荒なことをしたって、しょうがないよなあ? 堂島さんよぉ」


「よせ。きみでは私に勝てない。数か月前、きみはすでに私に負けている」


「もう昔のことだ。……感謝してるぜ、こうしてリベンジの機会をくれるなんてなぁ!」


 鮫戸が好戦的な笑みを見せつつ、拳を構える。


 対峙する二人。鮫戸は身長二メートルを超えているであろう巨漢だ。校長とは三十センチ近くも身長差がある。純粋な力比べになれば、鮫戸に分があることは明らかだ。


 しかし、機動力はこちらが上ですよ――そう主張するかのごとく、先に動きだしたのは校長のほうだった。


「こんにちはァ!」


 放たれる正拳突き。


 これが挨拶拳。メーベルも噂には聞いていたが、実際に見るのは初めてだ。自分の通う学校の校長が、挨拶をしながら機敏に殴りかかるという姿は、まさにシュールの一言。


 とは言え、その動きのキレはふざけている人間のそれではない。繰り出された拳は、まるで空を切る弾丸のようだ。


 だが鮫戸は、その鋭い拳を完璧に受け止めてみせた。それも片手で。


「むっ!? ならば、これならどうだ! こんにちは! こんにちは! こんにちはァ!」


 一撃が駄目なら、連撃。


 しかし次々と放たれる拳のすべてを、鮫戸は涼しい顔でさばききってしまった。得意げなその態度は、余裕すら感じさせる。


「堂島さん。この数か月間、俺がなにもしてないとでも思ったか?」


「なんだと?」


「俺はあなたに負けたあの日から、何度も何度も、脳内であなたの拳を反芻はんすうし、トレーニングを重ねてきた。悪いがもう、挨拶拳は見切っている!」


「そうか、きみもまた、日々鍛練を重ねていた……ということか」


「次は俺の番だ! シャークパンチ!」


「くっ! こんにちガード!」


 技名を叫びながら互いに攻撃を繰り出すという、男子の休み時間みたいな雰囲気になっているが、二人はいい年をしたおじさんであり、そして彼らの動きは、やはり冗談のそれではない。


 鮫戸の巨体から放たれる一撃は相当重いのだろう。校長は両腕をクロスしてガードをしたが、とても衝撃を抑えきれているようには見えなかった。


「いいパンチだ。だが私も負けてはいられない。いくぞ、こんちはァ!」


 パァン! と、校長の拳が、鮫戸の顔を撃ち抜いた。


 鮫戸は足をふらつかせながらも、かろうじて踏みとどまる。その両目には、驚愕の色が浮かんでいた。なにが起こったのかわからないとでも言いたげだ。


 校長は攻撃の手を緩めない。


「こんちは! こんちは! こんちはァ!」


 パンパンパンと、拳が三連続でガードをすり抜け、鮫戸を襲った。先ほどまで完璧に防がれていたはずの校長の打撃が、面白いほど通用している。


「ぐっ! な、なぜだ! なぜ、防御できない! 挨拶拳は完全に見切ったはずなのに……なにかがおかしい!」


 鮫戸が取り乱したように叫ぶと、身体を休めながら傍観していた天児が言った。


「文字数です! 文字数に気をつけなさい!」


 鮫戸が息を飲んだ。なにかに気づいたようだった。


「そうか、文字数……文字数か! 『こんにちは』は五文字。対して『こんちは』は四文字! 一文字分少ないことで、攻撃のタイミングがずれた! だから俺の防御が間に合わなかったのか! なるほど、堂島さん、やるじゃねえか! だがカラクリさえわかればなんでもねえ! もうそんな手は通じねえぜ!」


「ちわス!!!!」


 校長のパンチが、もろに鮫戸のボディに入る。


「ガハッ!? バ、バカな……さらに一文字……速くなっただと!?」


「ちわァ!!!!!!!!」


「グワァッ! さらに……一文字速い……!」


 こんにちは→五文字

 こんちは→→四文字

 ちわス→→→三文字

 ちわ→→→→二文字


 つまり、文字数が少なければ少ないほど、攻撃が速くなり、鮫戸の防御が追いつかないという理解でいいのだろうか。メーベルにはよくわからない。わかる人がいたら教えてほしい。


 ただ、唯一確実に言えることは、校長の連打を喰らい、とうとう鮫戸が膝をついたということだ。その隙を、堂島花男は見逃さない。


「うおおおおおおおおお! こんちは! こんちは! こんちは! こんちは!  こんにちは! こんにちは! こんにちは! チッス、チィッス、あざァーッス! ウィッス、ウィ~ッス! ウィッスッスゥ! ここここんちは、こんちは、ここここんちは! こんにちこんにち……こんッッッチャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア~ッス! ハウディ!!!!!!」


 校長が一気に攻勢をかける。超絶怒涛の、爆速ラッシュ。そのあまりにアグレッシブな連打を受け、鮫戸が少し宙に浮いている時間さえあった。


 一見すれば迫力のあるキメのシーンのような雰囲気があるが、実際のところは、還暦前後のおじさんが、挨拶をしながらためらいなく暴力を振るいまくるという、恐怖映像であった。彼は挨拶という人類の礼節文化が生んだ、現代の鬼なのかもしれない。


 無数の拳を受け、鮫戸は完全にダウンした。立ち上がる余力はもう、残っていないのだろう。


 地に這いつくばる彼のもとに、校長がゆっくりと歩み寄る。そしておもむろに語りだした。


「きみの失敗は、挨拶が【こんにちは】の一パターンしかないと思い込み、その対策しかしていなかったことだ。だが、人によっては【ちわ~ッス】や【こんちゃーす】と言ったりもするだろう。【ウィッス】や【チィッス】、せっかちな人は【ッス】としか言わないかもしれない。また、そもそも挨拶は【こんにちは】だけではない。【おはよう】から【おやすみ】まで、多岐にわたる。海外に目を向ければ【ハロー】、【ナマステ】、【アッサラーム・アライクム】……挨拶のパターンは無限にある。挨拶とはすなわち、千差万別・変幻自在なのだよ」


 穏やかな声で諭すように語るその姿は、まさに教育者。先ほどまで他人をタコ殴りにしていた人物とは思えない落ち着きっぷりで、バイオレンスの臭いは微塵もない。


 しかし、いまさら教育者(づら)をしたところで、なんかもういろいろと遅いのではないかと思うメーベルだった。

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