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記号たちは明日へ進む  作者: 八番出口
第五章

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逃亡戦 1/?

 鮫戸が倒れ込むのと入れ替わるように、天児が静かに立ち上がる。発作が治まったのだろう。


「鮫戸、こだわりは捨てなさい。堂島さんに勝てないのなら、土竜モグラさまから授かった力を使うのです」


「仕方がない……か。本当は自分の力だけでリベンジしたかったんだがな」


 鮫戸は這いつくばった格好のまま、悔しげにそう呻き、ゆっくりと身体を起こす。


 そのとき、メーベルはふいに、ステージ上の彼と目が合った。


「おお……【歩く教典ウォーキング・バイブル】か。後輩にこんな無様な姿を見せてちゃあ、情けねえよな」


 鮫戸は自身を奮い立たせるように呟いたが、天児はそれを聞き流さなかった。


「ウォーキング・バイブル?」


「さっき話した新人のことですよ。すげえ逸材が入ってきたって言ったじゃないですか。ほら、あそこ。前の方にいる、金髪の女の子ですよ」


 鮫戸がメーベルを指し示した。


 天児がゆっくりと、首を巡らせる。火が着いた導火線のように、天児の視線が、鮫戸の指先を辿っていき、やがて、その闇をたたえた真っ黒な瞳が、メーベルを捉えた。


 一瞬の間。


 そして彼は、無表情のまま言い放った。


「違う。あれは我々の敵だ」


(バレてる!?)


 どうして天児にメーベルの立場が見抜かれたのか、まるでわからない。つい数時間前まで問題なく教団本部に潜入できていたし、幹部たちに怪しまれている様子はなかった。


 実は教団はメーベルの目的を最初から知っていて、あえて泳がせていた――ということだろうか。


 いや、だとしたら、なぜこのタイミングで泳がせるのをやめたのかがわからない。それに、同じ教団幹部である鮫戸は、いまこの瞬間までメーベルのことを疑っている気配はなかった。


 どうして天児だけが、メーベルのことを敵だと知っていたのか?


 しかしそんな謎を解いている余裕はなさそうだ。


 信者たちが、メーベルを取り囲んでいる。彼らは皆一様に笑みを浮かべていた。


「幸せになることから、逃げてはいけません」


「幸せになることから、逃げてはいけません」


「幸せになることから、逃げてはいけません」


「幸せになることから、逃げてはいけません」


 信者たちが、じりじりと距離を詰めてくる。そのうちの一人は知っている人物だった。メーベルがこの異世界に来た初日に立ち寄った、もぐり~マートというコンビニでレジ打ちをしていた男だ。


 ……おかしい。たしか彼は、ウッグ=ナフ=ゼルという怪物に食べられたはずではなかったか?


 間違えるはずもない。メーベルが、教団本部で見させられた映像の中で、彼は苦しみながら食い殺された。あんなショッキングな光景を、断末魔を、忘れるはずもない。


 ユ・ハリムの言葉が甦る。


 ――知りたくもないことかもしれないけど、この異世界にいる人たちの大半は空っぽの人形よ。あのバケモノが作り出した、ただの背景に過ぎないわ。


 怪物に食べられた人物と、同じ顔の男。いま、メーベルの目の前にいる彼に、“中身”はあるのだろうか?


 突如、会場の後方で悲鳴が上がった。そして海が割れるように、人波が左右に分かれていく。信者たちは、慌ててなにかから逃げているみたいだった。


 視界が開けたおかげで、彼らが悲鳴を上げた理由がわかった。会場の出入口に、見るからに危険な二人組が立っていたのだ。


 と言うか、蓮華京れんげきょうと小松だった。


 二人揃ってサングラスをかけていて、小松は腕を組んで浮遊しており、蓮華京は肩にロケットランチャーを担いでいた。


「えぇ?」


 メーベルは二度見した。


 やはり蓮華京は、ロケットランチャーを肩に担いでいた。そりゃあ悲鳴も上がるだろう。


 小松がニヤニヤしながら、ステージの上を指差した。次の瞬間――


「わんばんこ♡」


「こんにちバズーカ」


 と、小松と蓮華京が続けざまに言ったような気もするし、言わなかったような気もする。いずれにせよ、そんな発言の有無など、どうでもいいことだった。


 ロケットランチャーが発射されたことと比べれば、すべては些細なことだった。


 空気を叩き割るような発射音、煙を噴き上げる飛翔体、そしてそれがステージ上の天児に向かって突っ込んでいく。


 その一連の動きが、メーベルの目にはスローモーションに見えていた。本来なら唖然として棒立ちになってもおかしくないシチュエーションだが、不自然なほどに冷静さが保たれている。どうやら嶺ケ原から受けているであろうまじないの効果が、ここでも発揮されているようだ。おかげで、両耳を手で塞ぎながら伏せるという行動をとっさに取ることができた。


 直後に、文字通りの爆音が轟く。爆発音を直接聞いたのは初めてだったが、耳が痛いどころの迫力ではなかった。


「メーベルくん、無事かね!? こんにちは!」


 頭上から声が聞こえてくる。見上げると、校長が宙を舞っていた。爆風に乗って優雅に回転するさまは、さながら戦場の妖精だ。


 いや、言いすぎた。妖精ではない。全然違う。妖精に謝罪したい。


 それにしても、校長先生が回転しながら降ってくる状況なんて、もう今後一生ないだろうなと、メーベルは場違いな感想を抱いた。


「いろいろと意味がわからん状況だが、ひとまずここから逃げよう!」


 校長が綺麗に着地を決めつつ、言った。


『いろいろと意味がわからん状況』を作り出すのに、校長の存在も一役買っているのではと思ったが、メーベルだってそれを指摘できるほどの立場ではない。


「私が道を切りひらく! ついてきなさい!」


「わかりました!」


 校長が先陣を切って走りだす。前方に立ちはだかる信者たち。


「失礼しまァす!」


 校長が右手で手刀を切ると、衝撃波にのされたかのように信者たちが左右に飛び散り、通り道ができた。どういう原理?


 その後は意外にもすんなりと大ホールの出口まで辿り着くことができた。


 会場の後ろの方にいた信者たちは、そもそも状況がよくわかっていないらしく、誰が教団の敵なのかも理解していないようだ。その上、いきなりロケットランチャーを発射する危険人物が現れたせいで混乱が生じており、メーベルと校長のことを気にしている余裕はないように見える。


 大ホールを出て、一瞬だけ背後を振り返る。ステージの上を舞っている土煙の中から、紫色の鱗に覆われた奇怪な腕が伸びていた。土竜さま――ウッグ=ナフ=ゼルの腕だ。


「立ち止まるな!」


 校長の声で、我に返る。一部の信者が、諦めずにメーベルを追ってきているのが見えた。


 蓮華京と小松が騒ぎを起こしてくれたおかげで、通路には逃げ惑う人で溢れている。その流れに乗って、校長とメーベルは再び走りだした。


「お二方ァ……こっちですェ」


 通路脇で、小松が手招きをしている。校長が首を傾げた。


「む、きみは……?」


「大丈夫です! それ、味方です!」


 校長が小松のことを知らないのは少し意外だったが、彼の素性を説明している暇はない。今度はメーベルが校長を引き連れるようにして、小松の方へと向かう。


「こっちに来てくださいェ」


 自称情報の怪異が、ふわふわと宙に浮きながら、メーベルたちを先導する。


 やがて連れてこられたのは、このリゾート施設のバックヤードにある、会議室のような部屋だった。


「ここの窓から外に出ましょェ」


 窓から出た先は、駐車場に繋がっていた。中型のSUVが走ってきて、メーベルたちの前で停車する。運転しているのは、蓮華京だ。


「乗れ!」


 促され、全員で乗車する。校長は助手席へ、メーベルと小松は後部座席へ――と、そこで青柳がいないことに気づいた。


「待ってください! 先輩が来てません!」


 そう言ったのとほぼ同時に、青柳が窓から出てきて、車に乗った。


「部長……! いないからびっくりしましたよ!」


「ごめん。追手を誘導していたんだ」


「誘導って……囮なんてやってたんですか? 危ないじゃないですか!」


「いや、大丈夫。そんな勇ましいことはしていないからね。でたらめな方向を指差して『敵はあっちに逃げたぞ!』って適当に言ってまわってただけだよ」


 メーベルと青柳が会話をしているあいだに、車が発進する。


「それにしても、どうしてうちの学校の校長先生がここに? いったいどういう……」


「それを話すと長くなるのだが……。それより青柳くんと言ったね? きみもうちの生徒だろう。きみこそなぜここに? ここに来ているのは、メーベルくんだけではなかったのか?」


 青柳と校長が互いに疑問をぶつけ合っているが、メーベルにだって言いたいことは山ほどある。


「私も校長先生に訊きたいことはあります。しかしそれ以上に……蓮華京さん、さっきのロケットランチャーはなんですか? この車もそうですけど、どうやって手に入れたんです?」


「まァまァまァ! いまは長話をしている場合じゃないんじゃないですかァ!? でしょオ? 蓮華京の旦那ァ」


 小松の発言に、蓮華京がハンドルを捌きながら頷く。


「いまは追手から逃げ切ることが先決だ。これからどうする? どこへ行く?」


 スパリゾート・もぐりあんズは、小高い丘の上にある。車は勢いよく坂を下り、一般車道へ出た。青柳が誤情報でかく乱したのが利いているのか、いまのところ、追手が来る気配はない。


 ここからどうするか? どこへ逃げるか?


 メーベルからすれば、取れる選択肢は限られているように思えた。


「このまま駅まで行きましょう! そこから繇穏町ゆうおんちょうに行って、楓先輩と宗像先輩を説得するんです!」


「説得したとして、その後のあてはあるのか? 向こうに素性がバレている以上、もうユ・ハリムという女のことは頼れないんじゃないか?」


「わかりません。それについては後で考えましょう」


「それもそうだな。じゃあ、このまま駅へ向かうぞ」


 蓮華京がアクセルを踏み込むと、SUVは安全性をかなぐり捨てた速度で海沿いの道を駆け抜けていく。


 日はすっかり落ちている。左手に広がっている海は闇と解け合い、境界も奥行きも、まるで見通せない。昼間のそれとは、雰囲気が別物だ。


 黒い水面がいまにも盛り上がり、巨大ななにかが姿を現すかもしれない。そんな不安が、メーベルの胸をかすめた。


「追手は?」


 という声が、運転席から飛んできた。


 蓮華京以外の全員が、後ろを振り返る。追ってくる車両は特にない――そう判断しかけたそのとき。


 ドン!


 という音が頭上から聞こえてきた。なにか重い物が落ちてきたような、鈍い衝撃だった。


 自然と視線が上を向く。直後、車の天井の端に亀裂が入った。そして、まるで缶詰の蓋を開けるかのように、いとも簡単そうに天井の一部が剥がれていき、やがてそこから顔を覗かせたのは、鮫戸だった。


「裏切リ者……」


 見開かれた目から、口から、黒い液体が流れ出ている。明らかに尋常じゃない様子のその男は、他の乗員には目もくれず、ただメーベルだけを見据えていた。

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