不良と魔法少女とアイツ 1/3
「早く現実世界に帰りなさい」
ユ・ハリムが、メーベルに向けてそう言った。
いかにもアジア美女と言ったような雰囲気の、眼鏡をかけた黒髪のクールな容姿で、その表情も真剣そのものだが、明らかにサイズの合っていない魔法少女のコスチュームを無理矢理着ているため、なにを言っても冗談みたいになってしまう。
とは言え、そんな服装のギャップですら、いまこの瞬間の緊張感を和らげるには至っていなかった。
モニター越しに、人が喰われた。
土竜さまと呼ばれているものの正体。
グロテスクな怪物。
幸福を貪るもの、ウッグ=ナフ=ゼル。
メーベルは呆然としながらも、なんとか言葉をひねり出した。
「帰れと言われても……私は知人と一緒にここに来ました。その人を置いて帰れません」
「そう。じゃあ、その知り合いも連れてきなさい。立場上、私は直接的な手助けはできないけれど、帰り道くらいは教えてあげられる。なるべく早いほうがいいわ。“あれ”に目をつけられる前に」
ユ・ハリムが言うや否や、モニターの中の怪物の、無機質な白い顔のような部分がぐるりと回り、メーベルの方を向いた――気がした。もちろん、偶然だろう。その映像は、昨日撮影されたものだと聞いたから、怪物が実際にいまメーベルに反応したわけではない。
だが、気味の悪さは拭えなかった。その視線から逃げるように、メーベルとユ・ハリムは歩き出す。そして扉をくぐり、PCがたくさん並んでいる部屋へと戻ってきた。
「おう、どうだった?」
と、男が軽い口調で語りかけてくる。
その男は、金髪のリーゼントに学ランのような黒い服を着ているという、いかにも一昔前の不良漫画に出てきそうな出で立ちだった。一目見ただけでも肩幅が広く、筋肉が服の下から盛り上がっているのがわかる。不良らしい見た目の通り、喧嘩に強そうだ。
ただし、意外なのはその容姿で、少なくともアジア系ではない。金髪碧眼の白人男性だ。
年齢は二十代後半くらいで、若いと言えば若いものの、現役の不良学生といった感じではない。どちらかと言えば、海外のアニメファンが、不良漫画のキャラのコスプレをしたらこうなりました――というような印象を受ける。
その男は、目の前のPCのモニターを凝視し、かちゃかちゃと音を立てながら、忙しなくゲームのコントローラーらしきものを操作していた。
「その子、帰んのか?」
男の問いかけに、ユ・ハリムが答える。
「お友達も一緒に来てるみたい。そのお友達を残して一人では帰れないって」
「おお、そうか、ダチか! ダチを大事にするのは偉いな!」
そう言っているあいだも、リーゼントの男はモニターを見ながら、コントローラーを動かし続けている。どうやら会話よりもゲームに集中しているようで、コメントがどことなく薄っぺらいのもそのせいだろう。
その自覚があるのか、男は「悪いな、ちょっといいとこなんだ」と、やはりモニターから目を逸らさずに付け加えた。
メーベルがユ・ハリムの顔をちらりと見ると、彼女は苦笑した。
「この人、格ゲーが趣味なの。こんな不気味な異世界で生活していたら、ゲームくらいしか娯楽がないのよね」
バーチャルの喧嘩が趣味だというのが、果たして不良らしいのか、不良らしくないのかは、なんとも言いがたい。
「いちおう紹介しておくわ。この人はJohnny Banchō。私の同僚よ」
同僚――ということは、この男もまた、教団の信者ではなく、“意味されるもの”の構成員なのだろう。
魔法少女のコスチュームを来た大人の女性と、不良漫画のコスプレのような格好をしている大人の男性……。こう言ったら失礼かもしれないが、この組織は、イロモノキャラばかり採用しているのだろうか?
ただ、見た目の癖はともかくとして、言っていることは教団の幹部たちと比べてかなりまともに思える。子供であるメーベルのことを心配してくれる上に、現実世界に帰そうとしてくれているのだから。
「あの、どうしてお二人は、私のことを帰そうとしてくれるんですか?」
素直に疑問をぶつけてみると、ユ・ハリムとジョニーもまた、素直に答えてくれた。
「それはだって、この教団はろくでもないからよ」
「そうだぜ。こんな危ねえ集団に、面白半分で近づくもんじゃねえ。いい年した大人が、自分の判断でワケのわからん宗教を信じるのは勝手だが、なんも知らねえガキンチョがなんも知らねえまま地獄を見るっていうのは、さすがにこっちも気分が悪ィってもんだ」
なんと言うか、散々な言われようだ。赤雲の土竜の会と“意味されるもの”は、本当に協力関係にあるのだろうか。
「お二人は、教団のこと、あまり好きじゃないんですか?」
「好きかどうかじゃなくて、私たちは上の人に言われて、ここの管理を任されてるだけだから」
「好みの話で言ったら、俺ッチは気に食わねえけどなァ。幸福を一方的に与えられるってぇのがな。幸せってのは、自分の拳で勝ち取るもんじゃあねえのか?」
ジョニーが、主人公みたいなことを言っている。
「まあ、こんな教団でも、誰かの居場所にはなってるだろうから、存在意義もなくはないと思うけれどね。たぶん、わかってて騙されてる人もいる。この宗教、変だな、おかしいなって薄々勘づいてたとしても、それにすがり続けることでしか生きていけない人だっているから。でもそれは、もう本当にどうしようもなくなった人が最後に流れ着く場所なのであって、あなたのような子供が来るのはまだ早すぎるし、なんなら、一生関わらずに済むなら、それに越したことはないわ。だから私たちは、あなたに帰れって言ってるのよ」
ユ・ハリムが、優しく諭すような口調でメーベルに語りかけた。
(この人たち……話せば話すほどまともなんですけど……)
メーベルは、“意味されるもの”という組織が、本当に噂に聞くほどの悪い集団なのか、わからなくなってきた。
「おィ! それは読んでるぜッ!」
ジョニーが威勢よく叫びながら、コントローラーを素早く動かす。
モニターに映る画面を見る限り、彼がプレイしているのは、ゲームに疎いメーベルでも知っているような、有名な格闘ゲームだ。まさかコンピューター相手にここまで盛り上がるとは思えないので、おそらくオンラインの対人戦をしているのだろう。
「不思議に思ったんですけど、ここって、現実世界のネットと繋がってますよね? どういう仕組みなんですか?」
教団とはあまり関係のない、個人的に疑問に思ったことを訊いてしまった。ユ・ハリムとジョニーが、そんなに危険な人物ではないとわかって、少し気が緩んでしまったからかもしれない。
「それは私もよくわからないのよね」
と、ユ・ハリムが答える。
「私たちの身内に、【博士】と呼ばれてる人がいるんだけど、技術系のことはだいたいその人がやってるのよ。外部と連絡が取れるこの部屋を作ったのも、あのバケモノを安全に管理できるような環境を作ったのも、全部その【博士】。どういう仕組みなのかは、本人に訊かないとわからないわね」
「博士、ですか」
そのシンプルすぎる呼び名から、なぜだかマッドサイエンティストを連想した。
マッドかどうかはともかくとしても、異世界と現実世界を繋ぐなんて、普通の技術力では不可能だろう。その【博士】とやらも、記号の一人である可能性が高い。SFの出身だろうか?
「ッしゃあ! 勝ちィ!」
ジョニーが興奮した様子で、椅子から立ち上がった。拳を高く突き上げ、喜びを全身で表現している。ゲームで勝ってこんなに喜んでいる人、現実で初めて見たかもしれない。
「格闘ゲーム、お好きなんですね」
メーベルが話しかけると、ジョニーは嬉しそうに語った。
「ああ、格ゲーはいいぜ。純粋な喧嘩ができるし、相手の顔も見なくて済むからな」
ようやく彼はモニターから目を離し、そこで初めて、メーベルとまともに目が合った。その瞬間、彼はハッと息を飲み、どこか気まずそうに顔を背けてしまう。
格闘ゲームが好きな理由に、『相手の顔を見なくて済む』を挙げたことを考えるに――
(まさか、こんな不良っぽい感じで……恥ずかしがりやなんですかね?)
※
お手洗いに行きたくなったので、ユ・ハリムに口頭で場所を教えてもらい、メーベルは教団本部のトイレへとやってきた。
そこは先ほどまでいたPCが並ぶ部屋とは違い、石造りでできていて、古城の荘厳な雰囲気を損ねていない。やたらと天井が高く、個室も二十はあろうかという広さだ。
ところがいざトイレを使用してみると、便座は温かいわ、ウォシュレットは完備されているわ、水洗はセンサー式だわ、消臭機能は付いているわ、空調も効いているわで、極めて現代的だった。
快適と言えば快適なのだが、わざわざこんな古城を本部にしておきながら、結局は見せかけだけで、現代の利便性は捨てきれていないというところに、この教団の俗っぽい部分を感じてしまう。
用を済ませて洗面台で手を洗おうとすると、水も石鹸もセンサー式だった。しかも水が少し温められていて、ちょうどいい温度になっている。
メーベルの目の前にある鏡は、年季が入った銀の縁取りに、蔦のように絡み合う細い紋様が装飾されていて、古城の重厚な空気にマッチしている。なのに、手元では、センサーに反応して水石鹸がちょろちょろと出てきていて、そのギャップに困惑する。現代的でありたいのか、古典的でありたいのか、よくわからない。
なんてことを考えていたそのとき、鏡越しに、ジョニー・バンチョーがトイレに入ってくるのが見えた。あまりにも迷いのない足取りだったため、メーベルは一瞬、
(あれ? 私、間違って男子トイレに入っちゃってます!?)
と、かなり焦った。本当に自分が男子トイレに入ってしまったのか、記憶を辿って確認しようとしたが、すぐにそんな余裕はなくなった。
それどころではなくなった。
鏡に映るリーゼントの男と、目が合う。探し物を見つけたとばかりに、その口元に薄い笑みが浮かんだ。しかし目は少しも笑っていない。閉じかたを忘れたかのように大きく見開かれた双眸は、メーベルの顔だけを捉えている。
そしてなにより、その右手に握られているのは、刃渡りの長い、ナイフのような刃物だった。
「なんで、そんなことを言うんだ……?」
ジョニーがぼそりと呟いた。
意味がわからなかった。そんなこともなにも、メーベルは一言も喋っていないというのに。
「なんで、そんなことを言うんだ!?」
ジョニーが息を荒らげながら、急に早足で歩きだし、メーベルへと迫る。振り上げられたナイフがどこへ向かおうとしているのかは、もはや考えるまでもないことだった。




