嶺ヶ原とテーコク
空に浮かぶ森、協会関東本部。
夜分、嶺ヶ原は私邸である洋館の書斎で、通話をしていた。大きな木製のデスクに備え付けられた固定電話から聞こえてくるのは、テーコクの声だ。
『逢戸澗から聞いたぞ。ずいぶん無茶なことをしたみたいだな』
「そうかもしれんな」
『メーベル・ベルナール・レオンハルトを、赤雲の土竜の会に潜入させたようだが……お前、“能力”を使っただろう』
「なにを言う。儂の能力は、人の心を自在に操るようなものではない。お前だって知っているだろう? 儂の能力は、人の持つ意思の力を強め、心の弱さを一時的に補強する――言わば、ただの鼓舞に過ぎん。もともと、あのメーベルという娘には、大事な人を救いたいという意思があった。儂をそれを尊重し、後押しした。それだけのことだ」
『能力で誘導したっていう時点で問題なんだよ。お前、あんな子供を行かせるなんて、なに考えてんだ』
「フッ、数百年生きているお前からすれば、誰もが子供に見えるだろうな」
『話を逸らすな。おいら以外のやつから見ても、あの子は子供だ』
「大人だ子供だと区別する感覚がわからん。彼女には、潜入任務をこなせるだけの意志と知能がある。なにより、今回のケースで、彼女以上の適任はそうそう見つかるまい。だから、任せた。できもしないことを押しつけたのではない。彼女は無事、任務をこなして帰ってくるだろう。なにもできない子供だと、守られるだけの存在だと、そう思って同胞の力を見くびっているのは、お前のほうではないのか?」
『……思ったより、あの子に入れ込んでるんだな』
「誰もが、平和な世を望んでいる。だが、そのために自分の身を粉にして働ける者は少ない。平和を愛すくせに、その平和を守るとなると、『きっと誰かがやってくれるだろう』、『偉い人がなんとかすべきだ』などと考え、なにも行動しない人間の、なんと多いことか」
『その愚痴、もう何百回聞いたかわかんねえよ』
「なら、儂の言いたいこともわかるだろう。メーベル・ベルナール・レオンハルトは、戦う能力を持たないにもかかわらず、危険を承知で潜入任務に名乗り出たのだ。『大人の誰かがやってくれるだろう』と考え、安全な場所で待機することもできたのに、彼女は、自ら行動したのだ。そのような同胞がいることを、儂は誇りに思う。彼女のような若者こそ、協会に必要な人材だ」
『お前は昔からそういうやつに弱いよな。……だが、お前がどう思おうと、子供を勝手に危険地帯に送り込んだ事実は変わらない。残された家族の気持ちを考えたことはあるか? 協会としての信用問題にも関わるぞ。どうやって責任を取るつもりだ?』
「どうするもなにも、初めから、すべての責任は儂が被るつもりだ。それゆえ、誰にも相談せず、独断で事を進めたのだ。お前も、この通話のことはなかったことにして、儂一人に責任を押しつけろ。それで問題はない」
『お前……なに言ってんだ』
「テーコクよ、儂は――いや、俺は、年を取りすぎたよ。いつまでも地位や立場にしがみつくことはできん。どうせ引き時なのだ。切り捨てるにはうってつけの人間ではないか」
『理解できない。お前がメーベルを評価しているのはわかった。責任を取る覚悟があるのもわかった。じゃあ、どうして正当な手順を踏んで任務を託さなかったんだ? “能力”なんかに頼らず、メーベル本人と保護者の高崎環南へ、真っ当に説明をすべきだったんだ。そしておいらを含めたほかの協会幹部に相談した上で話を進めれば、少なくともいまのような変なこじれかたはしなかったはずだ。それがわからないお前じゃないだろう? どうして誰にも言わず、こんな突発的に潜入なんてさせた? そんなことをするメリットなんて――いや、まさか……そうか、そういうことなのか……?』
「どうした。なにが言いたい」
『わかった。お前の目的は――』
テーコクが、ある推測を語る。
そしてその推測は、的中していた。
テーコクは、今回の一件における、嶺ヶ原の目的を当ててみせたのだった。
ここ数十年、テーコクは協会の【理想と倫理】を、嶺ヶ原は【合理と実利】を背負ってきた。相反する二人ではあったが、長年、組織の中核を担ってきた者同士、相通ずる部分があるのだろう。
しかし嶺ヶ原は、テーコクの推測に対し、あえて是とも非とも言わなかった。代わりに、こんな質問を投げ返す。
「テーコクよ、我々の敵は、なんだと思う?」
受話器の向こうから、返事が来ない。それは受け入れがたい結末を先延ばしにするだけの、空虚な沈黙だった。
テーコクは答えられないのでなく、答えたくないのだろう。それでいいと、嶺ヶ原は思った。
「テーコク。我が同胞よ。これからも協会の理想や善性を象徴する存在であり続けてほしい。それは神であるお前にしかできない役割だ」
――汚れ仕事は、儂に任せろ。
そう言って、嶺ヶ原は受話器を置いた。




