きみが殺して
最近、夢を見ない。不快な夢ばかり、忘れてばかり。意識が、早く死ねと言っているのかもしれない。僕の人生から楽しみを奪い去るのに躍起になっているのか。最近の僕は生きる意味を見失いつつある。夜になって叫び出すこともたまにあった。そんなとき、近くの部屋に泊まっている箱入りが僕を抱き締めてくれる。何も言わず、何も聞かず、ただ抱き締めてくれる。僕は彼女のことが好きなのだろうと思った。でも僕のほうから彼女を抱き締めたことはこれまで一度もない。その方法が、分からない。物理的な手段ではなく、そこに至るまでの心境の変化を想像できない。僕は自分の心が分からない。何度も理解しようと思った。触れようと思った。けれどそれがどうしようもなく遠い気がする。高い空にどれだけ手を伸ばしても届くはずがない。そもそもどこまで伸ばせれば「届いた」と思えるのか、そんなことさえ想像できない、それと似ている。
僕は砦の食堂で眠っていた。いつものように。しかしどうして僕はここで眠るようにしているのか、思い出せなかった。
「隊長」
六週間が、僕の傍に立っていた。彼女とは何度も戦場を同じくしている。本当は彼女との付き合いは一年以上に延びていた。ときに彼女は部隊長も任せられるほどの戦績を誇る。だから六週間という呼び名は全く適当ではなかった。
「私の名前は●●●●です。聞き取れます?」
「いや……」
「良かった。今回も生き残れそう」
六週間はその場を去ろうとした。僕は以前から気になっていたことを、もう一度試したかった。
「ねえ、六週間」
「なんです?」
「僕の名前を呼んでくれないか」
「いいですよ。隊長。はい」
「そうじゃなくて、本当の名前」
「ああ、ええと、レンドさん」
それが僕の名前なのだろうか? 最近、ときどき耳に入ってくる、耳慣れない単語。それはどうやら、状況から考えて僕の名前らしい。
全く、奇妙だ。もし六週間の言う通り、僕が「死神」であるとするなら、もうすぐ僕は死ぬのだろうか。それでも構わなかった。いや、むしろそれを望んでいると言ってもいい。死は怖いけれど、でも積極的に回避する理由が日に日に希薄になっている。
「隊長、もしかして、自分の名前が分かるようになってるんですか」
「まあね」
「そっかあ。それじゃあ、今度からどうしよう。隊長がいなくなるんじゃあ、もう自分が死ぬかどうか分からなくなっちゃう」
「そうだね」
六週間は僕の表情を窺い、
「あれ、言っておきますけど、今の冗談ですからね。本気にしないで。本当は『うわーん隊長が死んじゃうなんて嫌だよー、凄く悲しいよー』が本音です」
「そうなんだ……、ありがとう」
「はい」
「うん」
六週間は頭を乱暴に掻き、無理矢理笑った。笑うのにそれほど力が要るのか、と感嘆するほど、彼女が笑みを零すのにかなりの労力を費やしたことを、僕は傍から見ていて気付いてしまった。
「ごめん」
「えっと、何がです?」
「とにかく、ごめん。もう行っていいよ」
「はあ。そうですか」
六週間は立ち去った。僕は食堂の天井を見上げた。罅割れた石材。あそこに手を突っ込んでばらばらに引き裂きたい気分だった。
僕は戦場が恋しい。
けれど、今僕がいる場所が戦場だとは、どうしても思えない。
早く戻りたい。
早く帰りたい。
あの場所は日常だった。
今の僕がいる場所は日常ではない。仕事だった。何も楽しくない。
安息なんて要らない、名声も金も不要だ、そう言っているのに、そんなものばかりが僕
を慰めようとする、全くの無意味なのに。
僕が一番欲しいものは戦場だ。平和な戦争だ。そこでひたすらに戦っていたい。どうして戦うのか? そんな疑問を以前は抱いたことはなかった。最近は頻繁にそのことが頭をよぎる。理由がなければ駄目なのか。理由がなければ納得できないのか。いったい僕は誰に納得させようとしているんだ。僕自身か? でも、僕は僕の味方だろう? わざわざ説明して納得させなくても、僕のしたいように動いてくれればいいのに。それが子供と大人の違いなのかもしれない、なんて僕は考えて、ああ、時は過ぎていく。
鐘が鳴った。僕は立ち上がる。いつものように、夜明け前の深闇の中だった。
「頑張りましょう」
廊下を進んでいるとき、六週間が傍を走り抜けながら言った。僕は最近、頑張っている。仕事をこなしている。でも、僕はそんなものを求めてここに来ているのではない。
子供だった頃に戻りたい。無邪気な殺し合いがしたい。僕には殺さなければならない敵がいる。それは悪い戦争だ。必要悪という名の、悪だ。この世界はせっかくそういったものを排除したのに、徐々に蘇りつつある。飢餓も紛争もないこの素晴らしい世界に、人間は自らの手で腐敗を吹き込もうとしている。しかも、その事実に気付いている人間があまりに少ない。それが僕を恐怖させる。
かく言う僕も変わってしまった。オミドから毎回のように仕事の指令が下ってくる。暗殺の仕事をこなすたびに、僕は戦場が嫌いになった。どうしてこの世界はそんなに殺さなければならない人間に溢れているんだろう。どうしてそんな人間を戦場に連れて来させるのだろう。僕に仕事を押し付けないでくれ。僕を自由にさせてくれ。
砦の外では既に戦いが始まっていた。両軍合わせて千人規模の、比較的大きな戦争だった。僕はそこの部隊長ということになっている。一九歳の戦士は最近は珍しくない。どういうわけだか、以前はほとんどいなかったのに、成人してから戦士を志願する者が多くなっている。中年の戦士も多く見られるようになる。僕のような年下に指図を受けることを不快に思う者もいる。明らかに、戦士ではない。見栄と野望に漲るただの殺戮者が、今の戦場の主役だ。
僕や六週間のような本当の戦士は少数派になった。
いや、僕ももはや戦士とは言えない。暗殺者だ。六週間も僕なんかと一緒にされては不愉快だろう。
僕は剣を抜き放ち、赤と青の戦士で入り乱れる戦場に殴り込んだ。今日の標的の顔を思い浮かべながら、次々と様々な匂いの血を浴びる。
ふと、戦場から離脱しようとして、〈眼〉に制止されている男が目に入った。
それが僕の標的だった。僕は何の思考もなく、ただ足を動かした。何人かの〈眼〉が僕に追従する。僕はかなりの有名人らしかった。街を歩くと、ほぼ例外なく人だかりが出来る。握手を求められたり、触られたり、ときに殺そうとしてくる人もいる。僕は自分が有名であるという実感が湧かない。ただ、彼らがひたすらにふざけているようにしか思えない。
「勝負しよう」
僕は懇願するように、標的の男に言った。男は剣を構えたが、明らかに怯えていた。
「きみも戦士だろう……、違うのか? 僕の名前を知っているか」
「れ、レンド」
「きみの名前を教えてくれ」
「オランジル……」
「そうだよな」
まさしく標的の名だった。僕はここで死ぬのだろうか。死のうと思えば死ねるのだろう、じっと突っ立っていればいい。きっとこのオランジルが拙い剣技を尽くして僕を殺してくれる。
だが、僕は気付けば、オランジルの胸に剣を突き立てていた。〈眼〉が身を乗り出してその光景を撮影、放送している。
どんな戦いだったのか、興味はない。
きっと見苦しい戦いだった。
そして世界中の人たちは、こんな見苦しい戦いが大好きなのだ。
悪趣味だ。
僕は仕事を終えた。ちょうどそのとき、自軍の残存兵力が七割を切り、降伏許可の笛の音が鳴り響いた。
僕は手を挙げた。
「降伏します」
周りの〈眼〉たちは目をぱちくりさせた。僕は彼らに笑いかけた。
「降伏します」




