この平穏な世界にようこそ(8)
アーリオの郊外にこんな立派な宿舎があるとは知らなかった。オミドによれば特権階級にのみ利用が許された、公営施設だという。
人気はほとんどなく、入ってすぐの待合室には、過去にあった戦争を映し出す大鏡が幾つも設置されていた。その中に僕とオリアンサタの戦闘を編集したものがあったので、一瞬だけ見た。
そして吐き気がした。僕は首を振り、こんなものを好んで見る人間は狂っていると思った。泣き叫ぶオリアンサタを躊躇なく殺す僕。これは正しい戦争ではない。皆、幸福になりたくて戦場に立つはずだ。死ぬまで自分の死に気付かないのが、正しい命の捨て方だろう。むしろ、その為に剣を取ると言っても過言ではない。
憐れな奴だった――僕は呟いた。
「●●●様」
僕は辺りを見回した。すると見慣れた顔が遠くにあった。僕は手を振り、そして、彼女の名前を知らないことに気付き、どう呼ぶべきか迷った。
彼女は箱入りだった。僕はオミドにちょっと待っているように言い、彼女のほうへ歩み出した。
「あ、すみません。隊長様、ですね」
「別に謝らなくていいよ。考えてみると、名前を呼ぶなって、変な要求だよね」
「そ、そうかもしれませんね。あの、先日の戦い、お見事でした」
「どうも、ありがとう」
しかしそう言う割には、箱入りはあまり嬉しそうではなかった。むしろ周囲を見回し、何かを警戒しているように思う。
僕は箱入りがビクビクしている理由を、すぐに思い知った。階上から玄関に降りてきた女性が、僕の顔を見るなり、みるみる顔を赤くし、凄まじい勢いで駆け寄ってきたからだ。
その女性とは、リドであった。慌てふためいた箱入りが何か言ったが、リドはそんな友達を突き飛ばし、掌を振り上げた。
僕は動かなかった――頬に痺れるような感触があった。近くに立っていたオミドが唖然としているのが視界の隅に入った。
「あんたって人は――あんたって人は」
僕はリドが怒っている理由がまるで分からなかった。理不尽な理由で他人から嫌われたことも、逆に好かれたこともある。だから、他人の感情に、いちいち機敏に付き合ってやる必要はないと思っている。それができるのは優しい人間だけだ。
「や、やめなよ、リドちゃん――」
「●●は黙ってて!」
「おい、やめろ」
オミドが出てきてリドを押さえつけた。施設の職員が手伝い、彼女は別室に連れて行かれた。僕は箱入りが申し訳なさそうに躰を震わせているのが、不思議だった。
「隊長様、申し訳ありませんでした」
「きみが謝ることじゃないよ」
「あの……、リドちゃんを嫌いにならないでください」
「うん、まあ、それは大丈夫だけど」
「恋人が死んでしまって、精神が不安定なんです。その……、隊長様に殺されてしまったので」
「へえ……。なるほど、もっともな理由だな。僕を殺したいほど憎んで当然だ」
「オリアンサタ様です」
「うん?」
「リドちゃんは、オリアンサタ様の恋人だったんです。私は、あの人はあまり好きではなかったのですが……」
「へえ。でも、彼は結婚する相手が決まってて、それから逃げ出したって聞いたけど」
「恋人は何人もいたらしいんです。その……、何と申しますか、英雄色を好む、と言いますでしょう?」
「確かに……。でも僕はそういうことにあまり興味がないから、英雄じゃないってことだな」
「英雄人を欺く、とも言います」
「ああ……、まあ、何とでも言えるものだよ」
僕は笑った。箱入りはきょとんとしていた。
「あの、リドちゃんを許していただけますか?」
「許すも何も、僕は怒っちゃいないよ。ところで、きみもここに泊まっているのかい?」
「はい」
「オミドが、特権階級しか利用できない、とか言ってたけど、きみはそうなの?」
「特権階級……、かどうかは分かりかねますが、他人よりは裕福な家の出かもしれません」
「いかにも、そうだものね」
「そうですか? よく、田舎者によくいる顔だとか言われるのですが」
「誰に?」
「リドちゃんにです」
「あの子にかかれば、大抵の女の子は田舎者になるんじゃないかな……。三十年くらい先を行ってるだろ、彼女の服装」
くす、と箱入りが笑った。それから慌てて、
「あの、今のはリドちゃんのことを笑ったのではなくて――その、何と言いますか、隊長様が思いもよらない冗談をおっしゃられたので――ええと」
「ごめん。陰口みたく聞こえちゃったかもね。これから気を付けるよ」
箱入りは顔を赤らめて、僕の顔をまじまじと見つめる。
「はい」
かなり時間を置いてから、彼女はか細い声で言った。
「ありがとうございます。やっぱり、隊長様はお優しいです」
「そうなのかな……。僕は自分が冷たいと思ってるけど」
「温かいです」
箱入りは笑顔で言った。
「本当に。……本当に」




