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この平穏な世界にようこそ(6)



 戦争が始まって、二日目、夜明け前。


 僕は夢を見ていた。夢に入ってすぐ夢と分かるような、それほど快くも不快でもない、ありきたりな夢。


 鐘の音で目を覚まし、すぐに夢の中身を忘れた。しかしこれが夢であると自覚しながら夢を見ていたことは覚えていた。たぶん、この瞬間を待ち望んでいたのだ。天鵞絨がどれほどの戦士なのか、それについてはさほど興味がない。別に僕は強い相手と戦いたいわけではない。相手が話にならないほど弱いのなら、それでも構わない。ただ、天鵞絨が僕を殺そうとするのなら、その殺意がどんな熱を持っているのか、興味があった。僕はいつも涼風に包まれて戦場に立つ。たぶん、それは、周囲の人間が僕を恐れているからなのだろうと思う。他の誰よりも躰が熱を持っているからなのだと思う。僕が敗残者の熱を奪ってしまうからなのだと思う。


 僕は立ち上がり、鐘の音がすぐに止んだことに気付き、怪訝に思った。


 そして突如として降伏許可を示す笛の音が鳴った。


 貧弱な灯りに照らされた廊下を、赤いローブの少年が慌ただしく通り過ぎた。


 奇襲を受けたのだ。戦場はここだ。


 僕は漸く気付き、得物を抜き放った。


 デイシャンの剣。雷の力を宿しているのだという。


 試しに食堂に転がっていた椅子を剣先でつつくと、激しい雷撃が放たれて発火した。


 なるほど、恐ろしい武器だった。これで斬られた戦士は蝋燭のように燃え盛るだろう。


 僕は食堂を出た。廊下には赤い印を着けた戦士が二人、歩いていた。


 二人の戦士は笑みさえ浮かべて突撃してきた。僕は自分が青であることを思い出した。この二人は敵か。


 相手が突き出した剣を、剣先で払う。すると雷撃が起こり、それだけで勝負は決した。


 あまりに強力な雷は、近くにいたもう一人の戦士にも飛び移ったらしく、二人とも頭から火が点いた。


 それからは言葉にならない唸り声を上げて、砦の石の壁に激突し、手足をじたばたさせるだけだった。


 僕は苦笑した。全くの偶然なのだが、この魔導器はこれまで僕が手にしたあらゆる武器の中で最も凶悪な出来だった。以前参戦した魔導器許可の戦場では、これほど敵を圧倒することがなかった。解禁の日にこれを扱うことになるとは。


 天鵞絨を探さなければならない。そして殺す。殺すのはいつも通りだけれど、戦場で人を探すのには慣れていなかった。


 少し考え、最も騒ぎが大きい所へ向かうことにした。耳を澄ませて、苦痛に悶える声を聞き取ろうとした。


 多くの者が、とある場所から退避しようとしている。それを追う者もいる。僕は直感して、部隊長に割り当てられている部屋――つまり今の時間、僕がいるべき部屋――のほうへと進み出した。


 道中何人か戦士を焼き殺し、いつもの殺しの感覚と違うことに戸惑った。魔導器を持っている戦士などほとんどいないことに苛立ちを感じていた。これでは虐殺に近い。僕は単に人を殺したいわけではないのだ。平穏なこの世界が居場所であると感じているだけで。逃げ惑う人の背に刃を突きつけることは、苦痛と言っても良かった。もしそれが、戦術的な逃走だとするなら躊躇はなかっただろう、けれど戦意を喪失し、しかもそうなるのも無理はない状況で、僕は淡々と刃を振る他はない。


 いつの間にか、赤いローブの〈眼〉が三人ほど、僕について歩いていた。彼らの網膜には膜状の魔導器が貼り付けられており、その双眸に捉えられた光景は各都に設置されている大鏡に転写される。世界中の都の広場には大勢の人が詰めかけ、僕がこうして無気力に戦っている場面を観戦しているに違いない。


「きっと、天鵞絨のほうにも〈眼〉が向かっているに違いない……」


 興業的にも、僕と天鵞絨の対戦は全世界的な目玉だろう。戦争はここ以外の場所でも無数に行われているだろうけど、天鵞絨は名のある戦士のようだし、僕も戦績だけ見れば図抜けている。人気がどれだけあるのか分からないものの、注目されていたとしても不思議ではない。


 どちらかが死ぬのだ。それだけは確実だと、僕は思っている。しかしどうしても勝ちたいとは思わない。元より僕に天鵞絨を殺す使命感みたいなものは存在しない。仮に天鵞絨が既存の法で捌けないような厄介な悪人で、どうしても戦場で殺さなければならないとしても、僕が死刑執行人の役目を負う必然性はない。僕が敗れたときは別の誰かが天鵞絨を殺せばいいのだ。


 回廊を進む。味方の姿は一切見ない。降伏許可の笛が鳴り響いている。それも青、僕が指揮する部隊だけ。一方的にやられたらしい。


 異様なほど静かになっていた。交戦の音が聞かれない。そもそも、両軍合わせて二百人の規模の戦争であり、まともに激突すればあっという間に終息するのは理解できる。だが砦の構造を知り尽くしたかのような、見事な攻めに、僕は違和感を抱き始めていた。


 それと同時に、天鵞絨は戦士ではないのではないかと思うようになった。金持ちの道楽という言葉の意味が分かった気がする。自分の強さ、優位性を再確認したい。しかし上手にそれを世間に示すことができないので、その個人的な事情を――個人的と呼ぶにはあまりに巨大な事情を――戦場に持ち込んだ。


 段々と、怒りが湧いてきた。苛立ちだけなら、我慢できる。しかし怒りは管理し切れない。ふとした行為の中に害意を含めてしまう。それが怒りであると、僕は感情の定義をしている。


 やがて部隊長の部屋に到着した。中には僕に私物などが置いてある。赤の陣営の兵士が何人かいたが、数人焼き殺すと、もう襲ってこなくなった。僕は彼らを賢明だと思う。虐殺されるのと、戦うのとでは、全く違う。今の僕に、彼らを正しく殺すことはできなかった。


 部屋に入った。中にいたのは、似顔絵で示された、あの男がいた。天鵞絨だ。六人の側近に囲まれ、黄金色の鎧を纏っている。


 天鵞絨は僕を待ち構えていたらしく、側近が魔導器の矢を放った。軽く剣で払うと、側近たちがパチパチと拍手をした。不必要なほど大量の灯が点され、部屋が明るかった。天鵞絨の白皙には余裕の笑みが浮かんでいる。


「さすがに良い魔導器を使っているようだな、●●●」


「僕の名を呼ぶな」


 天鵞絨は僕の言葉を不快に思ったようだった。それでも笑顔で繕い、余裕綽々の風を装う。


「仲良くしようじゃないか、●●●……。このオリアンサタの剣の錆びとなるのがそんなに怖いか? うん?」


「オリアンサタ?」


 僕はその奇妙な響きに驚いた。


 天鵞絨は頷く。


「そうだ。聞いたことくらいはあるだろう」


「いや、今初めて聞いた。何の単語だ?」


「私の名だ。きみはカウカ大陸南部の戦争連盟を知らないのか。そこが私の主戦場だ。毎日のように私が活躍する映像が流れているぞ」


「随分世間に愛されているんだな」


「無敗の英雄だからな。当然、注目もされるだろう」


「……オリアンサタ、きみは普通の戦士ではないようだから、忠告しないといけないだろう」


「何だ、●●●よ?」


「降伏するなら今だ」


「なに? 我々の部隊は健在。降伏許可は出ていない」


「そうじゃない。背を向けて逃げ出しても、僕はきみを追わないという意味だ」


 オリアンサタはクスクスと笑い出した。


「逃げるだと、この私が、お前から? 噂には聞いていたが、ふざけた奴だな」


 側近たちも笑い出した。どうもこいつらはオリアンサタに馴れ馴れしい。よほど多くの部下を引き連れているか、あるいは不正な操作をして毎度のように腹心を周囲に配置しているのか。


「いいか、●●●、貴様は私のことを知らないようだから教えてやる、私はローデラ家の者なんだよ」


 オリアンサタは僕の表情を探ったが、たぶん無表情だったので、不満そうな顔になった。


「まさかローデラ家のことも知らないのか」


「知っている。どこかの国の王族に連なる者だろう。でも、どうでもいい」


「何だと?」


「僕は今から、きみと戦うのではない。きみの纏う鎧、刀剣、あるいは部下と戦う。きみは戦士じゃない……。率直に言って、戦う価値がない。僕はここから退きたい。初めて降伏宣言を出してもいいくらいだ」


「逃げる、ということか?」


「そうだ。でも、それは許されない――ええと」


 僕はオミドとの約束を話すのはまずい気がした。僕もそれくらいの判断がつくようになったのだ。


 僕は剣の切っ先をオリアンサタに向けた。


「とにかく僕はきみと戦う。で、そこの取り巻きも、きみの戦力の一部なのか?」


「……いや。こいつらはおまけだ。部隊長同士の一騎打ちでこの戦争の勝敗を決しよう」


 オリアンサタは巨大な剣を抜き放った。そして側近たちは部屋の隅に下がった。


 何が一騎打ちだ。砦に侵入して、真っ先にこの部屋を目指したくせに。


「きみが強かったわけじゃない」


 僕は言った。オリアンサタは血管を浮き立たせた顔を歪める。


「何だと」


「これまでのきみの相手が、勝つつもりじゃなかったから、きみは勝てていた。戦いを求めるべきところに、きみは淀んだ風を吹き込んだ。それが僕には許せない」


 オリアンサタはすぐに平静を取り戻し、僕の言葉を笑った。そして一歩、間合いを詰めた。


 一〇人を超える〈眼〉が僕たちの戦いを全世界に届けようと、距離を縮めたり、俯瞰で捉えようと動き回る。そのバタバタという足音が煩わしくて、僕は舌打ちした。


 ああ、そうだ、ここは完全な戦場ではない。


 指を差され、誰かに嗤われ、恥を晒し、理不尽な愛憎が向けられる場所。


 カネと打算が入り混じってたまたま形成された、擬似の戦争しか、ここにはない。


 それを僕に確認させた、オリアンサタが煩わしい。


 堪らない。怒りが、爆発しそうだ。


 幸せは与えられるものではない。


 形作るものであり、僕はその行為に加担してきた。


 けして一人では造り得ないものが幸福。形は人それぞれだけど、例外なく、人間は人間の中でしか生きられない。


 きっと僕にとっての幸福とは、戦場の中にしかなかった。


 けれど世界は揺籃期を過ぎ、成熟し切ってしまった。永遠の黄昏を迎えているのだと思う。


 誰かの打算でしか戦場が生まれず、僕がそこに放り込まれる為には、やはり世界の醜い部分を見させられる必要がある。


 僕はこれまで何を考えて生きてきただろう。そんな重苦しいものを脱ぎ捨ててしまいたくて、たぶん僕は自分の名前を忘れたままにしているのだ。


「ああ……、ああ」


 オリアンサタが膝をつき、血を吐いた。


 僕は剣先を彼の喉に向けた。


「待ってくれ、た、助けてくれ、降伏する、降伏するよ!」


 オリアンサタが懇願した。僕は瞬きをし、ふふと笑った。


「あれ、きみ、負けたんだ。僕に。そうか……」


 僕の躰は賢い。きっと頭より躰のほうが合理的だ。戦っている傍から忘れてしまった。きっと不愉快な戦いだったのだろう。戦いと呼ぶことさえ憚られるような、醜い争い。


 昔の戦争はこんな風だったのかもしれない。


「僕は今、この世界で幸せに生きているんだよね。邪魔をしないで」


 泣き叫ぶ愚者を、斬った。


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