表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/23

この平穏な世界にようこそ(3)

 アーリオに滞在して、四日目。今日は週に一度の武具店の開店日だったので、街に繰り出すことにした。


 雨が降っていた。それも大粒で黒い、淀んだ水滴。街の通りに人の姿はほとんどなく、僕は小走りにこの街唯一の武具店を目指した。


 しかし、その途中で呼び止められた。女の甲高い声だ。


 激しい雨の中だったので、空耳かと思ったけれど、振り返ると二人の女性が僕を見据えていた。軒先で雨露を凌いでいるものの、既に全身ずぶ濡れになっている。二人とも見覚えがなかった。


「●●●さん」


 と、高飛車そうな女性が僕の名前を呼んだ。


「憶えているかしら、わたくしのことを」


「ごめん」


 僕はとりあえず謝った。そしてそのまま行こうとした。


「ああん、待って。リドよ、リド。憶えてらっしゃらない?」


「リド? ああ、二年前だかに花束をくれた」


 リドの隣でやたら顔を赤くしていた、丸顔の女性が、昂奮したように叫び出す。


「凄い! リドちゃん、●●●様の知り合いだって、本当だったんだね!」


「まあね」


 と、リドは言っているが、自分から名乗ることになって自尊心が傷ついているようだった。


「リドさんが、僕に何の用。わざわざ来てくれたんだ」


「ついでよ、あなたなんか」


 リドは少しムキになって言った。きっと僕のそっけない態度が許せなかったのだろう。


 そして彼女は正気に返ったように咳払いした後、何でもないように続けた。


「わたくし、あなたを応援するのはやめましたの。でも、わたくしのお友達が、あなたを一番に推していらっしゃるから、たまたまあなたと顔馴染みのわたくしが、ひと肌脱いだというわけです」


 ひと肌脱ぐとはどういう意味だろうか。つまり、具体的にリドが彼女の友人にしてあげられることとは? もちろんあまり興味はなかったけれども、そこに僕が絡むことになるのなら、無関心のままではいられない。そんなことを考えていると、リドはさっさと雨の中どこかへ行ってしまった。僕は丸顔の女性と二人きりになってしまった。


 丸顔の女性は僕に何か話しかけようとしては躊躇し、もじもじしては僕を上目使いに見るばかりだった。


「何か言いたいことがあったら、言えばいい。怒らないから」


「あ、ありがとうございます。あの、立ち話もなんですから、どこか入りましょう?」


「この酷い雨だしね――じゃあ、ついて来て」


「はい」


「きみの名前は?」


「●●と申します……」


 聞き取れなかった。僕は困惑して、もう一度聞いた。結果は同じだった。


 聞き取れているのかもしれない。しかし頭が記憶を拒絶している。僕のほうから名前を訊ねたのに。


 僕は丸顔の女性がリドと比べて上品な佇まいであることに好感を抱いた。いかにも箱入り娘といった感じだったので、箱入りと呼ぶことにした。


 僕は箱入りを連れて武具店に向かった。軒先に吊るされた弓矢や束になって立て掛けられている短槍など、外観だけでもかなり厳めしい店だった。こんな雨の日なのに店内から漂ってくるのは古い油の臭いだった。


 彼女は自分がどこへ連れて行かれたのか気付いたとき、それはもう唖然として、しばらく雨に打たれていた。


「あの、●●●さん、よろしいですか……」


 箱入りは武具店の軒先まで進んだものの、店内まで進むのは憚れるらしく、戸惑った表情で言った。


「どうぞ」


「あの、これは一種の条件のようなものなのでしょうか?」


「条件? 何の?」


「●●●様と懇意になる為の、です」


「懇意って、男女の仲ってこと?」


「あ、有り体に言えば……」


「きみはそれを望んでいるの?」


 箱入りは胸の前で指を絡ませてもじもじし始めた。


「ええと、その……、●●●様は、私にとって、英雄というか――」


「ちょっと待って。僕の名前、呼ばないでくれるかな」


「え?」


 箱入りは衝撃を受けた顔になり、俯いた。


「そそそうですよね、私みたいな卑しい女が、あなた様のような偉大な方のお名前を気安く呼ぶなんて恥知らずもいいところ――ああ、やっちゃった、私、もう生きてけない……」


「ちょっと待って。そうじゃなくてさ。きみだから駄目とかじゃなくて、僕はあんまり、名前を呼ばれるのが好きじゃないんだ」


「そうなんですか?」


「うん。だから安心して。きみだけじゃないよ、僕のことは――そうだな、隊長とでも呼んで」


「わ、分かりました。た、隊長様……。あの、改めて、ですけど、私はですね、隊長様と男女の仲というか、というよりもむしろ、もっと高尚で神聖な関係と言いますか――」


「ああ、もういいや、それ」


「ええ?」


 箱入りは素っ頓狂な声を上げた。


「どうせきみが何と答えようと、僕はそれに応えられそうにないから。僕の質問が野暮だったね、ごめん」


「い、いえ……」


「で、条件って、何のこと?」


 箱入りは一瞬混乱したようだったが、武具店を見回して言うべきことを思い出したようだった。


「ああ、ええと、あなた様の妻となるには、多少なりとも、武芸の嗜みがあったほうが有利なのかなと思いまして――」


「……ああ、なるほど」


 僕は箱入りの言いたいことを漸く理解して、彼女に申し訳ないと思った。


「ごめん。僕がきみをここに連れて来たのは、僕がここに用事があったからだよ。きみと会わなくても、僕はここに来るつもりだった」


「そうだったんですか」


「そうなんだよ。ごめんね」


「い、いえ……。何というか、良かったです」


 箱入りが落ち着いたようなので、振り返ると、武具店の店主が恨めしそうに僕を睨んでいた。四〇過ぎのおじさんで、片腕がない。元戦士で、戦場で片腕を切り落とされたという。


「三度目だな、ここにお前が来るのは」


 しわがれた声には威厳がある。舐められないように威圧しているのかもしれない。


「そうなのかな」


「また誂え品か」


「そう。目録があるかな」


「ほら」


 店主が勘定台越しに投げてきたのは、分厚い目録だった。埃にまみれている。たぶん僕以外に、この目録を利用する客がいないんだろう。


 店の隅にあった椅子を引き寄せて腰掛け、捲り始めた。前回造ってもらったオブバーの妖剣は感触が悪くなかった。同じ設計者の剣をもう一振り試してみたかった。


 箱入りが僕の隣に立って、一緒に目録を眺め始めた。彼女の濡れた髪が甘酸っぱい匂いを発している。僕は鼻を動かし、きっと彼女の髪を枕当てにしたらぐっすり眠れるんだろうと思った。


「魔導器に興味がある?」


「これ、魔導器なんですか? 剣ばかりのように見えますが」


「過去に製造された剣型の魔導器を集めた目録なんだ。僕の目当ては、中でも、ほら、製造番号に星が付いてるやつね」


 箱入りの白い指が目録の上を彷徨う。


「星が付いている……。どれも他のものと比べて高価ですね」

「過去の一流の戦士たちが一流の設計士に依頼して造り上げたものだから、原材料費やら製造に必要な設備費用やらが、やたらと高いのさ。もちろん性能も抜群に高い」


「●●●様……、失礼、隊長様は、魔導器を使っていらしたのですね。隊長様の活躍する姿は欠かさず拝見しておりますけれど、全く気が付きませんでした」


 箱入りが本当に僕の熱心な視聴者であるということを理解し、ちょっと説明してやる気になった。


「無理もないよ、ほとんどの戦争で、魔導器の能力は制限を受けているから。戦場の端に設置された抗魔導装置が魔導器から本来の能力を奪い去っているわけだね。たとえば僕が数日前まで使ってたオブバーの剣は、能力の制限がなければ、ちょっと相手を傷つけただけで体中の血液をあっという間に搾り取る力を持っている。その前のリンハの小剣は肉を切り裂き骨を断つ風の刃を生み出すし、その前のギンギラエの剣は、突き刺した後切っ先が八つに分かれて回転するという拷問趣味の武器だった。魔導器は全ての戦士が持っているものではないし、制限をつけないと、一方的な展開になってしまうんだ。それでも、制限をつけない戦争も何回か経験したことがあるし、数十年前まではそちらが主流だったようだけどね」


「戦場を変えるたびにお使いになる得物が変わっているなとは思っておりましたけれど、なかなか面白いものですね。過去の映像を渉猟してみたくなりました」


 箱入りはそこで考え込む顔になった。


「どうして隊長様は、わざわざ高値の魔導器を、毎度のように買い換えておられるのですか」


「金の使い道がなくてさ」


 僕は正直に吐露した。


「正規の報酬以外にも、やっぱり、賭けてみたくなるだろう、自分が所属する部隊が勝つほうに。それに一応、僕は職業が戦士なわけで、全力で戦う義務があるのだと思う。戦場を設定し、徴兵する費用は、全て都に住む人々の賭け金によって賄われている。僕はその人たちを満足させなければならない。でも、僕はほら、こんないい加減な男だから、賭博でもやって尻に火を点けないと、もしかしたらやる気が起きなくなるかもしれない」


「なるほど」


「僕は勝率が良くて、どんどん金が溜まるんだ。金の使い道が分からないから、賭け金はどんどん多くなり、大きく出たときに限って負けたりもした。それで何軒かノミ屋を潰して――見知らぬ人から猛烈に感謝されたことがあるけど、たぶん、それが原因だな」


「申し訳ありません、ノミとは何です?」


「胴元以外が賭博の賭けを仕切ること」


「ああ、代理で賭博の手続きをしてくれるということですか」


「違う。ノミ屋は実際には票券を購入することはないんだ。ええと、あんまりきみみたいな純粋そうな女の子に変なことを教えたくないけど」


「あ、ありがとうございます、私のことを気遣ってくれているのですね」


 箱入りは赤面し、僕から少し離れた。六週間よりも、よっぽど女の子らしいな。躰もぷよぷよしていて、抱き締めたら気持ち良さそうだ。


 僕は目録に視線を落とし、デイシャンの剣なるものを注文することにした。説明書きによれば、七〇年以上前に活躍した細身の戦士の愛剣であり、雷の力を宿しているのだという。


「届け先は後で知らせるから」


 武具店で注文した武器は、製造され次第、僕の次の戦場に送られる手筈になっていた。主人もその辺は心得ていて、手続きは迅速に行われた。


「雨が降るまで、ここにいてもいいかな」


 僕は主人に訊ねた。主人は不機嫌そうに頷いた。大型の契約が決まったのだから、もう少し嬉しそうにすればいいものを、たぶん、主人は今やっている仕事そのものが気に喰わないのだろう。あるいは僕のことが嫌いなのか。


 僕は店の隅に転がっていた椅子をもう一脚見つけて、軽く埃を払った。そして立ち尽くす箱入りに勧めた。


「どうぞ、お嬢さん」


「あ、ありがとうございます……」


 僕と箱入りは並んで椅子に腰掛けて、ザアザアと降りしきる雨の通りを眺めていた。


 しばらく会話がなかったが、彼女が意を決したように話し始めた。


「あの、隊長様って、凄く、お優しいですよね」


「そうかな。優しかったら人なんか殺せないと思うけど」


「でも、見ず知らずの私に、こんなに良くしてくれています」


「椅子勧めたくらいしかしてないと思うけどね……。でも、まあ、褒めてくれてありがとう」


「は、はい。どういたしまして……。あの、それでですね」


「うん」


「良かったら、その……。私とこれからも、お会いになってはくださいませんか?」


「ああ……。うん、別にいいけど」


「本当ですか?」


「うん。でも、僕は戦場と拠点を行き来するだけだし、行き先は自分では決められないんだよ。だから……」


「構いません! 私が隊長様を追いかけ続けます! 地の果てまで!」


 あまりに迫力があったので、僕は一瞬唖然とした後、笑ってしまっていた。箱入りはまた赤面して、俯いてしまった。


「す、す、すみません、はしたないですよね――」


「いや、今、きみは僕を殺せたよ。尊敬する――戦場でさえ、こんなにも僕の心を掴んだ戦士はいなかった」


「ええと、それは」


「もちろん、褒めているんだよ。きみは良い戦士になれるよ」


「ええと、ありがとうございます……?」


 自分の言葉の用法が正しいかどうか分かりかねた様子で、箱入りは言った。僕は笑い、もし彼女の名前を知っていたら、今きっと親しげに呼びかけただろうに、と思った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ