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この平穏な世界にようこそ(2)

 戦争は引き分けだった。どちらの部隊も降伏許可が降りたが、権を行使しなかった。制限時間を超過し、胴元が終戦を宣告したのだった。僕は結局、三四人殺した。


 赤の部隊の半分は戦死していた。残りの更に半分が負傷し、本国に強制帰国させられる。また、無事だった者の過半数は、戦士としての引退を表明し、負傷者と共に帰還した。


 生き残り、かつ戦場に留まることを選択した者も、移動を余儀なくされた。戦闘のたびに部隊が再編されるので、生き残った戦士は一旦街へ送られ、休息がてら、待機することになる。全ての戦士が戦場に出られるわけではないので、待ちぼうけを食らうこともある。僕が新人の頃はよくあったが、最近は全くない。


 昔、街に入り込んだ戦士でもない厚化粧の女が、僕のことを応援していると言って花束をくれたことがあった。女性の名前はリドといった。彼女は、僕がいかに都の人間から愛されているかを力説し、毎回僕の所属する部隊に二万枚の銀貨を賭けていると言った。


 さぞかし儲かっているだろう、と言うと、リドは小さく笑って頷いた。


「全て、あなたのお金よ――あなたの態度次第でね」


 リドは僕と結婚したがっていたらしい。しかしそうする理由がなかった。同時に、そうしない理由もなかった。つまりどうでも良い。聞けば、僕と彼女は国籍が違ったので、結婚には煩雑な手続きが必要であるとのこと。それを結婚しない理由として挙げてみたら、案外、彼女はすんなり諦めてくれた。本気ではなかったらしい。


 リドはその後、他の戦士にも言い寄り、素晴らしい夜を過ごしたらしい。僕もそういうことをした経験はあるが、感動はなかった。全ての行為、自身の胸の高鳴りさえも、機械的なものに感じられた。たとえば食事や排泄や睡眠などを介して、それぞれの躰の部位の固有の役割を再確認したような感覚だった。


 僕は馬車から降り、街を訪れた。早くも戦場が恋しかった。けれども文句を言うわけにもいかない。戦争には相手が必要であり、相手を用意してくれるのは胴元だ。胴元の指示は絶対。


 四角い石を積み上げただけの無骨な構造物が立ち並ぶ街の通りに湿った潮風が吹き抜ける。ここは世界中に数百あると言われる戦士たちの生活拠点の一つ、アーリオだった。僕の最近の主戦場はカウカ大陸西部であったから、この街の世話になることが多くなっていた。陋巷と言っても良い未成熟な街だったけれども、蒼穹に揺蕩う伸びやかな雲塊と海鳥の暢気な鳴き声がこの街の彩度を引き上げているように思う。


 指定された宿へ向かうと、早くも戦士たちは酒場を占領して、一杯やっていた。


 僕は酒を飲む習慣がなかったので、そこを素通りして、自分にあてがわれた部屋に向かった。階段の踊り場には盛った男女が縺れていたけれども、そこもやはり通り過ぎた。


 三階の廊下には誰かが吐いた跡があった。そこを跳び越えたとき、ふと、妙な感覚が襲ってきた。


 腰に吊るしている剣の柄を握り、力を少しずつ込めた。そして思い直し、外套の下に得物を隠した。


 自室の扉を開ける直前、僕は直感した。


「六週間か?」


 僕が扉を開けて踏み込み、誰もいないように見える部屋に向かって呼びかけると、窓掛けの陰から出てきた女がいた。


「隊長、それって私の名前ですか? 幾ら何でも酷過ぎじゃないですか」


「ごめん」


 僕は素直に謝ったが、彼女の名前を思い出せないのだから仕方ない。


 六週間はニヒヒと笑って、


「もういいです。でも隊長、私と六週間くらいの付き合いだってことは憶えているんですね」


「人の名前を憶えるのは苦手でも、その人と僕との関係性は、憶えられるんだ」


「ときどき、隊長がふざけているんじゃないかって気になりますよ」


「全然、そんなことないよ。あと、僕は今、きみの隊長じゃない」


「じゃあ、●●●さん」


「やめてくれ」


 きっと六週間は僕の名前を呼んでいるのだろう。しかしそれが聞き取れなかった。その瞬間だけ自分の鼓膜が鉛のように凝り固まり重くなったような心地がする。


「ほら。隊長って呼ぶほかないじゃないですか。それに、私が知ってる限り、隊長はいつでも隊長でしたよ」


「じゃあ、隊長でいいよ」


 僕は面倒になり、言った。剣を壁に立て掛け、寝台に腰を下ろし溜め息をつく。


「で、何か用かな」


「隊長はお酒を飲まれないんですか」


「僕、弱いみたいなんだ。すぐ吐いちゃう」


「可愛いですね」


 あははと六週間は笑う。


「僕はきみより年上だと思うけれど」


「そうですね」


「可愛いって言葉は、普通、女の子か、幼子に使うべき言葉だと思う」


「意見の相違ですね。私は隊長にこそ使うべき言葉だと思ってます」


「まあ、別にいいけれど」


 僕はまた面倒になって話を中断させた。早く六週間が出て行ってくれないかと思った。もう眠りたいのに。


「リューちゃん、死にましたよ」


 六週間が言った。


「ああ、そうか」


「憶えてます、リューちゃんのこと?」


「きみと一緒につまみ食いしようとしてた子だろう」


「リューちゃんの名前、憶えてたんですね」


「ああ、言われてみたらね」


「隊長って、死神なんですか?」


 僕は六週間の顔を見た。彼女は真剣な表情をしている。もっとも、女の表情なんてアテにならないけれど。


「人間だよ」


「でも、隊長に名前を憶えられた人間は、近々死ぬって噂がありますよ」


「迷信だな」


「隊長自身、そう思うんですか」


 僕はそう言われてから初めてその事実について考えてみた。


「いや……、どうだろうな。他人がこんな話をしてたら、迷信だと思うだろうな。つまり一般的な解釈としては『迷信』が妥当なんだろう。ただし、思い当たる節はあるかな。それを信じるって意味ではないけど」


 六週間は腕を組み僕を見下ろすようにして、ずいと迫ってきた。


「隊長、私の名前、言ってみてください。私の名前は●●●●ですよ」


「……ごめん。聞き取れないよ。六週間という言葉しか浮かばないな。来週には七週間って呼ぶだろう」


「やっぱり、隊長って、死神なんですね」


 何故か六週間は嬉しそうに言った。僕は、死神と呼ばれることが嫌だったわけではないが、嬉しいわけでもない。ただ彼女が嬉しそうな顔をするのは、悪くない気分だ。この感情の動きを「どうでもいい」と片付けることは可能だったけれども、リドに結婚を迫られたときに感じた「どうでもいい」と比べれば、遥かに有意義だったように思う。


 思うに、僕は六週間のことを気に入っているのだろう。


「ところで、僕ときみはよく同じ部隊に入れられるね」


「そうですね。戦場では共闘することがないので、あんまり意味がないですけど」


「きみは、僕がさっさと降伏しないことをどう思う?」


「そういう部隊なんだってことで、とっくに諦めてますよ。この前の戦いね、リューちゃん、降伏許可が下りたときは、まだ健在だったんですよ」


「そうか」


 彼女は僕が殺したようなものだな。僕は淡々とその事実を受け止めた。


「罪悪感とか、あるものなんですか」


「罪悪感ね。罪悪感……。きみは怒るかもしれないが、全くないな」


「怒りませんよ。だって戦場ですよ。自分の命は自分で守らないと」


「きみは自分の命を守っているのか?」


 ちょっと舌足らずだっただろうか、と言った後に思ったけれども、六週間は躊躇なく答える。


「隊長みたいに強くないですからね、守るので精一杯です」


「どうして戦士を続ける?」


「面白いから、って言ったら、呆れますか?」


「いや……」


「十五歳の春に、地元の文法学校に行くか、戦士になるか選ぶことになって。まあ、当然のように皆は学校に行くわけですよ。私はでも、魔導に興味があったから」


「魔導に興味? 猶更進学しようとするものじゃないかな?」


「私、バカだから、魔導の理論とか絶対に理解できないって、思ってたんです。でも戦士になれば、間近に魔導器を見られるでしょう」


「それはそうだね」


 しかし僕は六週間が本当のことを話していないと直感した。後ろめたい理由でもあるのだろうか。もちろん、彼女がどんな理由でここにいるとしても、僕は好感も反感も抱かなかっただろうが。


「隊長が使ってるのも、魔導器ですよね。幾らくらいしたんですか」


「カウカ銀貨で二千枚……、でもソスド金貨で払ったから、それで九〇枚」


「割高じゃないですか。ああ、でも、隊長はお金持ちだから、それくらいの投資は余裕ですよね」


「これ、欲しいならあげようか」


 僕は妖剣を抜き放ち、微睡む刃を見詰めながら言った。


 六週間は僕の挙動に怯んで身を引きながらも首を横に振った。


「えっ、そんな、悪いです」


「いらないなら、いいけど」


「いらないわけじゃないです」


「欲しいならあげる。いらないならあげない」


「欲しいです。でも、後で躰で払えとか言い出しませんよね」


 僕は剣を収め、六週間に差し出した。彼女は恐る恐る手を出し、柄の感触を確かめていた。


「ちょうど、武器を新調しようと思ってたんだ。これ、贋作だしさ」


「そうなんですか?」


「贋作と言っても、構造から成分まで、完全に模倣しているから、性能的には問題ないよ。オブバーって女戦士、知ってる?」


 六週間はしばらく首を傾げていたが、やがて手をぽんと打った。


「あ、思い出しました。私が子供の頃、花形でしたよね。隻眼で、胸がおっきくて、戦ってるとき笑ってて」


「そう。その人が使ってた武器を、贋作師に造ってもらったんだよ」


「過去の英雄に憧れて、ですか? 隊長ってそういうことに興味がないと思ってたから、ちょっと意外です」


 憧れなのだろうか、と僕は一瞬考えたけれども、そういうことにしておいても良いだろうと思った。


「僕が使う武器は、全部贋作なんだ。性能は保証されているし、見栄えも良い。値は張るけれど、設計料は無料だから、一から誂えるよりは安価だ」


「なるほど。でも過去の英雄と同じ武器を使うなんて、おこがましいというか、隊長くらい強ければ誰も文句を言わないでしょうけど、私なんかが……」


「きみにもそういう配慮が働くんだね」


「む……、ちょっと、それどういう意味ですか」


「ごめんなさい」


「いや、そんなあっさり謝られても困りますけど」


 六週間は苦々しく笑い、剣を片手に、部屋を横切った。


「そろそろ行きます。下で待ち合わせしてる人がいるんです」


「その割には僕と長く話してたみたいだけど」


「その人に、隊長がどんな人なのか、教えてあげることになったんです。その人、隊長に憧れてるみたいで」


「それは光栄だなあ」


 もちろんそんなことはどうでも良かった。六週間もそれに気付いたらしく、意地の悪い笑みを浮かべた。


「隊長もお世辞とか、言えるんですね」


「とんでもない。今のは本音だよ」


「どうだか。隊長、また一緒の戦場だといいですね。この剣、大切にします」


「うん」


 六週間が部屋から出ると、僕は大きく息を吐いた。六週間のことは嫌いではない。けれど人と話すのは疲れる。言葉を紡ぐたびに魂が汚れていく気がするのはなぜだろう。よほど気に入った人間が相手じゃない限り、長時間話すのは遠慮したかった。


 靴を脱いで寝台に寝そべる。染みの目立つ天井を見つめ、全身に残る熱が放散するのを待つ。


 開け放された窓から涼風が入り込み、僕の躰を緩やかに冷やしていく。眠気に襲われ、瞼を閉じた。


 夢を見ようと思った。夢の中なら戦場に戻れるから――戦場で僕は生きることができるから。


 けれど、今夜の夢は僕の希望からはかけ離れたものだった。その夢は過去の出来事を基に構成されていた。灰色の帽子をかぶった記者が僕に質問する。記者の傍らには赤いローブを着た少年が立ち、僕の表情をその網膜を通して世界各地に転送している。


「恋人はいるんですか?」


 記者の不躾で傲慢な口調。これは現実世界の僕が、実際に受けた質問だった。しかし、何と答えたのか、憶えていなかった。


「住居をお持ちでないとのことですが、お金はたんまりあるでしょう?」


 記者の質問。これもやはり、僕は何と返したのか憶えていなかった。


「どうして戦士になったんですか。刺激を求めて? それとも、目当てはお金? 名声?」


 この質問にもどうやって答えただろう。改めて考えてみると、僕は明確な答えを持っていなかった。


「人を殺したかったからかな」


 敢えて言葉にすると、答えはそれになる。しかし、これだけを聞けば、ほとんどの人間は僕を快楽殺人に耽る狂人だと判断するだろう。僕は、自分で言うのもなんだが、いたって平凡な男だった。平凡過ぎて呆れることだってよくある。そして、人を殺すことに快感を覚えるわけでもない。


「もっと誠実に答えるなら、さ……。僕は自分を殺したいのさ。でも、死にたくないんだよ。矛盾してるって人は言うかもしれないけどね、でもこれが僕の誠実な答えなんだ」


 ときどき、僕は、自分がこの世に生まれてきたのは間違いだったと思うことがある。


 誰かから必要とされるとか、誰かに愛されているだとか、誰かの命を救うだとか……。


 そんなことで自分の生の意味を確かめる人なら、苦労はないだろう。けれど、僕はどうしても、そんなことで自分の生を肯定することはできなかった。


 記者がまた一つ、何か質問をした。僕はその中身を把握できなかった。


「答えてやってもいいけどさ」


 僕は剣を抜き放った――黒い刀身の直刀。


「そうしたら、あなたを殺してもいいか」


 記者は了承した。


 僕は記者を斬り殺し、屍を蹴飛ばし、深く息を吐いた。けれど記者はすぐに立ち上がり、散らばった内臓を拾い集めて、自分を修復した。そして次の質問をした。


 何という記者魂。僕は楽しくなって、彼と遊び始めた。


 記者が質問をする。


 それに答えた僕が記者をばらばらにする。


 記者はばらばらになった自分を元の姿に戻す。


 僕は夢中になって、記者と遊び続けた。子供の積み木遊びに似ている――ただし違うのは、この積み木は独りでに積み上がり、僕がそれを崩すのを待ち望んでいるという点だ。


 幸せな世界だった。現実の世界には負けるけれど。


 でも、現実の世界にある面倒事は一切なさそうだから、ここも悪くない、と思った。


「夢から醒めなければいいのに」


 僕は言った。そして例によって夢から醒めた。すぐに、我ながら悪趣味な夢を見たものだと思った。人を殺すのはともかく、それが生き返るなんて、悪趣味以外の何物でもない。


 もし、何度死んだって生き返るのなら、僕は戦士なんかやらない。


 一度きりの命、使い捨ての人生。


 だからこそ戦う意味があるっていうのに。


 まだ夜明け前だった。僕はもう一度眠ることにした。今度は夢を見なかった。あるいは、見た夢があまりに絶望に満ちていたので、見ている傍から忘れた。


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