一緒に泣くから(4)
生徒への訓練が始まるまでに、僕の無能さが露呈された。
僕の剣は我流で、当然他人に教えるとなると全く言葉にできず、実演しても真似できる者は一人もおらず、実戦形式で打ち合いすると、防具を着けているにも関わらず必ず相手を怪我させた。
結局、僕は広報活動に駆り出されることになった。多くの人間が、僕にはこれが最も不向きだろうと考えていたようだ。けれど、そうでもなかった。僕は自分を殺して記者たちの質問に無難に答えた。ケイス所長に、笑顔が足りないと言われたので、常に笑っているように心がけた。
間もなくして、エストアから、人懐っこくなった、感じが良くなった、と評されるようになった。自覚はなかったが、たったこれだけで認められるようになるなんて、やはり僕は平凡な人間だったのだと思った。簡単に世間に融け込める。特別だと言われ続けてきた僕も、皮を一枚剥げば、他の人と変わらない。
生徒の受け入れが始まっても、僕は修練所以外の場所にいることが多く、訓練の場に遭遇することは滅多になかった。仮に生徒と接しても、教えられることなど一つもなかった。ちょっとでもやる気になると、必ず生徒を怪我させたので、他の講師からは煙たがられた。
けれども、僕が表に出て広報しているのに、いざ修練所に高い金を払って入所しても、僕と滅多に会えないとなると、詐欺にも等しい。そのような批判が起こり、僕は段々と修練所での活動を指示されるようになった。
取材のない日は基本的に暇で、大半はエストアの指導する教室の補佐をした。彼女は優秀な戦士であり、受け持った生徒たちはみるみる自信に満ちた顔になった。
生徒の大半は一五歳以下の少年少女だったが、僕より年上の人間も少なくなかった。皆、戦場で戦果を挙げて金を稼ぐことを夢見ていた。戦争は金を稼ぐ手段になっている。僕にとっての黄金郷は跡形もなくなっていた。それが寂しいのか、それとも戦場を失い自分が寂しい人間だということを思い出したのか……、とにかく僕は毎日が憂鬱だった。
「剣を教えてください」
生徒の一人が僕に言い寄ってくる。赤い髪をした、一四歳の割に背の高い少年だった。僕と目の高さがほぼ同じだ。
「今日の訓練は終わってる。明日ね」
「今がいいんです」
生徒は食い下がる。汗にまみれた少年はたった今、講師に課せられた訓練を消化したところなのだろう。
「きみの担当講師は?」
「エストア様です」
「ああ、六週間か……。彼女は意外と生徒を束縛したがるから、僕が勝手にきみと打ち合ったら叱られてしまうな」
「先生……」
「僕のこと?」
「はい。先生は、どうしてエストア様のことを六週間と呼ぶのですか?」
「ああ、彼女は、僕に名前を呼ばれると気味悪がるんだよ」
「どうしてです?」
「僕に名前を憶えられると近い内に死ぬっていう迷信を信じているらしい」
少年は露骨に恐怖を覚えたようだった。僕も普通の人間なのに、そんな不可思議な力を宿していると思われてしまうのだろうか。
「言っとくけど、迷信だから。実際、彼女は死んでないし」
「そうですよね……、先生、ぼくの名前を知ってますか」
「いや。言ってごらん」
「●●●●といいます」
「きみの名前、聞き取れなかった。だから、エストアの迷信を信じるなら、きみはまだまだ死ねないよ」
「死ねない、ですか?」
少年は不思議そうな顔になった。しかしちょっとした言い間違いだと思ったようだった。僕は肩を竦めた。
「そう。だから、戦場に出れば金を稼げるんじゃないかな」
「ぼくは、金なんかどうでもいいんです」
赤髪の少年は僕の目を真っ直ぐ見据える。
「じゃあ、どうしてここで戦いを学んでいるんだ?」
「先生に憧れているからです」
「……僕に?」
「先生の戦いは全て見てきました。いつか先生と戦うのがぼくの夢でした。一五歳になる前に先生が引退してしまったので、もうその夢は諦めてたんですが……。でも、この修練所に来れば先生と会えると知ったので」
「それでここに入所したんだ。酔狂だね」
「そんなことありません。先生はぼくの憧れなんです」
「ふうん……、でも、エストアを怒らせたくないんだよな。彼女の許可を貰ったら、剣を教えてあげてもいいよ」
「駄目なんです」
「うん?」
「エストア様は、『絶対にレンドさんとは戦わないように。怪我するから』って、毎日のように言ってますよ。許可なんかくれるはずがありません」
「そう言えば、彼女、よくそういうこと言うよなあ。でも、冗談じゃないの?」
「違います。エストア様は本気で思ってることほど冗談っぽく言うんです」
「へえ。きみは僕より彼女との付き合いが短いのに、よく見ているね。……でも、じゃあ、彼女が冗談を言うときはどんな感じなのかな」
「冗談っぽく言います」
「それじゃあ、本気と冗談の区別がつかないね」
「それが狙いなのだと思います」
「なるほど、巧妙だな」
「……先生、それで、僕に剣を教えてくれるんですか」
「うーん。僕は説明が下手だから、剣を教えるとなると、実際に打ち合うしかないんだけどさ」
「それがいいです。お願いします」
「……でもなあ、彼女を怒らせたくないんだよなあ」
「先生は、エストア様より立場が上なのではないですか?」
「どうしてそう思った?」
「戦士としての格は、エストア様には失礼ですが、先生のほうが上です」
「かもしれない。けど、僕はろくにモノを教えることができない、単なる客寄せだよ。彼女のほうがきみたちにより多くの知識と技術を与えられる」
「そんなもの、欲しくありません」
「へえ?」
「ぼくが欲しいのは、先生との時間です」
「……一瞬で終わるよ?」
「お願いします」
僕は少年の願いに応えることにした。修練所の中を歩き回り、空いている訓練部屋を見つけると、中に入った。魔導器の明かりを点ける。石壁には無数の武器が立て掛けてある。多くは殺傷能力の低いものだが、中には鉄剣や斧も置いてある。僕は入口近くに置いてあった箱の中から木剣を引き抜き、軽く振った。重りが入っているらしく、木剣とは思えないほど重い。
少年も木剣を手に取ったが、
「防具着けて。それと、きみは真剣で」
と注文をつけた。
少年は驚いた様子だったが、素直に従った。僕は防具を着けなかった。少年の斬撃を喰らえば、それが浅くても、致命傷になるだろう。
「お願いします」
少年は剣を構えた。兜に胸当て、籠手、脛当て、完全防護していた。首と胴に隙間が見られる。ついそこを狙いたくなってしまう。もちろん、そこを突けば防具を着けていないのと一緒だ。絶対にやってはいけない。
少年が間合いを詰める。僕は軽く木剣を振り、空を切る音を聞いた。足は動かさない。みるみる両者の間が詰まり、やがて少年の剣の切っ先が僕の突き出した腕に触れそうになった。
少年は隙のない構えをしていた――エストアに教えられた構えだろうか? いかにも平凡だし、それに、彼がこれから攻撃をしようとするなら、最初にどこに隙が生じるのか、透けて見える。
未熟だ。どうしようもなく未熟だ。戦場で会っていたら、僕は数秒でこの雑兵を斬り殺していただろう。記憶の片隅にも残らない。少年はいよいよ攻撃に出た。鋭い突き。若さだけが評価できる、そんな迷いのない未熟な突き。
僕は難なく躱し、少年の胸に膝蹴りを喰らわせた。もちろん、防具が少年を守ってくれる。痛みは全くないはずだが、僕の挙動に驚いたようだった。何が起こったのか分からない顔をしている。
「ふざけないでください、ちゃんと戦って!」
「僕は真面目だ」
「先生が戦場でそんな風に戦っているのを、見たことがありません!」
「確かに、ないと思う。けど、それはきみが未熟だからだよ。こんなに隙を見せる敵はまずいなかった」
本当は、少年より未熟な戦士など山ほどいた。けれど彼らはとにかく数を恃んでいた。とても遊んでいられる状況ではない。膝蹴りを喰らわせるような余裕はまるでなかった。
「……先生、ぼくは、戦場に出たらすぐに死にますか?」
「分からない。僕と同じくらい強かったら、生き残れると断言できる。けど、きみはそれからは程遠い。だから、自分の命をもって確かめるしかない」
少年の顔は引き攣っている。
「どうした。来い。もういいのか?」
「い、いきます」
裂帛の声を上げて少年は突進してくる。木剣で軽く払い、勢い余ってつんのめったところを擦れ違い、首の後ろを叩いた。少年は倒れそうになったがすぐに体勢を整えて、剣を薙いでくる。僕はそれを鼻先で躱し、素早く切り返す。木剣が兜を叩き、顎紐がずれた。
少年は自分で振った剣の勢いに負けて躰が捩じれ、僕はもう一撃加えることができた。尻餅をついた彼は茫然と僕を見上げた。
「今ので、三度目の死かな。エストアに学べば、もう少しマシになるんじゃないか。まずは得物を自由に扱えるようになること」
「先生は……、どうしてそんなに強いんですか?」
「えーと、そうだなあ、どうしてだろう」
「取材のときは、必死に訓練したからだ、とか言ってましたよね。でも……」
「ああ、うん。それは嘘だな。真面目に鍛錬なんかしたことがない」
「じゃあ……、才能ですか?」
「……ちょっと違うかもな。好きだからじゃないかな」
「え、何がです?」
「戦場が」
「戦場が、好き?」
「好きな人の為なら頑張ろうって気になるだろ?」
僕は言い、箱入りの顔を思い出した。
彼女の名前を知りたい。
でも、何度聞いても、彼女の名前を僕は拒絶してしまう。
理由は何だろうか。ずっと考えていた。
最近、分かった気がする。戦場から離れて、分かった気がする……。
僕は戦場に嫉妬しているのだ。
戦場に恋い焦がれる者、全てを、僕は嫉妬している。
戦場に正しく関わろうとする者に、僕は羨望を抱く。じきに僕が戦場を嫌いになることは分かっていたから、戦場が好きだと伝わってくる者に嫉妬する。
ああ、そうだ。分かっていたよ。僕は。箱入り、きみのことが好きだ。正しく僕に接しようとしてくれたきみが。僕より遥かに強いきみが、好きなんだ。
「先生にも、好きな人がいるんですか」
少年が僕の正面に立って問う。
「ああ、いるよ。今度、会わせてあげるよ」
少年は奇妙な表情になった。楽しみなような、見たくないような……。そして静かに剣を構えた。
「先生、もう少し付き合ってください」
「まだ懲りないの」
「先生に勝てたら、他の誰にだって負けません。これって、凄いことじゃありませんか? 見ず知らずの人間にも、ぼくのほうが強いって、断言できるんですよ」
「ああ、考えてみたら、凄いかもね」
「でしょう。だから、先生、僕にもその景色を見せてください」
景色。僕の見る景色。
ろくでもない景色だ。この世界には絶望が詰まっている。少し歩いただけで絶望に当たる。何かを手に入れたらそれには絶望が混じっている。僕の中に絶望が潜む。たぶん、箱入りの中にも、それはある。
生まれてしまった以上は仕方のないことだ。早く死んだほうがいいんだ。早く、早く! でも僕は死にたくない。ああ、矛盾している。けど、理想と僕の感情に齟齬が生まれたって、本当は、矛盾はない。勉強したくない、でも勉強しないと進学できない、進学はすべきなのに。そんな思考に似ている。いや、もう少し複雑か。放っておけば僕は生き続け、死ねばその先には何もないから……。
「何やってるの!」
六週間もといエストアの叫び声で、僕と少年の稽古は終わりを告げた。彼女の殺意の篭った眼差しは、なかなか迫力があった。
「きみと戦場で会いたかったな」
「今なら隊長を斬殺する自信がありますよ」
エストアは物凄い形相で言ってから、困り果てたように笑った。少年の着けている防具はボコボコで、下手をすると死体よりも見栄えが悪かった。
「腕は衰えてないみたいですね。●●●●くんは私の生徒の中でも一番の腕前なのに」
「そうなんだ? へえ。こんなもんか」
僕は木剣をあった場所に戻した。そして部屋を出て行こうとした。エストアの声が追いかけてくる。
「そうそう、●●さんが明日、こちらに到着するそうですよ」
「え? 誰が?」
「隊長の奥さんです」
僕は振り返った。しかしエストアの表情より先に、少年が驚愕の表情をしているのが目に入り、苦笑してしまった。
「奥さんの名前くらい、憶えられないんですか」
「たぶん、彼女の口から聞きたいんだと思う」
「名前を? でも、私はモロに口に出してますけどね」
「耳に入ってこないんだ。彼女の名前。聞こえているんだろうけど、片っ端から忘れている」
「今更ですけど、どんな頭してるんですか」
「僕は死神なんだろ……、人間の頭じゃない」
「それ、冗談ですから。隊長、本気にしてたんですか?」
「え? ああ、いや……。もちろん、本気じゃなかったけど。まさかきみがそんな風に言うなんて思わなかった。ちょっと驚いた」
「……ねえ、隊長。本当に人の名前が頭に入ってこないんですか? 病気じゃないですか。単に人の名前を憶えるのが面倒なだけだと思ってましたけど」
「それもあるかもね。でも、人の名前を知ると、その人について、余計なことまで考えてしまう気がするんだ。興味のない人間の名前なら、憶えても、考えることはないだろうけど」
「なるほど」
「僕なりの解釈だけど」
「僕なりも何も、隊長自身のことじゃないですか」
「そうだね」
僕は頷いた。彼女の言う通り。余計なことを想像すればするほど、躰が淀み、戦場に毒を撒き散らすような気がした。
もう僕は戦場に戻れない。だからそんな配慮は必要なくなった。
それでも箱入りや、目の前の生徒の名前を聞き取れないのは、彼らを穢したくないからだ。僕のくだらない想像で。




