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きみが殺して(6)

 雪のまだ残る戦場。砦には二百人の赤の戦士が詰める。老若男女。かつて少年少女で構成されていた軍団は、様変わりしていた。この世界は変わりつつある。意識を変革したものは何なのだろう。何がこの世界の腐敗を早めているのだろう。やがて人はこの戦争を否定し始めるだろう。そしてそうなったとき、管理された戦争は潰され、世界中に突発的な紛争が溢れ出し、黄金時代は終焉を告げる。


 僕にはそれが分かっている。どうして他の人間が分からないのか、不思議だった。欲望は外に置いておくべきもので、戦場には何も持ち込むべきではない。戦場とは本来その為のもの。欲望や打算で戦場を穢す人を血で洗い流してしまいたい。ここは生きることに前向きな人の場所ではない。少なくとも、僕はそう思っている。どうしてあなたたちは前向きでいられるのか、問い質してみたい。本当はあなたの瞼は閉じているのではないか。何も見てはいないんじゃないか。たまたま前を向いているだけじゃないのか……。


 僕は今回、部隊長ではなかった。いつもなら、ささやかな職務が与えられていたのだけれど、一般の戦士という立場では自由に振る舞うことができた。いつものように食堂を陣取り、そこで眠った。どうして食堂で寝泊まりするのか、誰かに聞かれた。僕は何と答えただろうか、思い出せない。きっと些細な理由だろう。でもいつまでも心に引っ掛かっている、解消できない理由。


 僕はじっと考えていた。食事をすることが億劫だった子供時代。躰は痩せ細り、頻繁に貧血で倒れていた。きっと躰が死にたがっているのだと思った。でも、あるときから普通に物を食べられるようになった。


 何があっただろう? 戦争の映像を初めて見たのは、その頃だったろうか? 僕は食事や排泄や睡眠といった、生きるのに必要な行為を疎んじていた。これからもこれらをずっとこなしていかなければ生きていけないなんて、なんて苛酷なんだろうと思った。けれど戦争を見て、そうではないと思った。この為に生きる、とまでは言わない、ただ、あの中に放り込まれて僕は何を思うか、どうしても知りたいと思った。あそこが居場所なのだと、僕は確信した。僕の目的は生きることから、戦うことに変わった。戦う為に生きる。そうやって理由は重くなり、僕を太らせ、こうしてここであれやこれやを考えるに至っている。


 いつ死んだって構わないはずだ。戦う為に僕はここにいるのだから。僕がこうして食堂に居座り、仲間たちが食事のたびにここを訪れ、そして去っていくのを見ていると、僕は滑稽なものを目の当たりにしている気になる……。僕は彼らに訊ねてみたい、きみたちは何処を目指しているのか? 教えて欲しい、きみたちはどうやって死のうと考えているのか? この当たり前の反復行動に、疑問を抱いていないのか? 


「鐘の音だ」


 誰かがいった。僕にはそれが聞こえなかった。辺りは騒然となっている。どうやらちょうど食事時だったらしく、多くの人が周りにいた。


「短く、一回だけ鳴ったよな?」


 誰かが言った。そして遠くから喊声と悲鳴を同時に聞いた。


「奇襲だ。奇襲!」


 僕は廊下に出た。砦の中の人間が異様に少ないことが気になった。食堂にいた人間でほとんど全てだった。半分以上が既にいない。


 僕は気付いた――互いの部隊長は、策略を用い、相手の砦を攻め落とすことを考えていたのだろう。密かに部隊を展開させ、砦の奇襲を画策した。もし、これが自然発生的な戦争で、勝敗こそが何より重要なものだったなら、その程度のことはして当然と言える。だがこれは世界中の人間が観戦している、見世物だ。勝敗が何より大事なことだとはどうしても思えない。勝利を目指して可能な限りのことをする、そこに美しさや意義を見出そうとするなら、僕はそこに人間の生き死にを絡めるべきではないと思う。というのも、戦場は一人の人間と一人の人間が向かい合い、殺し合う場所を提供しているものであり、部隊という枠組みは飾りでしかないと思っている。そこの勝敗を第一に考えるというのなら、主役は個々の人間ではなく、部隊長を中心とした少数の人間となるだろう。


 僕は今回、部隊長ではない。脇役ということになる。冗談ではなかった。僕は自分の為に戦う。誰かの為に戦うわけではない、まして部隊の勝利の為に戦うだなんて。


 馬鹿らしい。なんてくだらないものに成り下がってしまったんだ。


 僕は砦を駆ける。きっと銀髪の彼女も、僕と似た気持ちでいるに違いない。彼女が奇襲に加わっているとはどうしても思えず、僕は外に出た。途中、襲いかかってきた一団があったが、問題なく排除した。


 外は明るかった。まだ昼過ぎだ。おかげで腕に自信のない人間は無闇に襲いかかってこない。僕もそこそこ長い距離を旅してここに来たわけだが、ここでも恐れられているらしい。ああ、たまには役に立つんだな、買い被りというやつも。


 きっと彼女は自軍の砦に籠っているだろう。ときどき襲ってくる向こう見ずな奴の相手をしながら、敵方の砦を目指した。


 僕は部隊を率いるとき、自軍の砦に篭り、敵の来襲に備えるようにしていた。特に意味はない。たぶん、相手の準備が出来ていないときに襲ってしまったら、満足な戦いにならないだろうという思いがあり、そうしていたのだと思う。


 僕が雪の残る平原を走っていると、その画が珍しかったのか、〈眼〉が群がってきて僕の姿を捉えようとした。既に両軍の砦で戦闘が起こっているのに、ただ走っているだけの僕を映してそれで良いのだろうか。僕は存在そのものが見世物になっているのかもしれないな。たぶんその死にざまも、さぞかし良い見世物になるだろう。僕はずっと死ななかったおかげで、命が奇妙な形で歪んでしまったぞ。一人の人間が死ぬという、ごくありふれた現象に、世界中の人間が注目しているのだから変な話だ。今、この瞬間にも同じ戦場の人間が誰かに殺されているというのに。


 砦間の平原は、思いのほか広く、敵方の砦に辿り着いたときには、僕の息は乱れてしまっていた。これほどまでに距離があるとは知らなかった。僕がこれまで戦ってきた相手はこの道程を歩んできたのだ、と思うと知らない世界が広がるようだった。大袈裟ではなく、僕はこの先に知らない世界があると信じた。


 降伏許可の笛が鳴り響いた。両軍ともほぼ同時だった。両者の指揮官は権利を行使しない。戦争は続行されるようだった。僕はそれを歓迎した。早くあの銀髪の女性を探し出さないと。そして戦いたい。彼女は今ではすっかり少なくなってしまった、本物の戦士のはずだ。


 僕は敵方の砦に侵入した。入口付近には両軍の死体が入り乱れて積み重なっており、激しい戦いがあったことを示していた。砦の構造は両軍とも同じであるので、迷うことはなかったが、照明が消されており、手探りで進むしかなかった。


 ふと、僕は自分が赤と青のどちらなのだろうかと気付いた。すっかり忘れてしまっていた。胸についている徽章を見ると、返り血で汚れてしまっている。しかも薄暗いので、その色を判別するのは難しい。


 僕は赤と青のどちらなのだろう。どちらの戦士と戦えば良いのだろう。こんなことは経験しなかった。しかし不安ではなかった。狙いはたった一人だけだったからだ。僕の姿を見て襲ってくる相手がいれば、倒せばいい。雑魚は放っておけ……。


 回廊から広間に出た。そこには数十人の戦士が陣を組んでいた。負傷者も大勢いる。僕は彼らが赤であることを視認した――敵だろうか、味方だろうか?


「レンドだ!」


 誰かが悲鳴を上げた――いや、もしかすると歓声だったかもしれない。とにかく何らかの感情が発露したのだと分かった。


 ふと、背後に気配を感じ、身を屈めた。振り返りざま剣で払うと、影は宙返りをして躱した。何とも無駄の大きい動きだったが、軽やかだった。


 そこに立っていたのは銀髪の女性だった。僕の標的だ。双剣を交差して構え、僕を睨みつけている。彼女の胸の徽章も、やはり返り血で汚れ、色が判別できなかった。


「会えて良かった」


 僕が言うと、女性は小さく笑みを浮かべた。


「アンタは、戦場でも、それ以外の場所でも、雰囲気が全く変わらないね。本当、面白くて、むかつく奴」


「むかつく?」


「私の理想……、私の思い描いた英雄の、そのままの姿。それがアンタよ。きっと私を殺してくれるのはアンタだけだと思ってた」


「それは……、褒めてくれているのか」


「もちろん」


「嬉しいよ」


 彼女との距離を詰めた。彼女の右の剣がすっと伸びてくる。殺人的な鋭さを持った突きは、しかし陽動だった。僕の躰を左に傾かせたところに強烈な縦の斬撃を浴びせてくる。その軌道を見抜き頭を振って躱した。素早く剣を引いたところに彼女の戦闘感覚の鋭さが窺える。僕が薙いだ剣の切っ先は彼女の鼻先を掠めるに留まった。


「映像を何度も見て研究した。アンタを殺す為に」


「僕に殺されたいんじゃないのか?」


「もちろん。でも、アンタに殺される為には、必要なこと。分かるでしょ?」


 痛いほど分かる。僕は幸せだった。この戦いを忘却の彼方に追いやるのはあまりにもったいない。僕は一度広がった間合いを詰める。


 剣先を沈める。対して彼女の双剣は交差され腹の辺りまで上がった。防御の態勢だった。僕に攻めてこいということか。


 よし。乗ってやる。


 大きく踏み込み軽く剣を振る。彼女の剣は微動だにしない。僕は更に一歩小さく踏み込み剣を力強く振った。彼女の筋肉が跳ね上がり、双剣の内の一本が機敏に、もう一本が緩慢に反応した。見たことのない技だった。僕は警戒したが敢えて突っ込んだ。僕の剣は空を切る。体勢は崩れない。空を切るのは分かっていたから。


「――この!」


 彼女は小さく悲鳴を上げた。僕が大きく下げた剣の切っ先が彼女の足を突いていた。躱そうとしたが一拍遅れ、双剣を力なく振った。僕の肩を叩く。威力不十分。僕は更に踏み込み彼女と密着した。彼女の足を撫でるように剣をずり上げる。肉を切る感触が掌に伝わる。彼女は苦悶の表情を浮かべた。


 彼女は僕を押し退けようと思えば、できたはずだ。しかしそれをしなかった。もしそうすれば僕の剣が彼女の首を飛ばしていただろう。斬撃の速度では僕に敵わないことを彼女は知っていた。


 僕はそのまま剣を持ち上げて彼女の腹を斬ろうとした。刃を押し付けながら軽く躰を捻り勢いを付ければ、それだけで致命傷になる。もちろん彼女はそれを避けようとした。剣を持ち替え、逆手に持ち、僕の背中を貫こうとする。


 僕は彼女の腹に膝蹴りを喰らわせて距離を取り、斬撃を放った。双剣が一本宙に飛んだ。彼女は一瞬絶望に染まったかのような表情になったが、すぐに引き締めた。じりじりと後退しながら、一本の剣を片手で構える。


「死にたくない」


 彼女は言った。


「死にたくない……」


「僕がきみを殺す、それで満足じゃないのか」


「最高。それが最高なんだ。それは分かってる。けど、死にたくない……」


 彼女は後退をやめない。僕は一瞬で勝負を終わらせることができた。実際、そうしようと思った。だが、背後で喊声が起こった。


 振り返り、十数人の赤の戦士がこちらに殺到するのを見た。そこに漲る圧倒的な殺意。僕は剣を構え、先頭の男を叩き切った。


 そのときに発生した違和感は、かつて僕が経験したことのないものだった。僕は世界が歪むのを感じた。


 振り返った。彼女の表情が歪んでいる。


「ああ、レンド……」


 彼女は声を絞り出した。その掠れた声に僕は悪寒がした。


「僕は赤なのか?」


 僕は誰かに聞いた。頭をぱっくりと割れた戦士は答えてくれない。


「青だろう?」


 僕は言った。彼女は首を横に振っている。きみの徽章の色を見せてくれ。そうすれば、分かる。


「可哀想なレンド。アンタはもう、ここに戻ってくることはできないわ」


 彼女は背を向けて、この場から去った。近くにいた〈眼〉は僕の表情を映している。そんなに僕が何を考えているのか知りたいのか。


「ぎゃあ!」


 僕は〈眼〉を斬った。


 きみは黒だ。


 徽章を見ろ。


 黒く塗り潰されているだろう。


 僕に語りかけてくるのは誰だ。


 周囲を見渡した。


「大丈夫なはずだ。僕は特別だ……、追放なんかされない。そうだろう、皆?」


 息絶えた〈眼〉に歩み寄る。これは事故だ。大丈夫、わざとじゃなければ、大丈夫。僕は誰かの言葉が欲しかった。


 そして、僕は気付いた。まだ戦争は終わってないことを。


「きみが僕を殺してくれ。どこに行った、おい、銀髪の――僕の名前と似た響きの――女! どこにいった! きみが殺してくれ、頼む、今すぐ、殺して、この戦争が終わる前に、僕を、僕を、僕を……、どうか……。……殺して……」



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