一緒に泣くから
僕の父は戦士だった。僕が八歳のときに戦死した。特に目立つところのない、平凡な戦士だったらしい。だが、暮らしに困ったことはなかった。
その点、僕は死に損ないの屑にも等しい人間だった。戦場から追放され、暗殺者の役目からも解放された。金はなかった。金を稼ぐと豪語するだけして一銭も稼げなかった。
箱入りとは別れた。たぶん、間違っていない。僕と一緒に来ても、何も始まらない。彼女には帰るべき場所がある。わざわざ僕と一緒に金の苦労なんかしなくてもいい。若い女の子だし、戦場に魅せられてもいない。これから幾らでもやり直せる。
僕の予感は当たっていて、戦士でなくなっても、何とかやっていけた。街の片隅にある汚い宿に住み込みで働くことになった。この世界には飢餓もなく、貧困もない。職を失った人間にはこういった社会の受け皿が必ずある。その何でもない社会の仕組みを、僕は奇跡のように思えた。そして、これがじきに崩壊することを予期した。
僕はこの宿で働き始めてすぐ、客が一切金を払っていないことに気付いた。この宿の経費は税金で賄われているのだ。金のない旅人を泊め、路上で寝泊まりすることがないように配慮しているのか。
知らなかった。豊かな世界。誰も飢えることもなく、困窮することもなく、紛争もなく……。だが猫背で勘定台の前を素通りする老いた旅人たちを見て、僕もああなるのだろうと思うと、この世界が呪われているように思えた。
彼らが惨めだと思ったのではない。僕は、彼らが、この世界に生きる意味などないということを誰よりも強く体現しているように思えて――それを覆い隠せないような脆弱な社会ならば、なくなってしまったほうが良い。
「レンドさん、三か月前まで、アンタも凄い人だったのにねえ」
宿を取り仕切っている中年の男が僕に言う。
「そんなことはないと思うけど」
「いやいや、凄かったよ。あんたの戦争が始まると、必ず見に行ってた。で、結局、引退するまで負けなかったよな」
「いや、僕は何度も――」
「剣の話だよ。あんたが最強だった。どうしたらあんなに強くなれるんだい? 今度教えてくれよ。俺も一攫千金を掴んでみたいんだ」
「金がなくても生きていけるのに、金が欲しいの?」
「ああ、当たり前だろ。おれたちに許されているのは最低限の生活だけだ。もっと遊びたいし、女だって欲しい。あんたは違うのかい?」
「僕は――戦場に戻りたい」
「はは、そりゃあそうだよな。仲間を斬り殺しただけで、永久追放だもんな。そこの規則は厳し過ぎるとおれは思うな。でも、あんたと同じ理由で引退した英雄も、過去には結構いるんだよな」
「そうなの?」
「有名どころでいくと、サンデロって男だ。彼は無敵の英雄だった。二〇年以上前の男だが、戦績は四二勝二敗一一分……。晩年は錯乱して、自殺しちまったがな」
「自殺……」
僕は絶対にそんなことはしない。けど、最近の僕の心は荒んでいて……。絶対なんて言葉が胡散臭く思えてきたのも確かだ。
「サンデロの剣を、持ってる」
「そうだろ? そうだと思ってたんだよ。あんたが最後に戦ってたとき、サンデロの剣を使ってたよな」
「彼はどんな英雄だった? 実際に映像で見てたんでしょ?」
「ああ。小柄な男で……、そう言えばあんたに似てたかもな。黒髪、童顔、恐ろしいほど剣が上手くて――寂しそうだった」
「寂しそう……」
「そう。あー、段々思い出してきた。あの男も友軍を斬り殺して――あのときから頭がおかしくなってたのかもな。戦士を引退して、すぐに、自殺した。焼身自殺」
「……そうなんだ」
「ああ。でもさ、あんた、どうして過去の英雄の武器を使ってたんだ? あれ、贋作だったんだろう」
「分かる気がしていたんだよ」
「ふうん。何が?」
「過去の英雄の気持ちが。僕は孤独じゃないって確かめてた。ときどき、分かる気になるんだ。そのとき、英雄が、何を考えていたのか」
「へえ。サンデロの気持ちは分かったのかい?」
「殺して欲しい、って彼は思ったに違いない。同じ色の仲間を殺した直後に、誰かに殺して欲しいって懇願したんだろう」
男の顔色が変わった。
「これは驚いた。思い出したぞ、あのときのサンデロも、殺してくれって泣き叫んでた。どうしておれは忘れてたんだろう……、身の毛もよだつ光景だった。夢に出てきたくらいだ。あの無敵の男がガキみたいに、殺してくれ、殺してくれって」
「やっぱり、そうなんだ」
「おい、レンドさん、あんた、死ぬつもりじゃないだろうな。やめてくれよ、勿体ない」
「勿体ない?」
「そうだ。あんたほどの男がみすみす死ぬなんて、勿体ないだろう」
「僕にもう存在価値なんてないだろ」
「そんなわけない。あんた、まともに職を探してみたのかよ?」
「探したよ……、でも、僕は何もできない。戦うこと以外は」
「……知らなかったのか、あんた」
「何が?」
「戦士に志願すると、最初に最低限の訓練を受けて、戦場に送り込まれるだろう」
「うん」
「戦場で確実に生き残る為に、最低限以上の訓練を受けたいっていう輩が、最近は増えているんだよ」
「へえ……」
「民間の施設だが、そういう需要を満たす為に、もうすぐ訓練所が新設される。講師を募集しているらしい……、経験豊かな、戦士の」
「経験豊かな……。それって僕も大丈夫なのかな」
「あんたが駄目なら誰も通用しねえよ。そこで働けばいいだろ」
「そこで……、働く。僕は講師なんかできるのかな」
「知らねえよ。あんた、いかにも天才って感じだからな。でも、行くだけ行ってみたらどうだい」
「うん……、分かった。ありがとう」
「おっ、目が変わったな」
「そうかな」
「ああ――勘違いだったかも。まあ、とにかく、やってみろよ。ここより落ちることはないからさ」
僕は男の笑みが寂しかった。彼の寂しさを深く理解できるだけに、笑みを返すことができなかった。現実を直視するのは厳しいものだ。生きる意味を探すのを辞めた人間には寂しさが漂う。端からそんなものはないと公言してきた僕は、どれほど寂しい人間だと思われてきただろうか。




