白い小石
僕は兄にこの世界のことをたくさん聞いた。
兄は僕の記憶が戻るまで、ずっと演技をしていたこと。
川上の街は子供たちが小石を積んで作ったこと。
川下の大穴はベロを出すことが好きな老人が提案したこと。
その先にも集落があること。
色んなことを聞いた。
けれど、あの声の正体は、兄でもわからなかった。
『この世界を救って』
『この世界を終わらせよ』
『さもなくば、みな、消える』
それがいったい何を求めているのか。
この世界は何のために存在しているのか。
兄でもわからなかった。
兄は僕が大穴で体験した話を聞いて、不思議そうな顔を浮かべた。
「お前の魂が宇宙に飛んでいく景色が見えたんだよな?」
「そう。僕は死んだとき、ここに飛んできたのだと思う」
兄はあごに手を添え、遠くを見つめた。
「街に行くぞ」
兄は僕の手をぐいぐいと引き、川上の街へ向かっていく。
その手はとても温かい。
「そういえば、兄さんは何でそんなにこの世界に詳しいの?
ほとんど同じときに死んだよね」
兄の足が止まった。
「……俺の感覚じゃ、お前が来るまで何十年もあった」
僕は思わず目を見開く。
「え?」
「でも、お前の感覚じゃ違うんだろ?
死んで、ほとんど間を置かずここへ来た」
僕は小さく頷いた。
兄は何か思いついたように、再び歩き出す。
その速度はどんどん早くなる。
足音はまったくしない。
──「じいさん!教えてくれ。
俺たちの時間は、何かおかしい」
僕らは、ベロを出すことが好きな老人の家を訪ねた。
「ほう。ようやくお目覚めか。よかったの」
兄は肩を震わせながら言葉をまくしたてた。
「俺とこいつは、ほとんど同時に死んだ。
たぶん、ほんの少しだけ俺のほうが早かった」
兄は僕を見る。
「でも俺は、この場所で何十年も過ごした感覚がある」
時間感覚のズレ。
かすかな記憶に、宇宙旅行へいった双子の時間がズレることがあると、どこかで聞いたことがある。
老人の目が大きく見開かれた。
「何十年じゃと?」
「そうだ。長かった。こいつが来るまで、気が遠くなるほど」
老人は石板に指を走らせた。
「待て……」
がりがりと数式が刻まれる。
「もし本当に、お主らの死んだ時刻が近いのなら」
老人は石板を見つめた。
「……兄は何十年も待った。
……だが弟は、死んでからほとんど間を置かず、ここへ来た」
複雑な数式が石板を埋めていく。
「この二つが両立するには……」
老人の指が止まった。
「時間そのものが歪んでおる」
兄は眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「時間を歪めるものは限られておる」
空気が静まり返る。
老人はゆっくり立ち上がった。
「時間が歪むほどの重力。……あるいは、速度」
老人は天井を見上げる。
「この世界は──移動しておる」
兄と僕は顔を見合わせた。
「移動?」
老人は石板を握りしめた。
「いや……移動どころではない」
僕の鼓動が一拍だけ遅れた。
「……加速しておる」
その言葉に、僕の背中がぞくりと震えた。
老人は続ける。
「重力が乱れる。時間が歪む。
そして死者の魂は宇宙を飛んでここへ来る」
兄は僕の肩を掴んだ。
「思い出せ!あの声が『この世界を救って』と言ったのはどこだ?」
僕は記憶をたどる。
六文銭を握ったとき。現世の記憶。
「……地球だ」
それに。
『この世界を終わらせよ』
その声は、この世界で聞いた。
つまり。
「……この世界を終わらせることが、地球を救うことなのかもしれない」
老人と兄は顔を見合わせた。
「ここは地球から遠く離れた宇宙じゃ」
僕は小さく呟く。
「僕は死んだとき、宇宙を飛んできた」
重力の乱れ。
ボールの内側のような世界。
時間の歪み。
加速し続ける何か。
頭の中で、点と点がゆっくり繋がっていく。
兄が口を開いた。
「もし、この世界そのものが宇宙を移動しているなら」
老人が続ける。
「しかも加速できるほどの質量を持っておる」
僕は足元の白い小石を見つめた。
宇宙から見れば、この世界もまた巨大な岩塊に過ぎない。
「地球へ向かっている……?」
誰も否定しなかった。
静寂だけが落ちる。
そして。
バラバラだった白い小石が、頭の中で一気に繋がった。
僕らは互いの顔を見た。
答えは最初から足元にあった。
「ここは隕石の中だ!」
三人の声が、重なった。
兄はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「地球で死んだ魂は空に帰るという。
それが何なのか、今まではわからなかった」
兄は遠くを見つめた。
「けど、もし地球そのものが宇宙からの脅威を自ら守ろうとしているなら……」
僕は小さく呟く。
「魂の力を使って地球を守る」
兄は静かに頷いた。
「そう考えると辻褄が合う。
死者の思考や意思そのものが、この世界を動かしているのかもしれない。
地球を守るためにな」
僕は黙り込んだ。
もしそれが本当なら、この世界にいる全員が地球を守るために集められたことになる。
老人は石板を床へ置く。
「問題は、どうやってこの世界を壊すかじゃな」
そうだ。
やっと見つけたのだ。
この世界が存在する意味を。
外壁は壊せない。
意味のないことは許されない。
そんな世界を、僕らは終わらせなければならない。
ならば、この世界のルールそのものを利用するしかない。
老人は手の甲で石板を叩いた。
「解決の鍵は鬼じゃな」
僕と兄は石板に目を向けた。
そこには、この世界の鬼に関する老人の考察が書かれていた。
『ひとつ
鬼は人間が行動する限り何もしてこない。
ひとつ
無意味な行動を取ると、どこからか現れて人間を叩き殺す。
※ ただし、意味の有無は鬼自身が判断している可能性が高い。
ひとつ
鬼はこの世界の影響を受けず、リセットされない。
仮説
鬼は人間を効率的に働かせるための見張りとしてこの世界に配置されている』
その記述は、鬼の異質性を示していた。
老人は懐かしそうに目を閉じた。
「これは、まだこの街に活気があった頃に書いたものじゃ。
あの頃は鬼退治が流行っておってな」
僕が最初に街を訪れたとき、街の人がせわしなかったことを思い出した。
きっと、鬼が現れるのを恐れていたのだろう。
兄は石板を叩いた。
「鬼を増殖させるってことか」
僕は息を呑んだ。
それは、この世界の人々を危険に晒すことになる。
すると老人は、白い小石を拾い上げた。
「お主らは、この石を小さいと思っておるじゃろ」
老人は小石を指先で弾く。
ざりっと乾いた音が鳴った。
「じゃが宇宙から見れば、地球ですら塵のようなものじゃ」
僕は黙り込んだ。
老人はゆっくりと空を見上げる。
「ならば、この世界も同じ。
我々もまた、宇宙に浮かぶ白い小石に過ぎん」
そう言うと老人は、小さくベロを出して見せた。
……わかっている。
この世界が地球へ辿り着けば、
もっと多くの命が消える。
けれど、
ここで暮らしていた人々の顔が、
頭から離れなかった。
僕は拳を握る。
それでも。
終わらせなければならない。
僕らは石板に計画を書き込んだ。
その内容を見た兄は、苦笑しながら頷いた。
「本当にやるのか」
静かに頷く。
「やるしかない」
僕らは、最後の仕事に取り掛かった。
──僕は三途の川の川辺に向かった。
そして、がりがりと小石をどかして道を作る。
この場所に、魂だけの人々は縛られている。
それは長期間の観察で実証済みだ。
この世界で人は死なない。
死ぬとその身体は白い小石に変わり、この場所にリセットされるらしい。
この世界の小石は21グラムなのだと老人は語っていた。
魂の重さなのだろうか。
僕は小石の大地を陥没させるように道を作り続けた。
「そろそろか。よし、実験の時間だ」
僕はゆっくりと目を閉じた。
道作りに満足して心を落ち着かせる。
作業を終えた僕は、この瞬間、意味を失った。
すると、どこからか、
ドシンッ、ドシンッと足音が背後に近づく。
そこで僕の意識は白に溶けた。




