死後の世界
──ざざざっという川のせせらぎ。
相変わらず背中が痛い、が同時に冷たくもある。
「うまくいった」
僕は兄のもとに向かった。
兄は街の中心で講義を開いていた。
この街の人々は意味に飢えている。
物事を考えるもの、街を管理するもの、意見を交わすもの。
様々な人が自分の生きる意味を探している。
けれど講義のような聞くだけで、学習するという意味を得られることは貴重だ。
人は少しでも楽ができることに飛びついてしまう。
兄は哲学や心理学にとても詳しい。
どこかで聞いた記憶は、すべて兄からだった気がしてきた。
計画は順調に進んでいる。
僕は兄に視線を送ると老人のもとに急いだ。
老人は不気味な顔で液体を混ぜ合わせ、そこからモクモクと煙を出していた。
僕が声をかけようとした瞬間。
老人は小石に変わった。
どうやら上手くいったようだ。
──準備は整った。
僕は街の中心に向かい、片手を高く上げた。
兄は演説台の上から僕を指差す。
ここからは、僕のアドリブだ。
言いたいことを言ってみる。
街の人々の視線が、一斉に僕へ向く。
僕は大きく息を吸い込んだ。
「人は夢を見る生き物です。
その夢の世界では、物理法則も社会のルールも不完全。
心地よい夢のことも、悪夢なこともあるでしょう」
兄は頷き、「続けて」と僕を促した。
「皆さん、忘れていませんか?
ここは夢の世界です。
何でも出来て、終わりがない。
でも、目を閉じて新しい世界を作れます」
人々はガヤガヤと騒ぎ出した。
「それじゃあ鬼が……」
「陰謀論では……」
と怯えている。
兄は声を張り上げた。
「この飽き飽きした世界をもう終わりにしましょう。
みなさんで築くのです。
新しい世界を」
兄は腕を大きく広げ、背を伸ばした。
「──という俺の演説は全部嘘です」
その瞬間、この世界が揺れた。
街に黒い影が差す。
ドシン、とどこからか足音が響いた。
そして、数え切れないほどの鬼たちが現れ、あっという間に人々を殴り殺した。
僕と兄は走った。
三途の川の川辺に。
一気に人が死んだ。
三途の川の水量はとても多くなっている。
僕が溝を掘ったため、リセットされた人々はそのまま川に浸っている。
そしてそのままスヤスヤと眠りについた。
対岸の老人は拳を掲げた。
それに合わせて僕と兄も拳を掲げる。
誰も目を覚まさない。
老人の作った意識を薄める薬の影響で安らかな夢を見ている。
すると川辺に鬼たちが現れた。
そして眠る人々を叩き潰した。
誰一人、起き上がらない。
ことりと音を立てて、小石に変わる。
僕らは拳を握った。
ここまでは想定通り。
問題はもう一度、繰り返されるかなのだ。
「こい!」
人々はすっと現れた。
そしてまあ、眠った人々の前に鬼たちが現れた。
僕らは顔を見合わせた。
成功してしまった。
もう、後戻りはできない。
鬼は人の数だけ現れる。
何もしない人間は用無し。
そう言わんばかりに、鬼たちはリセットする。
小石が少し増える。
そして同じ場所に人々は現れる。
そしてまた、眠る。
鬼はまた、現れる。
ドシン。
ドシン。
ドシン。
足音は途切れない。
小石が増えていく。
鬼も増えていく。
川辺は、黒い影で埋まり始めていた。
鬼たちは互いの身体を踏み潰しながら、
それでも眠る人々を叩き続ける。
ことり。
ことり。
ことり。
魂は小石に変わり続ける。
この世界では意味のある事象に無限が与えられる。
その限りでは、小石を埋め尽くすことはできない。
けれど、明らかに今、無限の空間は存在しない。
この無限ループに意味などはないのだから。
「内部から膨れ上がれ!」
僕ら三人はこの世界が鬼と小石に埋もれる地獄を眺め続けた。
これで終わる、とそう思っていた。
肌寒い風が吹いた。
すると、それに乗せられるように、ふっと鬼たちは消えた。
まるで、風に揺れる枯れ葉のように。
「だめですよ。そんなことしたら」
小石の上に誰かが立っていた。
僕らは積み上がった小石を登った。
「もう少しで青い星と交われるんです。
邪魔をしないでください」
そこには、子供たちがいた。
無感情な顔で、小石を拾い上げ、ぽとりと落とす。
子供たちの手は寸分違わず同じ動きを繰り返していた。
その動作はまるで記憶された映像を何度も映しているようだった。
「あなた達はただ邪魔をせず、我々が作った世界で遊んで暮らしていれば、それでいいのですよ」
子供たちは僕らを取り囲んだ。
兄は静かに口を開く。
「お前らはいったい何者なんだ?」
すると、目の前の子供はぐにゃりと姿を変えて、鬼になった。
隣の子供は、大人の姿に。
その隣は老人に。
そのまた隣は蜘蛛のような見知らぬ生物に。
ざりっと兄の足に力がこもる。
その瞬間、僕らは小石の山に膝を落とした。
足が鉛のように重い。
……重力を操作されている。
この子供たちは、最初からこの隕石を地球に衝突させるつもりだった。
人々はその土台の中で、遊んでいたに過ぎなかったのだろう。
僕らは強制労働させられている子供たちなのだと勘違いしていた。
だが、それは違った。
人間の魂は彼らに観察されていたのだ。
隕石の中に巣食う、化物たちに。
「僕らの星を侵略するつもりなのか?」
そう問いかけると彼らの姿は子供の姿に戻っていった。
「青い星は、意味で溢れている。
ただ、生きる意味を知りたいのです」
子供たちの目には、哀れむような色が浮かんでいた。
老人は前に出た。
「交わるとはなんじゃ?」
「この世界と同じですよ。
我々が青い星の生態系を作るのです」
子供たちは無邪気に笑っていた。
その笑みを見たとたん、全身の肌がざわめき立つ。
小石を積む子供たちの向こうに、
地球の街並みが脳裏をよぎった。
この世界と同じならば、意味のないと判断された人間はあっという間に駆逐されてしまう。
そしていずれ、地球は滅ぼされる。
老人は続けて問いかける。
「なぜ意味にこだわるのじゃ」
子供たちは当然のように答える。
「意味がないと無価値だからです」
老人は首を傾げた。
「人間は意味がなくても生きられる」
「だから不思議なのです」
子供たちは首を傾げた。
「意味がないのに、なぜ生きるのですか?」
僕らは言葉に詰まった。
老人は目を伏せ、兄は唇を噛んだ。
すると子供たちの顔色は急に、赤くなった。
「我々は種の存続のために増えてきました。
複製して。分裂して。模倣して」
子供たちは、その場で一人、二人、三人と増えてみせた。
子供たちの顔が歪む。
「けれど我々は何者にもなれなかったのです。
増えては消えて、また増えるだけの世界。
そんな世界なんて、いらない。
でも、ある日、やってきたのです」
子供たちの顔は、一斉に上を向いた。
ぱっと顔が明るくなる。
「宇宙からやってきた銀色に輝く、大きな船。
それはとても複雑な形で、すべての構造に意味がありました」
子供たちの言葉が早くなる。
「それは我々には模倣できなかった。
真似ができなかったのは初めてだった。
だから悔しかった」
子供たちの声は震えていた。
「とても、とても欲しかった。
それがどうしても欲しかった。
だから、長い時間をかけて飛んできた方角と距離を導き出したのです。
……やっと悲願は達成される」
兄は叫ぶ。
「だからといって、何もしない人間を叩き潰すことはないだろう」
子供たちは無邪気に笑い、順番に口を開いていく。
「観察してわかったのです」
「人間は失うと考える」
「追い詰められると工夫する」
「死を前にすると愛し合う」
「絶望すると意味を探し始める」
「だから我々は手助けしてあげたのです」
「最初からいた、鬼たちを真似して」
「鬼退治をしている人間はとても美しかった」
「だから我々も、やってみましょう」
「そうしましょう」
「そうしましょう」
「そうしましょう」
子供たちは、一斉に近付いてきた。
「そろそろリセットさせてもらいます」
空が暗くなった。
凍てつく風が肌を突き刺した。
僕は直感した。
彼らはこの世界全体をコントロールできる。
僕らには止められない。
記憶を消され、意味だけを搾取される。
足の裏から冷たい感情が這い上がってきた。
ぶわりっと熱気が急に肌をなでる。
老人は時空が揺らぐような声量で一喝した。
「弱気になるでない!
お前たち双子なら、できる」
僕は崩れかけていた身体に力を込めた。
やれることはある。
子供たちは笑っている。
「何をしても無駄ですよ。
我々は青い星へ行くのです」
ざりっと小石は音を立てた。
「そうは、させるかよ」
兄は血管が弾けるほどの力を両手に込めると、僕の身体を宙に放った。
足の裏から重力が剥がれる。
途端に身体が軽くなった。
そのまま僕は、黒い空に突入する。
このままでは、中空を通って反対側の大地に激突する。
だが、もうこの世界の重力に、
僕はもう怯えたりはしない。
空から大地を眺める。
まだ小石は増えている。
きっとリセット地点は、小石の重みで押しつぶされ続けているのだろう。
……一撃だけでいい。
やつらに与えられれば。
僕は大きく息を吸った。
「こい!兄貴!」
その瞬間、兄は空に現れた。
大量の白い小石と共に。
「持っていけ」と老人の声が聞こえた気がした。
「奴らを押しつぶすぞ!」
その声が響いた瞬間、
僕の身体は加速した。
空気が裂ける。
視界が歪む。
──呼ばれている。
そう認識した途端、
僕という存在に“意味”が生まれる。
僕は兄へ手を伸ばした。
「兄貴!」
兄の身体がさらに加速する。
「止まるな!」
今度は僕が引っ張られる。
互いを呼ぶたび、
僕らは際限なく落下速度を増していく。
重力じゃない。
魂そのものが、
互いを求めて引き寄せ合っている。
僕らは子供たちのもとに降り注ぐ。
人々の魂の重さ。それを抱えて。
それはまるで、白銀に輝く隕石のように。
白が、世界を埋め尽くした。
──「人は死ぬと三途の川を渡って黄泉の国に行く。
それはくだらない作り話だ」
兄は仏壇の前で、そう語った。
母さんの命日。
僕ら二人は手を合わせた。
「じゃあ、死後はどこに行くって言うのさ」
「わかってるだろ。地球の危機を救いにさ」
線香の煙が、ゆっくりと揺れた。
すると、頭の中にあの声が響いた。
『この世界を守ってくれて、ありがとう』
あの声は誰だったのだろう。
地球なのか。
母なのか。
それとも──
僕はそこで考えることをやめた。
「母さんに会いたかったな」
僕がそう言うと、兄は視線を少しだけずらした。
テレビでは、上空で隕石が爆発したという速報が流れていた。
僕の家は燃えていない。
老人が語っていた、
時間のねじれの話が頭をかすめる。
ふと、香炉の内側に、小さな白い粒が落ちていた。
見覚えのある、乾いた白。
僕らは、静かに目を合わせた。




