第29話 入札結果
誰一人、咳払いすらしない。
全員が、その一言を待っている。
ノルンは契約書の束を胸に抱え、入札した順番で記入した金額を読み上げていく。
「アストレア商会、金貨五万枚」
どよめきが走る。
「何だあの女は!」
「最低額で入札する気など最初から無かった訳だ!!」
「どれだけ性格が悪いんだ!」
怒号が飛ぶ。
当の本人は、
腕を組んだまま涼しい顔で笑っていた。
「まさか本当に騙される人がいるとは思っていなかったわ。以外と可愛い人たちね」
性格が終わっている。
だから強い。
こういう女だからこそ、商会でも上り詰めたのだろう。
「ミストラル商会、金貨二万枚」
小さなざわめき。
だが、ライダース商会周辺だけは明らかに空気が違った。
「話が違う! ミストラルは一万二千枚の約束だぞ!!」
「どうしてあいつが抜けているんだ!?」
「まさか、裏切る気か!?」
ひそひそ声ではあるが、
全然隠せていない。
完全に揉めている。
あそこだけ別の戦場だ。
(やっぱり崩れてるな)
その後も、次々と金額が読み上げられていく。
金貨一万五千枚。
一万六千枚。
三万三千枚。
それぞれの金額に、ため息や安堵が漏れる。
そして残るは、あと三商会となった。
現在の最低額は、グランド商会の金貨一万三千枚。
副会長は頭を抱えて、今にも床に沈みそうな顔をしていた。
無理もないだろう。
もしこのまま最下位なら、クロムニウムの権利は手に入らない。
今後の商売の致命傷になるのは必然。
商会の未来が、ここで終わるかもしれないのだ。
ノルンが次の紙をめくる。
「続きまして…… バルディア商会」
客席が静まる。
「金貨…… 六万五千枚」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、大きなどよめきが爆発した。
「ろ、六万!?」
「正気か!?」
「ミスリル級がそこまで出すのか!?」
当然の反応だ。
これはもう、勝負ではない。
彼の覚悟そのものだ。
ゼルハルト会長は腕を組み、
何も言わず前を見ている。
その隣で、息子のハーケンだけが青い顔をしていた。
父親が何を賭けたのか、理解してしまったのだろう。
ノルンが次をめくる。
「ライダース商会…… 金貨五万五千枚」
今度は別の意味でざわめいた。
「あれだけ大見得を切っておいて負けただと!! 絶対に勝てる金額を入札すると言った筈だ!!」
「必ず責任を取ってもらうからな!」
「このままじゃ、私が最低価格入札者になってしまうじゃないか! クロムニウム製品は私の商会にも卸して貰うからな!」
完全に囲まれていた。
スモーク副頭取は笑顔を保っているが、
額にはうっすら青筋が浮いている。
もう取り繕えていない。
俺の予想通りだ。
おそらく、組んだ商会で資金を出し合い、最高額を取った暁には優先的にクロムニウムを流す。
そんな甘い話で周囲を抱き込んだのだろう。
だが蓋を開ければこの有様だ。
信用を失った商人ほど弱いものはない。
その様子を見ながら、アストレアは肩を震わせて笑っていた。
本当に楽しそうだ。
女狐という呼び名は、むしろ褒め言葉かもしれない。
そして残るは最後の一枚、全ての視線がノルンの手元へと集まる。
一番力を入れていたグレン商会。
誰もがその金額を知りたがっていた。
ノルンは一度深呼吸し、震える声で読み上げた。
「グレン商会……」
全員が息を止める。
「金貨…… 十万枚」
静寂が辺りを包み込み、そして次の瞬間、劇場がひっくり返るほどの騒ぎになった。
「じゅ、十万枚だと!?」
「馬鹿な……!」
「正気じゃない!」
「王都の貴族でも、そこまで即決できんぞ!」
怒号にも似た驚愕が客席を埋め尽くす。
それも当然だ。
金貨十万枚。
一介の商人が即決していい額じゃない。
下手をすれば、一つの領地すら傾く。
普通なら、そんな数字を紙に書く前に何度も眠れぬ夜を過ごす。
だがヴァルト副頭取は違った。
腕を組み、微動だにせず座っている。
まるで当然の結果だと言わんばかりに。
(やっぱり、この人は別格だ)
俺は小さく息を吐いた。
この男にははっきりと見えているのだろう。
クロムニウムが生む輝かしい未来を。
その先にある、武器、鎧、国家規模の利権を。
目先の十万枚ではない。
十年先、いや二十年先まで続く利権を買ったのだ。
未来を知る俺だからこそ分かる。
それが正解だ。
ノルンは放心したまま、最後の確認を口にする。
「よ、よって…… 最高入札者はグレン商会様」
「最低入札者はグランド商会様となります」
「グレン商会様には、クロムニウムの優先購入権を」
「グランド商会様は…… 今回の契約対象外となります」
裁判の最終判決のような宣告だった。
グランド商会の副会長が、その場で机に突っ伏した。
魂が抜けたような顔だ。
気の毒ではあるが、これが商売だ。
勝つ者がいれば、負ける者がいる。
情けを挟める世界じゃない。
俺はグレン商会のヴァルト副頭取へ視線を向け、
小さく一礼した。
ヴァルト副頭取は静かにこちらを見て、
わずかに頷き返す。
それだけだった。
だが十分だった。
これほどの誠意を見せられた以上、こちらも応えなければならない。
(ハイドには、死ぬ気で働いてもらおう)
これだけ大事になった以上、クロムニウムの生産ラインは今の規模では到底足りない。
増築。人員確保。採掘場の買収。輸送路の整備。
やることはいくらでもある。
だがその全てを可能にする金が、俺の手の中に入ってくる。
今回の入札だけで、手元に動かせる資金は、一気に三十万枚規模まで膨れ上がった。
さらに今後、クロムニウムを継続的に各商会に卸し続ければ、資金は雪だるま式に膨れ上がる。
今後は金が足りないと愚痴る事はないだろう。
(他のミスリル鉱山の廃坑も押さえておくか……)
俺が知っている場所は、全部押さえておくべきだ。
今なら余裕で買える。
後になって価値が知られれば、二度と手は届かなくなる。
迷う理由はない、使える鉱山は全部買う。
それが未来を押さえるということだ。
客席ではまだ騒ぎが続いていた。
ライダース商会は責任追及で囲まれながら力なく膝を落とす。
アストレアはそれを見て楽しそうに笑い。
バルディア会長は静かに次の一手を考えている。
それぞれが敗北と勝利を噛み締めていた。
だが俺には、もう次が見えている。
資金問題は、これで越えた。
次に必要なのは権力だ。
商人としての金の力ではない。
貴族たちと真正面から渡り合える、
本物の権力。
金だけでは守れないものがある。
だから次は権力を手に入れる。
政治的な後ろ盾を手に入れて、今後貴族が牙を剥いた時、それを正面からへし折ってやる。
そのための準備を始める。
俺は静かに舞台の上から客席を見渡した。
歓声も怒号も、今はもう遠く感じる。
(ようやく、ここまで来た)
確実に未来は俺の知る形から変わり始めている。
ならばその先も変えてやる。
俺が知っている未来を全部ひっくり返して、俺の知らない未来に創り替える。
そのために俺は、この世界で成り上がる。
舞台の中央で俺は静かに笑った。




