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第16話 ハイドとガルド

 迷いの森から帰還した俺は、手元にあった有り金のほとんどを投じて残る三つの材料を買い揃えた。

 流石に財布の中身は底を突いたが、予備の魔石さえあれば資金の補充は容易だ。

 今は金よりも、一分一秒でも早くハイドの父を救うことの方が重要である。

 宿の自室に籠もり、厳重に戸締まりを確認した俺は静かに調合の準備を整えた。


 前世の記憶を細部まで手繰り寄せ、一分の誤差も許されない調合を施していく。

 聖木の金根を削り、千年茸を煮出し、精霊花の蜜で繋ぐ。

 そして最後に銀色に輝く【ユニコーンの涙】を滴らせた。

 

 完成した【エルフの霊薬】は三本。

 俺はまず、そのうちの一本を自ら煽った。


(完成品の安全性を確認するためにも、まずは自分で試すのがいいだろう)


「……っ、熱いな……!」


 液体が喉を通った瞬間。

 身体の奥底、魂のさらに深い場所にまで熱い杭を打ち込まれたような衝撃が走った。

 霊薬の神秘が細胞の一つ一つに浸透し、無理やり書き換えていく感覚。

 やがて全身が沸騰するような火照りに包まれ、毛穴という毛穴から濁った汗が溢れ出してきた。


「ぐっ……!」


 膝をつきながらも、俺は意識を手放さない。

 大丈夫だ。

 この痛みも、この熱も、知っている。

 全部一度だけ味わった感覚だ。

 体内に蓄積されていた不純物や淀みが、霊薬の力によって強化された自己治癒能力によって強制的に排出されていく。

 

 そして数時間後。


 滝のような汗が引き、意識が研ぎ澄まされると、底なしの活力が身体の芯から湧き上がってきた。


「よし…… 間違いなく、エルフの霊薬だ」


 拳を握ると身体中に力が満ちているのが感じ取れた。


「この生命力なら、どんな病魔だろうと食い破れる」


 この感覚は変わらない。

 俺は確信を持って、残る二本の霊薬を【収納】に納めた。

 ハイドと専属契約の約束を交わしてから、一ヶ月が経とうとしていた。

 俺は約束を果たしたぞ。

 次はお前の番だ。


◇◇◇


 ハイドはレオから依頼されていたクロムニウムを使った武器を製作していた。

 クロムニウムの加工がついに形になったその直後だった。

 工房の扉が乱暴に開き、ガルドが大股で踏み込んでくる。


「おいハイド。ちょうどいいところにいるじゃねぇか」


 机の上に、無造作に注文書の束を叩きつけた。


「全部お前に回す。今度の納期は三日だ」


「……三日!?  こんな量を!? 到底……」


「やれって言ってんだよ」


 ガルドは鼻で笑い、肩を竦める。


「お前、最近ちょっと調子に乗ってるだろ? 親父の代わりに工房回してるのは“俺”だってこと、忘れるなよ」


 視線だけで押し潰すような圧。


「それとも何か? 出来ませんって泣きつくか? そしたら少しだけ仕事減らしてやってもいいぜ?」


 明らかな嫌がらせだった。

 しかも断れば、工房全体に迷惑がかかる形での。

 ハイドは拳を強く握り締めた。

 しばらくの沈黙のした後、ハイドはゆっくりと顔を上げた。


「わかりました。やればいいんですね」


 父を救うため、工房を守るため。

 ハイドは覚悟を決めた。


「ほう?」


「全部僕がやります」


 その声に、先ほどまでの迷いはない。


「これは俺の戦いだ」


 ぽつりと、しかし確かな重みを持って吐き出された言葉。

 ガルドは一瞬だけ眉をひそめたが、すぐに鼻で笑った。


「はっ やっと自分の立場を理解したか! 精々俺様の工房の為に頑張ってくれよな」


 去っていく背中を、ハイドはただ見送る。


 そして積み上げられた注文書と、自らが完成させたクロムニウム加工が施された刃を見比べると静かに作業台へと向き直った。


「……やってやる」


 消えていた炉に火が入る。

 その日から、ハイドは眠ることをやめた。


◇◇◇


 俺は再び、職人街の煤けた通りを歩き、ガバルディ工房の前に立つ。

 この一ヶ月。

 あのぼんくら兄貴が余計なことをしていなければいいが……

 そんな不安が頭をよぎる。

 俺は期待と、わずかな冷徹な殺意を胸に秘め、工房の重い扉を力強く押し開いた。


 俺の姿を認めるや否や、作業場の奥からハイドが駆け寄ってくる。

 その目元には色濃い隈が刻まれ、頬は削げ、心身ともに限界なのは一目でわかった。

 どうやら今日まで自分の命を削りながら店と父親を守り続けてきたのだろう。


「レオさん……! 待っていました」


「ハイド、親父さんの容態はどうだ?」


「お陰様で、頂いた薬を飲ませてからは落ち着いています。ただ、その…… 薬の残りが少なくなってきまして」


 言葉を選ぶハイド。

 決して治す薬はまだ出来ないのか? と催促はしてこない。


「もし可能なら追加を頂けないでしょうか。もちろん、お代は工面しますから」


 縋るような声。

 俺は無言で頷き、懐から一本の小瓶を取り出した。


「あの薬はもう必要はない」


 ハイドが期待の視線を向ける。


「親父さんの病を根治させるための霊薬の調合が終わったからな」

 

 ハイドの顔に一瞬で希望の光が差した。


「本当…… 本当ですか!?」


「ああ。手間取ったがこれで病気に打ち勝てる筈だ。案内してくれ」


「もちろんです! さあ、こちらへ!」


 案内された寝室では、工房主ガバルディ氏が深い眠りについていた。

 かつては死の瀬戸際で荒れ狂っていた呼吸も、今は凪のように穏やかだ。

 俺が渡した薬草が、辛うじて病魔の侵攻を食い止めていたのだろう。


 容態を確認してみると辛うじて 均衡は保たれていた。

 今が攻勢に転じる唯一の好機だ。


「よし。今から飲ませる…… しっかり見ていてくれ」


 俺は薬差しを用いて昏睡状態の彼の喉の奥へと、銀色の輝きを帯びたエルフの霊薬を慎重に流し込んでいった。

 喉が小さくゴクリと動き、神秘の滴が身体の深淵へと吸い込まれていく。


「いいか、ハイド。これから霊薬が身体の不純物を焼き尽くす。激しい熱が出て、滝のような汗をかくはずだ。驚かずに、新しい着替えとタオルを用意して、一晩中付き添ってやってくれ」


「分かりました。父さんのことは必ず僕が支えます」


 ハイドの瞳には、契約を結んだ時以上の強い決意が宿っていた。


「明日、また様子を見に来る。大丈夫、ハイドの父親は強い人だ。信じろ!」


「ありがとうございます。レオさん、本当に…… ありがとうございます」


  深々と頭を下げるハイドを背に、俺は工房を後にした。

  だが、作業場を通り抜ける際、不快な視線が俺の背中に突き刺さる。

  応接テーブルに座るガルドが、蛇のような湿り気を帯びた瞳で俺を睨みつけていた。


(いい面構えだ。獲物を横取りされるのを恐れるハイエナそのものだな)


  俺は一瞥もくれず、背中で殺気を受け流しながら、夕闇に包まれ始めたロイドの街へと踏み出した。

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