第13話 エルフの霊薬
森の民エルフ。
数百年の時を生きる彼らは、人間から見れば不老長寿の象徴のように映るだろう。
だが彼らとて決して無敵の存在ではない。
不慮の怪我を負えば血を流し、未知の病魔に侵されれば、その長い命をあっけなく散らすこともある。
むしろ長命であるがゆえに、一度の死が持つ意味は人間とは比較にならないほど重かった。
何より致命的なのは、極端に低い繁殖能力だ。
人間のように世代を重ねて数を維持することができない。
一人の死はそのまま種族全体の未来を削ることに直結する。
だからこそエルフは、数千年の歴史の中で病で命を落とすことを何よりも恐れ、徹底した対抗策を研究し続けてきた。
そんな彼らが導き出した答えは、病そのものを叩くことではなく、自分自身の自己治癒能力を極限まで高め、病を寄せつけぬ肉体へと至ることだった。
人間が本来持っている微弱な自然治癒力を、劇的にかつ永続的に向上させる。
あらゆる病魔を自身の免疫だけでねじ伏せる、病気に強い肉体を作り上げる。
それこそが、彼らが長寿を全うするために不可欠とした生存戦略なのだ。
その儀式の要となるのが【エルフの霊薬】である。
森に眠る数多の神秘を調合して作られる伝説級の霊薬だ。
その効能は凄まじい。
寿命そのものを伸ばすわけではないが、生命力と自己治癒能力を根本から強化し、生涯にわたって病を寄せつけない身体を完成させる。
あまりに強力な作用ゆえ、長寿を誇るエルフでさえ、人生で一度しか服用を許されない。
俺はこの伝説的な霊薬の製法を詳細にかつ正確に知っている。
前世の旅路において、仲間の命を繋ぎ止めるために実際にこの手で調合した経験があるからだ。
「……問題は、材料をどう揃えるか、だ」
俺は思考の海に沈み、必要な素材を指折り数える。
霊薬を構成するのは、どれも絶句するほどに希少な素材ばかりだ。
聖木の中心部からのみ採れる金根。
千年の時を経て魔力を帯びた千年茸。
特定の季節にしか開かない精霊花の蜜。
この三つなら大都市ロイドの市場を駆け回り、金に糸目をつけず交渉すれば、どうにか揃えられる可能性はある。
だが、最後の一つ【ユニコーンの涙】だけは話が違う。
それは金貨をどれほど積もうが、王族の権力をもってしようが、決して市場には流れない。
気高く、極めて潔癖な聖獣ユニコーン。
その慈悲を一身に受け、心を通わせたエルフの処女にしか採取を許されない。
文字通りの秘宝。
しかもユニコーンが涙を流すのは一年に一度きり。
この一点があるからこそ、エルフの霊薬は、エルフの間でさえ幻と呼ばれていた。
しかし俺には持っている人物に心当たりがある。
ユニコーンの涙を手にできる可能性を持つ、唯一の人物を。
この街から西へ10日。
深い静寂に包まれた森の奥。
故郷のエルフの里を離れ、人目を忍んで慎ましく、だが誇り高く生きる二人の姉弟がいる。
豊かな資源に恵まれたその森は、静かに暮らすには格好の安住の地。
「今の季節なら、ちょうど狩猟期に入っているはずだ。あいつも今頃、獲物を追って森を駆け回っているだろうな……」
確信を抱いた俺は宿へ戻ると、即座に旅の支度を開始した。
市場で新調した特大のリュックに、最新のサバイバル備品と、長期戦を見越した十分な食料を詰め込んでいく。
準備を終えた俺は、部屋の隅に鎮座するリュックに視線を向けた。
このリュックにはクロムニウムのインゴットがぎっしりと詰まっている。
「どうせ誰にも盗めないから邪魔になる物は置いて行くに限る」
俺が近くを歩くだけで床板がメリメリ…… と悲鳴を上げる。
見た目はただのリュックだが、その内側には【圧縮】された四千キログラムもの質量が閉じ込められている。
「一階の部屋を借りておいて本当に助かった。もし二階だったら、今頃一階の天井をぶち抜いて階下の人間に迷惑をかけていたところだ」
この四トンという質量は、もはや物理的な罠だ。
たとえ盗賊が侵入したとしても、このリュックを動かすことさえ不可能だ。
無理やりリュックの口を開いたとしても、リュックの中は空に見える。
スキルで収納している物が普通の人に見えるわけがない。
なのでインゴットは置いておく以外の選択肢はなかった。
「さて。留守番を頼むぞ」
鉄壁の防犯体制を整えた俺は、身軽になった今の身体を確かめるように軽く跳ねる。
「うん。やっぱ荷物が無くなると身体が軽いぞ! これなら一晩中走っても疲れないな」
西の空に広がる【迷いの森】を目指して、迷いなく走り出した。
◇◇◇
走り続けた5日後。
たどり着いたのは、音という音が吸い込まれたかのような、不気味なほどの静寂に支配された森だった。
天を衝かんばかりにそびえ立つ針葉樹が、厚い天蓋となって陽光を遮っている。
足元には日の光が届かないためか、雑草すらほとんど生えていない。
湿り気を帯びた空気は、森の深淵から湧き出す濃い霧と混じり合い、木漏れ日がその粒子に乱反射して幻想的な光景を作り出していた。
だが、その美しさは人を拒絶するための鎧と呼ばれている。
ここは【迷いの森】。
無限に続くかのような似通った景色と、視界を奪う霧が侵入者の方向感覚を徹底的に狂わせる。
一度深部へ踏み込めば生きては戻れぬ緑の迷宮として、腕利きの狩人でさえ近づこうとしない禁域である。
だが俺は躊躇することなく、その霧の深淵へと足を踏み入れた。
たまに遠くで草木を分ける音が聞こえるのは、こちらに気づいた野生動物が逃げ出す気配だろう。
この森には幸いにも魔獣の姿はない。
地脈から溢れる出る魔素によって変容した魔獣の糧は魔力だ。
ゆえに彼らは魔力の吹き溜まりの近くに生息している。
もし近くで魔力を持たないただの動物が通ったとしても襲うことはない。
だが逆に多かれ少なかれ体内に魔力を宿している人間は、彼らにとって格好の獲物となる。
なので魔獣のいないこの森は、人間にとっては命取りの迷宮だが、動物たちにとっては人間という外敵のいない数少ない安息の地となっていた。
俺は闇雲に歩いているわけではない。
ある印を探し彷徨い続けていた。
そして歩き始めて十時間が過ぎた頃。
俺は一本の大樹の前で足を止める。
「……見つけた。これだ」
樹皮の裂け目に紛れるように刻まれた、爪先ほどの小さなだが複雑な紋様。
それはエルフたちが、同胞にのみ正しい道を示すために用いる秘匿の暗号だった。
人間が一生を費やしても解読できぬ森の言葉を、俺は熟知している。
「彼奴らの領域に入ったな。よし、目的地は近いぞ」
暗号が示す微かな予兆を辿り、俺はさらに奥へと潜っていく。
日が落ち始めてきた。
俺は手際よくテントを張り、温かい食事を用意する。
【収納】から取り出す、出来立てのまま保存されていた料理の香りが、霧に包まれた夜の孤独を和らげてくれた。
翌朝、旅を再開した直後のことだ。
木々の隙間からわずかに差し込む朝日の中に、特徴的な星型の葉を揺らす植物を見つけた。
「……あれは、レンゲ草か。しかも野生のかなり純度が高い個体だな。丁度いいこれにするか」
俺はその場に膝をつき、目を凝らす。
レンゲ草。
そのままではただの野草だが、適切な手順で煮出せば強力な【毒消し】の薬となる。
俺はナイフを使い、根を傷つけないよう丁寧に土を払いながら、レンゲ草を採取していく。
それからさらに二日間、森との対話を続けるように歩き続けた。
そして俺の視界についに目的のそれが映った。
巨木の幹と一体化するようにしつらえられた、一軒の家屋。
大木の生命力を損なわぬよう配慮されつつも、屋根もあり壁には窓が造作が施されている。
自然と調和した紛れもないエルフの住処だ。
俺は近くの樹木の陰に腰を下ろし、呼吸を殺してその時を待った。
数時間後、家の扉が静かに開き一人の女性が姿を現した。
雪のように白い肌と、陽光を弾いて輝く艶やかな銀髪。
エルフ特有の端正な顔立ちは神話の女神を彷彿とさる。
ゆったりとした衣の上からでもはっきりと分かる豊満な双丘。
驚くほどしなやかにくびれた腰つきが、見る者の目を釘付けにする。
何より、髪の間から覗く長く尖った耳が彼女が、幻想種たるエルフであることを雄弁に物語っていた。
十人の男が通りかかれば、十人全員が呼吸を忘れ魂を奪われたように立ち尽くすであろう絶世の美女。
彼女とこの時間軸においては最初の対峙が今始まろうとしていた。




