63話:わたくしが、英雄……?
セルディアの一般居住区。
本日の環境設定は「快晴」。ドーム状の天井に映し出された人工太陽の柔らかな光が、冷たい鉄の街を心地よく照らし合っていた。
そんな居住区の通りを、レタリアは楽しげに歩いていた。
今日の彼女は、いつもの窮屈なパイロットスーツではなく、お気に入りの白い日差し帽に、透け感のある軽やかなブラウス、そしてひざ丈のフレアスカートという、いかにも良家のお嬢様らしい軽快な私服に身を包んでいる。
「副隊長の話の時、私、ちょっと本気だったんですよ~」
隣を歩くステシアが、唇を尖らせて不満そうな顔をする。
「ふふっ、流石にわたくしでも、あなたが副隊長になるというのは、少々お戯れが過ぎますわね」
口元を手で隠し、くすくすと上品に笑うレタリア。
聞きなれない言葉に一瞬キョトンとするステシアだったが、すぐに『意図』を理解した。
「ちょっとー! あの後、レッタさんたちから散々いじられたんですからね! レタリアさんまでそんなこと言うなんて酷いですー!」
ぷいっとへそを曲げてみせるステシアだったが、すぐに耐えきれずに自分からけらけらと笑い出した。
そんな他愛のない休日を楽しみながらも、レタリアの足は自然と、ドック近くにあるいつもの依頼掲示板へと向いていた。今ではこの世界の文字もある程度は読めるようになり、翻訳機(MTI)の音声ガイドをいちいち通さなくても、何が書かれているのかが理解できるようになっていた。
「お仕事も、随分と落ち着いてきましたわね」
「ようやくレストフルの回収作業が終わりましたからねー。自警団も徐々に元の巡回任務に戻ってきますよ! メリーさんとイーサンさんは、書類仕事が山積みで大変そうでした!」
副隊長に立候補しておきながら、臨時副隊長となった二人の苦労には全く無頓着なステシア。その見事な他人事の発言に、レタリアは苦笑するしかなかった。
近くのベンチに腰掛け、二人で冷たいジュースを飲んでいると、不意に聞き馴染みのある男の声が届いた。
「よう、お嬢様方」
振り返ると、そこには休日用のラフなジャケットを着たゼインと、その隣に立つファルの姿があった。
今日のファルはいつものおさげ髪ではなく、茶髪を後ろで一本にすっきりとまとめ、動きやすいショートパンツ姿だった。
「ごきげんよう、ゼイン、ファル。良い休日ですわね」
「こんにちはー!」
レタリアとステシアの挨拶に、ファルもぺこりと頭を下げて近くに寄ってきた。
「いやー、デブリ帯の奥の戦い、大変だったみたいだな。街まで噂が流れてきてるぜ」
ゼインが尋ねてくると、本当に死線を彷徨ったステシアが、しみじみとした説得力を込めて応じた。
「はい、もう本当に死ぬかと思いましたよ! 私のフロードがドロドロに溶かされちゃって!」
「私たちはセルディアの防衛に出てたんだけど、こっちにも何人か火事場泥棒のレイダーが来たわよ。まあ、軽くひねってやったわ!」
小さな拳をぐっと握って胸を張るファル。
「主に、俺がな」
すかさずゼインが笑いながら突っ込みを入れる。あの複座式マキナでの息の合った掛け合いは、相変わらずのようだった。
「で、でもっ!」
ファルが顔を赤くしながら、思い出したように嬉しそうに声を張り上げた。
「もうすぐ、あたしの『新しい機体』が届くのよ!」
「まあ! それは素晴らしいことですわ!」
「え、どんな機体なんですか!?」
マキナ好きのステシアが、身を乗り出すようにして尋ねる。ファルは少しだけもじもじしながら、頭をかいた。
「本当は、その……自警団の人たちみたいな『ルード』にしたかったんだけど……ちょっと、あたしの予算が足りなくて……」
「俺が足りない分は出してやろうかって言ったんだがな。頑なに拒否されちまった」
「それは……その、あたしの力で稼いだお金で買った機体にしたかったから! 自分の足で立ちたかったの!」
そう言ってから、ファルは誇らしげに向き直り、その機体名を告げた。
「『マーファント』にしたの!」
「マーファント!? レデテル社の現行モデルじゃないですか!」
ステシアが瞬時に反応する。
「そう! ステーション・クラネアで展示用に使われていた新古品が、すっごく安く売りに出されてたのよ! 性能ならルードにも負けないわ。今の親方の機体も、あたしが前に乗ってた機体もレデテル社製だから、操作にも慣れてるしね」
本当に嬉しいのだろう、ファルは目を輝かせて語る。するとステシアが、ちょっと意地悪そうにニヤニヤしながら口挟んだ。
「シンセ社のライバル企業かぁー。これはシンセ社のあるセルディアじゃ整備の依頼を受けられないですねぇ?」
「そんなことないわよ! 現に親方のマキナだって、シンセのドックで面倒見てもらってるじゃない!」
必死に反論するファルの様子に、ゼインとレタリアが同時に吹き出し、つられてステシアとファルも大笑いした。
「機体が届いたら、バリバリ稼いでやるんだから!」
そう息巻くファルの姿は、どこまでも前向きで、眩しかった。
◆◆◆
――その夜、自警団本部の自室。
休日を満喫したレタリアは、温かいシャワーを浴び終え、ゆったりとした部屋着姿でベッドへと寝転んだ。
流れ着いた当初は窮屈に感じていたこの手狭な個室も、今ではすっかり、彼女にとって落ち着ける「我が家」のようになっていた。
天井を見つめていると、昼間の賑やかな記憶の底から、先ほどラボでミレアと交わした「あの会話」の続きが、静かに脳裏へと蘇ってきた。
自身が異世界人であることを打ち明けた、あの沈黙のあと。
ミレアはホログラムの明かりに照らされながら、静かにこう言ったのだ。
「――もし、あなたという存在がここにいなかったら、今頃セルディアがどうなっていたか分からないわね。……安易に使っていい言葉じゃないけれど、レタリア。あなたは紛れもなく、この街の「英雄」よ」
「わたくしが、英雄……?」
聞き返した自分の声は、どこか頼りなく響いていた。
感じるだけしかできなかった無能な魔法が、アーデンという鉄の巨人を介したことで、恐るべき戦果を叩き出した。そこまでは自覚している。けれど、英雄。以前にもグレインが軽口のようにそう呼んでいたが、ミレアの口から真剣に告げられると、その重みは全く違っていた。
幼い頃、本の中で読んだ伝承の英雄たち。遠い星々の世界に迷い込んだ自分が、まさかそんな大層な存在に?
「あなたの持ち物――あの保存食、花の種、これで納得がいったわ。あなたは戦いだけじゃない。その存在のあらゆる面で、私たちを助けてくれたのよ」
真っ直ぐに自分を見つめて話すミレアの双眸。
「わ、わたくしは、そのような、滅相もありませんわ……」
「それに、『レストフル』はわたくしがいたから……」
レタリアの言葉をミレアは途中で遮った。
「いえ、ブラングの様に誰かが接触した時点で、『アレ』が目覚めていた可能性は高いわ。どちらにしてもすぐ動き出す脅威がそばに来ていたことは事実だったの。ありがとう、レタリア」
流石のレタリアも、正面からの賛辞に言葉を詰まらせてしまった。
そのまま、二人の間に長い沈黙が流れた後、ミレアは本当に聞きたかったであろう、核心の問いを口にしたのだ。
「レタリア。……あなたは「この世界」で、これからどうやって生きていきたい?」
――回想が、そこで途切れる。
ベッドの上でゴロリと寝返りを打ち、レタリアはミレアのその言葉を何度も頭の中で反芻した。
この世界で、どう生きるか。
そして、その問いによって、彼女の胸の奥底に眠っていた「元の世界」の記憶が、再び鮮烈な痛みと愛おしさを伴って呼び覚まされる。
まだ追放される前、優しかった頃の両親の厳格な、けれど温かかった顔。
幼き日に、自分の後ろをトコトコとついてきては、無邪気に笑いかけてくれた妹の顔。
そして――。
レタリアは枕元に置いていた私物袋の中から、一枚の折り畳まれた紙をそっと取り出した。
それは、元の世界で最後まで自分を信じ、自らの身を案じ続けてくれていた唯一の侍女――キアラが、別れの間際に手渡してくれた手紙だった。
星の海の静寂の中、レタリアはその手紙を開いた。




