第四話 重なる精神
恐怖に感情を支配されたナールは、ただ、ひたすらに走る。
自分がどこを走っているのか、一体なにを目的にしているのか、忘れてしまいそうになりながら。
この背中から来る恐怖に、ナールは必死に解決策を探した。
この現状から逃げながら、助かる術を全力で探した。
頭の中でいくつもの自分が、たくさんの案を出し、それを違う自分が否定する。
それが頭の中で何回も繰り返され、ナールは混乱する。
逃げることしかできない自分に、後悔を抱く余裕も──ない。
今では、いくつも案を出していた己の思考は、完全に沈黙しており、この状況に諦めを示していた。
もう無理だ、と。
諦めろ、と。
だが、その思考のどれもナール自身ではない。
全てがある意味独立しており、全てに性格が存在する。だからこそ、ナールの頭の中にあるこの思考は運命共同体ではあるが、全てナールではないとも言えるのだ。
唯一残っている、ナール自身の思考は諦めていない。
他の思考が放棄したこの状況下で、ナールだけは諦めない。
全ての可能性を考え、先を読み、生き残った自分を探す。
しかし、全ての自分が──死ぬ。無残にも、無様にも、動かない肉塊へと化していく。
そこでナールは、ある博打に出る。やけくそになったわけではない。
これが、唯一自分の生存時間が長い選択の最初だ。
「君たちも黙ってないで働いてよ!死んじゃうよ、このままだと!!!」」
ナールは、先ほどからだんまりを続けているモノに訴えかける。
この状況では、こいつらの協力も必要だと考えている。
自分一人ではどうにもならないことでも、それが二人増えればなんとかなるかもしれないという淡い期待だ。
泡よりももろく、明日が来るよりも不確実な期待だ。
[どうにかしろって言われたって……]
[そうだよ。僕らに何かできると思っているの?]
しかし、語りかけた彼らは心許ない返事しかしてこない。
彼からは歴戦の戦士のような気高さも、崇高な賢者のような叡智も感じない。
ただの少年の一端だった。
それもそのはず。
ナールは確かに並列思考を持っていた。
頭の中で、自分とは別である思考が動いていた。
だが、性格の面で言えばナールと特に違いはなかった。
一人が喧嘩っ早いが、弱い。
もう一人は、少し泣き虫。
という、無駄に性格付けされた二人がナールの頭にはいる。
イマジナリーフレンドと言ったら確かにそうだが、しっかりと自我があり、話しかけてくる分イマジナリーフレンドよりも厄介だろう。
「本当に役に立たない~、このままじゃ僕らみんなで─────」
心の二人に文句を言おうとしたとき、ナールは心が大きくざわついた。
確かに、今までもずっと熊のせいでざわつきっぱなしだったが、今回ばかりは今までに経験した事ないほどの胸騒ぎだった。
[上だ!しゃがめ!]
胸騒ぎと同時に、怒り担当がナールに指示を飛ばした。
何も分からないナールは取りあえずそれに従い、頭を守るようにしながらしゃがむ。
それと同時に、頭に風を感じた。
恐ろしい突風が、頭の上をかけていった。
何が起こったのか全く分からず、顔を上げると共に落雷のような轟音が鳴り響く。
バキバキバキとp音を鳴らし、ナールの視界で一本の木が地面に生えている木を何本もなぎ倒していた。
「え……」
[嘘でしょぉ。何だよ、これ!]
[あの熊の仕業だろうね。これは熊と言うよりも怪獣とかの方が似合うけど]
「そんな落ち着いて状況を伝えないでよ……」
一人達観している怒り担当を尻目に、泣き担当をナール自身はあの熊の恐怖心を抱いている。
見たこともないような力技に、ただ傍観することしかできなかったナールの所についにそれはやってくる。
しっかりとその恐怖を伝え終わった後に、一歩一歩ゆっくりと。
相手の恐怖心をさらに煽るように足音を響かせてやってきた。
一歩一歩に殺意を込め。
一呼吸一呼吸で怒りを表わし。
[来たな]
「分かってるよ……」
後ろにある強大な気配。
川のように不規則に形を変えながらも、その場から動くことはなく静かにこちらを見ている。
目線は合っていないのに、背中に矢を受けているように痛む。
また、それは毒が体に広がるように熊が見ているであろうナールの体の後ろ全体が痛む。
しかし、だからと言って振り返らずに逃げるわけにはいかない。
背中を見せて逃げるのは危険だと、ナールは一度アイン言われたのだ。
背中を見せることで速く逃げられるかもしれない。が、相手の方が速い場合がほとんどだし、背中を見せると言う事は自らの弱点を見せるわけだがからおすすめしない。と
その話を聞いて、ナールはよく分からないが納得した。
そして、今それが本当だったことを実感する。
敵を背中で感じるのと正面で感じるのでは全く違った。
正面で見た方が何倍も恐ろしかった。
目の目が合い、相手の殺すという気持ちが嫌と言うほど伝わってくる。
が、敵が自分の目で見えているという安心感は素晴らしかった。
死角からの攻撃よりも、見えている方が安心できる。
[でも……見えない……]
泣き担当がつぶやく。
ぼそりと、ひとりでにつぶやくと共に。
熊が動いた。
姿がかき消えたと思った瞬間、腹に激痛。
一瞬にして間合いを詰め、視界の下という死角にいた。
腹部にその頭部がめり込み、内臓が物理的に動くのを感じ取る。
「アガッ!!!」
[やられた!対応できん!]
熊の衝突の勢いのまま、ナールは後ろに吹っ飛んだ。
勢いを流すことさえ出来ず、全身で力の限りを受け取ってしまった。
たった一撃。
運悪く一回目の突進が腹に突き刺さったそれを、ナール自身は止められない。
受け取った勢いのままに後ろに吹き飛び、森に生える一本の木にぶつかる。
肺にある空気が強制的に吐き出され、後ろへと動いていた肉体の急激な停止は激しい痛みを伴った。
衝突の痛み、骨へと流れる衝撃の痛み、内臓の揺れによって引き起こされる肉体の動きの痛み。
その全てが同時に襲いかかり、ナールの肉体は悲鳴を上げる。
「体の感覚が……ない……よく……見えない……」
[ど、どうするの]
[どうするのって何もできない。僕たちはあくまで思考は、肉体は動かせない]
[動かせないって……]
怒り担当の淡々という説明に、泣き担当は不満を言うことしか出来なかった。
所詮彼らナールの脳内に救う、別人格のようなモノに過ぎない。
意識を失い始めている体の支配者を、静かに見つめることしかでなかった。
段々と黒幕をかけられている視界を、ただ茫然と眺めることしか出来ないのだ。
それが彼らに出来る唯一のことであり。
彼らにしか出来ない唯一のことだった。
幸せも、苦しみも感じずに死んでいく。
それが思考だけである彼らの使命ならば。
肉体も動かせるナールの使命は、その肉体を最後まで動かすことだ。
意識を失いかけたとき、彼は認識した。
熊よりも恐ろしい。
熊を比較対象にすることすら傲慢と感じる程の気配を感じ取った。
この世の元とは思えないほどの速さで、こちらに急接近する『それ』は。
いつのピンチの時に駆けつけてくれる、救世主だった。
「……やっぱり、君はかっこいいよ…………アイン……」
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それではまた次のお話で会いましょう。




