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チャプター05 終業式の午後

 「君たちも来年は3年生だ。夏休みの過ごし方が将来を決めるからな。楽しむのは構わないが、ハメを外しすぎないように」


 一学期の終業式後、ゴリラみたいな風貌の担任がつまらない訓示を述べ終えると、教室は一気に喧騒を取り戻した。

 ──結局、1学期の間一度も登校しなかったな。

 ボクは教壇の目の前に設置された、使用者のいない机を見て落胆した。

 机には酷い言葉の落書きがところ狭しと書き込まれている。

 ボクはため息を一つつき、机の上に散らばったプリント類をまとめ始める。

 こんなの電子データで送ってくれれば楽なのに、なぜ学校はいまだに紙ベースにこだわるのだろう。


「なんだかざらざらするな」


 感じる違和感が思わず独り言として口をついてでた。

 気持ちが落ち着かない。視界の隅がチリチリとするような感覚。


「おーい凪、帰ろうぜ!」

「美味しいケーキ屋が新しくできたらしいわ。一緒にどう?」


 その時、ボクに声がかかった。

 話しかけてきたのは、白河修(びゃくがしゅう)霧院希(むいんのぞみ)だった。

 白河修。生徒会長を務めていて、その端正な容姿や抜群の成績、運動能力で『王子』などという仰々しいあだ名までつけられている。実際、女子からは羨望の眼差しを集め、男子からも一目置かれている存在だ。

 だがそんな彼も、幼馴染として長く付き合ってきたボクの前では、飄々とした笑顔で軽口を叩いてくる、ごく普通の友人だ。

 一方の霧院希は、凛とした雰囲気をまとう、いわゆるクールビューティだ。幼い頃から古武術を修めてきたせいか、背筋が伸びた堂々とした立ち姿が自然と目を引く。

 彼女には男女問わず惹かれる人間が多く、クラスの中心人物の一人とも言えるが、本人はそれをまったく気に留めない。

 そしてボクに対してはまるで姉のように世話を焼いてくれる。ボクが何かと迷ったり困ったりすると、誰よりも先に気づいてくれる──そんな存在だ。

 二人ともボクにはもったい無いほどの友人。大事な親友だった。


「二人は生徒会と部活はいいの?」

「まあ俺は優秀だからな。あとは他の役員がなんとかするだろ」


 修は自信満々な笑みで軽口を叩く。


「適当に仕事放り出すと、また恨まれるわよ。私は今日の部活は休みなの。顧問が外せない用事があるんですって」


 希は微笑みながらも、修にぴしゃりと釘を刺した。

 二人はいつも通り、軽快なテンポで交互に会話を交わす。

 そんなやり取りを見ていると、ようやくボクの気持ちも緩んで、思わず笑みがこぼれた。


「いいよ、行こう!」


 二人が忙しければ、帰って『アポカリプスプラネット』をやろうと思っていたけど、やっぱり一緒に遊べるならそっちの方がいいに決まっている。

 朝のチュートリアルでなんとかマウスも倒せたし、あの悪夢のトラウマも少し薄れてきたところだ。

 それに二人といれば、このざらざらする気持ちも解消されるだろう。

 ボクは手早く荷物をまとめると、これから一ヶ月半近く足を踏み入れることのない校舎を、二人と一緒に後にした。


***


 梅雨が明けたばかりの日差しは、殺人的なほどに強烈だった。

 ほんの少し外を歩いただけで、たちまち汗だくになってしまう。


 ボクはケーキ屋に入り、店内の涼しいエアコンの風を浴びながら、汗で貼り付いたシャツをパタパタとつまんで風を送り込んだ。

 注文はすでに済ませていて、あとはイートインスペースのテーブルに座り、ケーキが運ばれてくるのを待っているところだ。


「マジかよ! おまえ『アポカリプスプラネット』のベータテスターに受かったの!?」


 修の驚きの声が店内に響き渡った。


「ちょ、修! 声が大きいって! 秘密なんだから!」

「それってそんなにすごいことなの?」


 希が不思議そうに首を傾げる。彼女はあまりVRゲームには詳しくない。


「すごいもなにも! 抽選が始まった時は希望者が殺到して、倍率が天文学的な数字になったんだぞ! 書類審査、面接、VR感度のテスト、さらには『ロストアビス』での実績まで全部評価されて合格が決まるんだって!」

「修、だから落ち着いて!」


 興奮しながら説明を続ける修を、ボクは必死でなだめた。

 実際、『アポカリプスプラネット』のベータテスター募集が始まった時は驚くほど高倍率だった。VR感度というのは、仮想現実(VR)内でアバターを自在に動かせる能力のことで、一般的にプレイヤースキルと呼ばれているものだ。

 そんな修の熱心な説明を聞いて、希はようやく納得したように頷いた。


「たしかに凪って、こんなにちっちゃくて可愛いのに、運動神経は結構いいもんね。私の父さんも『門下に入れたいから勧誘してこい』って、うるさいくらいなのよ」

「小さくて可愛いは余計だよ! それに霧院流なんて無理だよ! みんなめちゃくちゃ強いじゃんか!」


 思わず頬を膨らませて抗議するが、希は涼しい顔で微笑むばかりだ。


「確かに凪は可愛い。服装さえ意識すれば、十分女の子として通用するな。いや、むしろ需要があるんじゃ……」

「修! 何を変な想像してるんだよ!」


 今度は修のほうを睨みつける。だけど彼はボクの抗議などどこ吹く風で、楽しげに笑っていた。


「でも、羨ましいぜ! 俺なんてテスターに引っかかりもしなかったもんな! さすが『ロストアビス』の『イクスポーズド・ワン』だぜ」


 修が懐かしいボクの二つ名を口にした。

 すでに『ロストアビス』から離れて半年にもなるのに、聞いただけで胸の奥がざわついた。


「私はよくわからないけれど、有名な配信者だったのよね?」


 希が首を傾げて問いかけると、修が嬉しそうに身を乗り出して説明を始める。


「ああ。凪は最高で全世界の月間視聴ランキング二位を取ったこともあるんだ! 生存不可能領域と言われる最難関階層にソロで挑んでさ生還を果たし続けたライバー! イクスポーズド・ワンって言われて熱狂的なファンがついてたんだぜ」

「もう今は活動してないから……」


 ボクは苦笑しながら軽く流したけど、修の言葉が過去の記憶をじわじわと蘇らせる。

 ロストアビスの話題が出ただけで、手のひらがじっとり汗ばんでくるのを感じた。

 さっきまで明るく笑っていた修の表情が、ふと真剣なものに変わる。


「なあ、凪。『ロストアビス』に戻ってこいよ。ファンが掲示板でずっとお前の帰還を待つスレッドを立ち上げ続けてるんだぜ?」

「それは……」


 突然切り込んできた修に、ボクは咄嗟に顔を伏せた。

 心臓の鼓動が速くなる。喉が詰まったような感覚。

 きっと修は、この話題を出すタイミングをずっと探っていたんだと思う。


「神崎のことは気にするなよ。あいつがおかしいんだ。勝手にお前に悪意を向けて、自滅しただけじゃないか。凪にはなんの非もないんだぞ。むしろ、被害届を出してもいいくらいだと思ってる」

「本当のボクを姿を知った人たちはがっかりしたと思うよ……。それに、彼を不登校にしたのはボクだから」


 ボクは絞り出すような声で、そう言った。

 そうなのだ。

 神崎が不登校になったのは、間違いなくボクが原因だ。

 今日も、彼の机は空席だった。

 机の表面には、目を背けたくなるような酷い言葉が落書きされている。

 先生たちはその状況を見て見ぬふりをしている。

 そして、そんな状況を作り出した張本人は、紛れもなくボクだった。

 ライブ配信がうまくいき始めた頃、ボクは調子に乗っていたのかもしれない。

 自分が行ったことで、他人の人生がここまで狂ってしまうなんて、考えもしなかった。


「なんでそうなる! あいつが勝手に凪の身バレを仕掛けて、お前を危険に晒そうとしたんだろ! あんなやり方したら叩かれて炎上するのは当然だ! 完全に自業自得じゃないか!」


 修が感情的に、声を荒げる。

 ボクは俯いて、黙り込むしかできなかった。


「修、落ち着きなさい。ケーキが届いたわ」


 希が冷静な声で修をたしなめる。

 修もそれ以上言うことができず、悔しそうに口をつぐんだ。

 運ばれてきたケーキと紅茶がテーブルに配られる間、重苦しい沈黙が三人の間に漂う。

 希が落ち着いた所作で、紅茶を一口飲んだあと、静かな声で口を開いた。


「修。凪を心配するあなたの気持ちは十分汲むけど、少しやり方が強引だわ」

「わかってるよ。結局、凪を責めてるみたいになった。今、猛烈に反省してるところだ」


 修は美しい顔の眉間に皺を寄せ、自分の感情を押し殺すように吐き出した。

 それを聞いた希は、満足そうに頷いた。


「なら結構。そして凪。修の気持ちは……あなたならよく分かっているわね。私だって今のあなたの状況をもどかしく思っているの」


 希の声は静かで、凛としていた。


「ありがとう、修、希」


 二人がボクを気遣って言葉をかけてくれていることは、よく分かっていた。

 修のまっすぐな想いも、希の包み込むような優しさも、すべてボクのためだと理解している。

 それでも──。


 今、『ロストアビス』をもう一度プレイしようと思っただけで、手が震えてしまう。

 その上、配信なんて尚更だ。

 人前に出るのが怖い。

 また多くの人の視線に晒されるのかと思うだけで、全身が固まるのだ。

 こればかりは、どうしようもない。


「まあ、無理をしても仕方ないわ。ね?」


 希が穏やかな表情で、ボクの緊張をほぐすように声をかけてくれた。


「実は私も『ロストアビス』を始めようと思っているの。あなたが帰ってくるまでに、強くなっておくわ」

「この前、希のセットアップを手伝わされてさ。これが機械音痴も甚だしくて──いたっ!」

「余計なこと言わないの! 凪の前のアバターもぜひ見たいわ。でも今の見た目とは全然違うんでしょう? VR感度が狂うから、顔はともかく、身長や体重は合わせたほうがいいって説明書には書いてあったけど」


 希の言う通り、初めてプレイした時はあまりにも感覚が違いすぎて、何度も転倒した記憶がある。


「凪のアバターは、禿げた渋いおっさんだぜ! 本来の凪からはまったく想像できないからな!」


 修がいたずらっぽく笑って言うと、希は明らかに不満そうに唇を尖らせた。


「なんで本来の姿にしないのよ。せっかくこんなに可愛いのに」

「だからだよ! ボクは男だぞ! 男たるもの──」

「出た、凪の男論」

「なぜかそこだけ古風なのよね」


 二人は完全に息を揃えてため息をつく。

 ちょっと待て、なんで君たちはそんな、こまったちゃんを見るような目でボクを見るんだ!


「だって、女っぽいとか、いろいろ言われるから……」

「あら? 女だっていいじゃない。私は格好悪いわけ?」

「いや、希は違うよ! 希はこんなに格好いいし……。ボクも修や希くらい格好良かったら、いいのに……」

「なんでお前はそんなに自己評価が低いんだよ?」

「本当に。あなたはあなたで素敵よ。もっと自信を持ちなさい」


 二人の優しい言葉が、胸にじわりと染み渡る。

 それでもやっぱり、ボクは苦笑いすることしかできなかった。

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