チャプター24 嘲笑の的
その瞬間、塵界のライブ配信ページに新たなチャンネルが誕生した。
投稿者の名前は道家凪。
レベル1固定という、不利という言葉すら霞むほどのペナルティを抱えたジョブ、道化師。
その呪われた称号と共に、少女はこの配信を始めることになった。
挑むのは、茂原外環周辺のフィールドエリアで伝説となっている脅威度Sモンスター、死針。
通常ならレイドパーティーを組んで、ようやく討伐できるかどうかという、まさに悪夢の具現のような存在。
『【無理ゲー】レベル1固定の最弱少女が最強脅威度Sモンスターに挑む!』
ライブ配信のタイトルが自動で生成され、画面の上部に大きく表示された。
そのキャッチーさに釣られてか、視聴者数のカウンターがじわじわと上昇し始める。
──1人、5人、10人。
道家凪という潜行士が、今まさに世の中に躍り出ようとしていた。
***
懐かしい感覚がボクを包み込んだ。
無数の視線が肌を刺すように降り注いでくる。
システム上、実際に観客がそこにいるわけではない。
気配など感じるはずもないのに、ボクの全身は彼らの存在を確かに捉えていた。
これはロストアビスでライブ配信をしていた頃から、ずっとボクの中にある感覚だった。
観客さん達の熱い眼差し、期待、興奮──それら全てが混ざり合った独特の空気感。
晴れの場。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、指先がかすかに震えた。
膝が小刻みに揺れそうになるのを押さえ込む。
まだ怖い。神崎くんと出会う前のように、純粋に見られることの喜びだけを感じることはもうできない。
ライブ配信をするたびに、あの日の記憶が影のようにつきまとう。
この恐怖は、きっとこれからもボクを離さないだろう。
それでも──。
ボクは深く息を吸い込んだ。
震えそうになる足をしっかりと床に据え、背筋を伸ばす。
たとえ恐怖が消えなくても、ボクは自分の意志でここに立つことを選んだのだ。
ゆっくりと右手を胸に当て、左足を半歩後ろに引く。
そして流れるような動作で上体を傾け、優雅に一礼した。
「さあさあさあ! 紳士淑女の諸君、老若男女の皆々様! 今から始まるのは世にも無様な見せ物だ! 相手は脅威度Sのネームドモンスター『死針』!! 対して戦うのはボク! ランクG、しかもレベル1の最底辺も最底辺、【道化師】の道家凪! ボクよりステータスが低い潜行士はいないはず! 勝負にならないって!? それは見てからのお楽しみ! 不可能だから面白い! 命を賭すから燃える! 熱い展開を待っててね! さあッ! 殺戮遊戯の始まりだッ!」
一礼をしたまま、静かに呟く。
「嘲笑の的」
宣言と共にスキルが発動する。
視界の右端に、小さく青白い数字が表示される。
──10人。
おそらく今この瞬間、ボクのライブ配信を視聴している観客さん達の数だ。
嘲笑の的の効果が発動した証拠でもある。
だがこの程度の人数では、ステータスへの補正はほとんど期待できない。
『本当に死針だ! 確認されたの10年ぶりじゃないか?』
『死針──?』
『茂原外環のフィールドエリアに出没する伝説的なネームドモンスターだよ! たしか脅威度S』
『──こいつマジでレベル1だぞ? それで脅威度Sに挑むのか?』
『じゃあこれは救助要請か──?』
『それにしちゃ、落ち着いているな? 自殺志願者か、自分の実力を考えない馬鹿か──』
『それになんでステータス全晒ししてんだ? バカなのか?』
『この嘲笑の的っていうスキルが原因らしいぞ。フレーバーにも書いてある!』
さざなみのように、次々とボクの耳に声が届く。
ライブ配信を視聴する観客さん達たちの声だ。
彼らの言葉は辛辣だが、それも仕方がない。
もしボクが逆の立場で、レベル1の初心者が脅威度Sのモンスターに単独で挑もうとしている配信を見たら、同じような反応をするだろう。
しかも嘲笑の的の効果により、ボクのステータス画面は隠すことなく全てライブ配信で晒されている。
レベル1、装備は初期装備、スキルは嘲笑の的と役立たずの黙劇のみ。
これがただのゲームなら無謀な馬鹿で話は終わるけど、実際に命を賭けた戦闘となれば、正気を疑われても仕方がない。
──SHURORORORO。
再度、死針が鳴き声を上げた。
その声に焦りはない。
ボクがスキルを発動したことも気がついている。奴の無機質なカメラには確かな理解の色が浮かんでいた。
それでも死針は動かない。
巨木に捕まった姿勢で、ただじっとボクを見据えている。
待っていたのだ。
万端の準備が終わるのを。
たとえどんな小手先を使おうと、その上で叩き潰してやると──そんな絶対的な自信が滲み出ていた。
「さあ、やろうか!」
ボクの言葉が夜の静寂を切り裂いた。
その瞬間、死針の姿がブレる。
残像すら残さない、純粋な速度。
空気を切り裂く音すら置き去りにして、黒い影がボクへと迫った。
「速──っ!」
思わず声が漏れた。
あの巨体からは想像もつかないほどの初速だった。
ほとんどゼロモーションから一瞬で最高速度に達する動きは、やはり化け物としか言いようがない。
重量級の見た目に反した俊敏さに、背筋が凍りつく。
でも、ボクには強みがある。
ヘッジホッグと100回以上戦って、そのたびに死んできた経験だ。
あの死の記憶が、今この瞬間、ボクの最大の武器になっている。
死針がどこから飛んでくるか、その軌道が見える。
いや、見えるというより体が勝手に反応する。
幾度となく貫かれた痛みが、身体に刻み込まれた記憶として蘇る。
ボクの手は自然とナイフを構えていた。
次の瞬間、金属同士がぶつかり合う甲高い音と共に、腕に強烈な衝撃が走る。
目の前には、漆黒の死針が出現していた。
ナイフの刃が、間一髪でその針の群れを受け止めている。
衝撃で腕が痺れ、ナイフを握る手が震えた。
同時に圧倒的な重量さによってボクは吹き飛ばされる。
「くっ────!」
ボクの叫び声が森に響き渡る。
間一髪、初撃を回避した。
吹き飛びながら、さっきまでボクがいた場所を確認する。
ヘッジホッグの基本的な攻撃手段は体当たりだ。
全身に生えた槍と合わせれば、動く要塞そのものだ。
何度それで殺されたことか。
だが、厄介なのはそれだけじゃない。死針には通常のヘッジホッグに加えて飛び道具がある。
毒島と大吾を貫いた針だ。
体表に生えそろう針より一回り小さいとはいえ、その先端には致死性の毒が塗られている。
一本でも掠れば、数分で体が麻痺して動けなくなる。
空中に放り出されたボクは、格好の的になってしまう。
「こなくそっ!」
ボクは背中に向かって黙劇を発動する。
瞬間、空中に無数の透明な板が出現する。見えない壁が次々と生まれる。
黙劇──道化師の初期スキル。防御にも使えないような透明な薄い板を体が接する任意の位置に出現させるスキル。
ほぼ無意味なスキルだが、使用MPなし、リキャストタイムなしだ。
つまり何十、何百と出現させようとデメリットはない。
ぱりん、とガラスが砕ける音と共に黙劇が砕けちる。
透明な薄板がボクの体に触れた瞬間、青い光の粒子となって砕け散っていく。
まるで蒼い花火が間近で弾けたような、幻想的な光景が一瞬だけ空中に描かれた。
一枚一枚は指で軽く押しただけでも砕けてしまうほど脆い。だが、何十回も出現させれば話は別だ。
砕ける板のほんのわずかな反動が積み重なり、吹き飛ぶボクの軌道が少しずつ、しかし確実に変わっていく。
足が地面に触れた瞬間、ボクは膝のバネを最大限に使って跳躍した。
筋肉が悲鳴を上げるが、止まるわけにはいかない。
ザクッ。
鈍い音と共に、ついさっきまでボクがいた場所に漆黒の針が突き刺さった。
地面に深々と食い込んだそれは、まるで墓標のように不吉な影を落としている。
やはり着地の瞬間を狙い撃ちしていたのだ。一瞬でも動きが止まれば、次はボクの体を貫いていただろう。
心臓が早鐘のように打つ。止まったら、死ぬ。
その事実が全身の細胞に更に緊張を走らせた。
飛び道具を持つ相手に対して、距離を取ることは自殺行為だ。
遠ければ遠いほど、向こうの攻撃は正確になり、こちらの回避は困難になる。
ならば──。
「あああああッ!」
ボクは叫び声を上げながら、巨体の懐へと飛び込んでいく。
本能が全力で逃げろと警鐘を鳴らしている。
目の前の巨体は、ただそこに存在するだけで圧倒的な威圧感を放っていた。
全身の毛が逆立ち、冷や汗が背中を伝い落ちる。
それでも足を止めるわけにはいかない。
奴が身震いするたびに無数の針が降り注ぐ。
まるで数百のファランクスを相手にするようなものだ。
ボクは息吐く暇もなく、手にしたナイフで必死に捌いていく。
金属音が連続して響き、火花が散る。
一本でもまともに受ければ、終わる。
ナイフの刃こぼれが目立ち始めた。
砕け散る寸前で、ボクはインベントリにある新品に持ち替える。
初期装備の武器なんて、こんな化物相手には紙切れ同然だ。
全ての攻撃を完璧に受け流さないと、耐久値を速攻でけずられる。
力任せに弾くのではなく、最小限の動きで軌道を逸らしていく。
集中しろ、集中しろ。
ボクは自分に言い聞かせる。
まるでゼロ距離でマシンガンの弾丸を全て避けているような気分だ。
針の軌道を読み、体を捻り、紙一重でかわしていく。
だけどやるしかない。
諦めるなんて選択肢は最初から存在しない。
ちらりと後ろを振り返ると、雪が固唾を飲んで見守っているのが見えた。
彼女の瞳には不安と、そしてボクへの信頼が混在している。
大吾も顔面蒼白だったが、まだ息はありそうだった。
絶対に引かない。
ここで退いたら、みんな死ぬ。
絶望的な状況だ。
勝ち目なんてどこにも見えない。
だからこそ、ボクの口角がゆっくりと上がっていく。
唇が三日月のように歪む。
こんな時こそ、笑うのだ。恐怖に支配されたら、その時点で負けが確定する。
「さあ!! 持久力勝負のタイマンといこうか!!!」
ボクは高らかに宣言した。
挑発するように、獲物を前にした肉食獣のように、不敵な笑みを浮かべながら。




