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チャプター22 因縁

「そこ! もう一歩だっ」

「ぐっ……わかったっス!」

「援護、遅い!」

「わかってるわよ!」


 ボクの声に反応して、大吾が剣を構え直しながらアシッドジェム三体の群れの中へさらに一歩踏み込んだ。

 緑色の粘液質の体を持つモンスターたちが、侵入者に向けて触手を振り上げる。

 大吾の額に汗が滲んでいるのが、ここからでも見て取れた。

 大吾のリスクが上がる分、後衛で詠唱を続ける雪へのヘイトは確実に減っていく。

 ボクは二人の位置関係を素早く確認した。

 うん、いい配置だ。

 あとは大吾が踏ん張り切れば、雪の攻撃が畳み掛ける。  

 雪の杖の先端が赤く輝き、放たれたアイスアローが一体のアシッドジェムに着弾した。

 氷柱がアシッドジェムに突き刺さると、一気に体が氷っていく。

 おーさすが弱点属性。


「うわっ」


 大吾の声が響いた瞬間、残り二体のアシッドジェムが同時に酸弾を放った。緑色の液体が弧を描いて飛来する。

 わずかな時間の間に大吾は、囲まれていた。

 敵の動きに注意を払って、動き続けなかった結果だ。

 ヘイトは継続して稼ぐことに価値があるのだ。

 一度引き付けたら、最後まで引き受け続けなければならない。

 ダメージを受けて退場してしまっては、元も子もない。

 とはいえ、こういった立ち回りは実戦を重ねるしかないのも事実だ。

 蘇生(リスポーン)の代償が大きい塵界では、失敗から学ぶ機会も限られている。

 難しいところなのだろうけど。

 酸弾の一つは、大吾の左腕についたバックラーで防げるはずだ。彼の構えを見てそう判断した。

 だがもう一つは無理だ。角度的にどうやっても届かない。


 ボクは地面を蹴った。速度が出ないから位置取りだけはしっかりしていた。

 敵の攻撃パターンを読んで、あらかじめ最適な場所に陣取っていた。だから確実に間に合う。

 大吾と酸弾の間に滑り込むと、セラミックナイフを振るった。刃が空気を切り裂く音と共に、酸弾は弾かれて誰もいない地面に着弾した。ジュウという音を立てて、草が溶けていく。

 少し前のボクなら、アシッドジェムに傷一つつけることができなかった。


「でも……!」


 ボクは息を呑み、アシッドジェムの動きに全神経を集中させる。

 最大の攻撃手段である酸を失った奴は今、体を揺らしながら斜めに移動し、ボクから距離を取ろうとしている。

 極めて真っ当な反応だ。目も耳もないはずなのに、どうやって周囲を知覚しているのか不思議でならない。

 ボクは右手のセラミックナイフを逆手に持ち替えた。選んだ攻撃手段は刺突。

 微々たる攻撃力しか持たないボクが、その全てを一点に集中させるための選択だ。でも、それだけじゃまだ足りない。

 だからアシッドジェムの動きそのものも利用する。奴が移動する軌道を読み、ボクは素早く位置を変えた。

 まるでナイフに飛び込んでくるように、アシッドジェムの進路上に刃を構える。

 タイミングを見計らい、全体重を乗せて突き出した。

 セラミックナイフがアシッドジェムの表面に吸い込まれるように突き刺さった。

 

 パチン。

  

 アシッドジェムは水風船が弾けるように呆気なくその形を失った。

 透明な体液が飛び散り、地面に染み込んでいく。ボクの刃が、奴の核まで確実に届いたのだ。


「よしっ」


 息を整えながら、転がるアシッドジェムの残骸を見下ろす。透明な体液が地面に染み込んでいき、やがて跡形もなく消えていった。

 アポカリプスプラネットでの努力は確実に力になっている。


「やった倒せたわ!」


 雪の歓声に振り返ると、大吾と雪も最後の一匹を仕留めたところだった。

 大吾がミドルソード剣を肩に担ぎ直し、雪は杖の先端に宿した魔力を霧散させた。

 二人の装備に目立った損傷はない。

 完勝といったところだ。


「ありがとう凪! 今まで複数体のアシッドジェムを討伐したことなかったの。ああっ、レベルが上がったわ!」

「俺もっス!」


 大吾も雪も目を輝かせながら、空中に浮かぶステータス画面を指でスワイプしている。

 二人は毒島に酷使されていた。

 まともな指導を受けられないどころか、良い下僕にするためにレベルアップを阻止されてすらいただろう。

 とは言え、大吾ですら小手先を使わずに一発でアシッドジェムを倒していた。

 普通前衛ならレベル一桁でもステータスのゴリ押しでアシッドジェムくらい倒せるんだよなぁ。

 ボクは自分の細い腕を見下ろして、小さくため息をついた。

 

 すでに後方拠点の準備は整っている。

 つまり準備は万端で、戦闘が始まるまでは手持ち無沙汰というわけだ。

 そんな中、周囲の哨戒に行きたいと上長に申請を出したところ、思いのほかあっさりと許可が下りた。

 ただ、嫌そうな顔で手をひらひらと振られたのを見るに、渡航者(ビジター)であるボクを体よく追い出したいという気持ちも多分にあったのだろう。


 そんなこんなで、今は雪と大吾と三人でレベル上げという名の哨戒任務のため、木漏れ日が漏れる森の中を歩いている。

 後方支援キャンプの周囲、茂原外観の近くのフィールドエリアのごく浅い場所。 

 吹き抜ける風が森の葉をざわめきを生み、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 時折流れる極彩色の霧は、やはり塵界ならではだ。


「でもまさか凪が、年上だったなんてね! 謝るわ!」

「雪、それ謝ってないっス」

「もうそのことは気にしなくていいよ。それに潜行士(ダイバー)歴は雪と大吾の方が上だし。レベルもね」


 ボクは肩をすくめて、苦笑を浮かべた。

 正直なところ、年齢は関係ない。

 うん、身長を理由にちょっと感情的になったけど。

 この世界では実力がものをいう。

 短い時間だったけれど、二人と話しているうちに、それぞれの性格が見えてきた。

 雪は瞳の奥に強い光を宿した少女だ。

 誰が相手でも物怖じせず、思ったことをストレートに口にする。その姿勢は時に生意気と取られるだろう。

 でもボクには彼女の真っ直ぐさが心地よく感じられた。

 一方の大吾は、暴走しがちな雪のブレーキ役だ。

 独特の語尾は少し子分っぽく聞こえるけれど、年上のボクに対してもきちんと礼儀を守れる常識人だ。雪の勢いを上手くコントロールしながらバランスを保つ。そんな役割を自然とこなしているようだった。


「でも凪って本当に強いわね。レベル1って本当なのかしら? だとしたらチート級の強さよ? 渡航者(ビジター)ってチーターだって噂が立ってたけど本当かしら?」

「雪! すみませんっス、凪さん!」

「だって気になるじゃない!」

「どうなんだろうねえ」


 大吾が慌てたように雪を咎めるけれど、当の雪は頬を膨らませて口を尖らせている。

 どうやら彼女にとって、ボクが渡航者(ビジター)であることは触れてはいけない話題というわけではないらしい。

 正直なところ、腫れ物に触るような扱いをされるよりも、こうしてストレートに聞いてくれる方がずっと気が楽だ。


 ボクは苦笑いを浮かべながら、巨木から漏れる木漏れ日を見上げた。

 確かに大吾の言うことも、あながち的外れというわけじゃない。

 ボクにはマスタリーシステムという他の潜行士(ダイバー)には無い強化手段がある。

 VR2120に戻った時にアポカリプスプラネットの中で蘇生(リスポーン)を気にすることなく修行できたことは、見方によっては確かにチートと呼べるだろう。

 しかもマスタリーシステムのステータスは他の潜行士(ダイバー)には見えないようだった。

 咲良さんにも賢人さんにも不思議な顔をされるだけだったのだ。

 おそらくステータスを鑑定されても、マスタリーシステムの部分は見えないはずだ。

 ボクは歩きながら自分のステータスを見比べる。


「他の渡航者(ビジター)がどうかはわからないけど、少なくともボクのジョブは大分特殊な感じではあるよ。少なくともレベル1固定は本当みたいだ」


 VR2120から戻ってからの1週間でそれなりの数のモンスターを倒してきた。

 咲良さんにも合格を貰ったくらいだ。

 着実に経験値は蓄積されているはずだった。

 ステータス画面を開いて確認する。

 レベルの数値は相変わらず「1」のまま微動だにしない。

 経験値バーは着実に溜まっている。

 ロストアビスをプレイしていた頃の経験から計算すれば、今まで倒したモンスターの数なら最低でもレベル5、レベルアップの早いジョブなら7には到達しているはずの量だ。

 画面を閉じて、ため息をついた。

 ロストアビスのジョブシステムにおいて、上級職と下級職の差こそあれ、同じクラスに属するジョブ間に優劣は存在しない。

 どのジョブにも一長一短があり、プレイスタイルに応じて選択できるようバランス調整されているはずだ。

 だとすれば……道化師(クラウン)には、レベル1固定という途方もないハンディキャップを補って余りある、何か強大なメリットが存在するはずだ。


 ──嘲笑の的(フール)。


 スキル欄に表示されたその文字を見た瞬間、ボクの指は震えた。

 つまりはそういうことだ。

 このスキルこそが、道化師(クラウン)の真価なのだろう。

 正確に理解している。

 しているが、まだ気持ちが追いついてない。 


「…………とりあえずは、モンスターは倒せるようになったんだ。焦る必要はない……よね?」


 ボクは自分に言い聞かせるように、小さくつぶやいた。

 その時、遠くの草むらが、不自然に揺れる音が響いた。

 ざわり、鳥肌の立つ感覚。

 人の気配。それも悪意を持った。


「大吾、雪っ!!」

 

 叫んだ時には、もう体が動いていた。

 大吾と雪の肩を掴み、二人を後方へと押し除ける。その勢いのまま前方へ飛び出すと、視界の端で何かが煌めいた。

 高速で飛来する鉄矢。狙いは正確で、さっきまで雪が立っていた位置を真っ直ぐに貫こうとしていた。

 咄嗟にナイフを抜き、その軌道上に刃を滑り込ませる。

 甲高い金属音が森に響いた。

 衝撃が手首から肩へと駆け抜け、ナイフの刀身に亀裂が走る。

 耐久性が一瞬で限界を超え、青白いノイズを残して武器が消滅した。

 かなりの威力だ。並の防具なら易々と貫通していただろう。

 インベントリを開き、予備のナイフを取り出す。

 握り直すと同時に、矢が放たれた方角へ向けて投擲(とうてき)した。刃が草むらの奥へと吸い込まれていく。


「うおっ!」


 茂みの向こうから、狼狽えた男の声が響いた。

 当たってはいないだろうが、牽制(けんせい)にはなったはずだ。

 冷や汗が背中を伝う。

 偶然うまく行ったから良かったけど、失敗したら大惨事だった。

 震える手をナイフを握り込むことによって隠す。


「何!?」

「雪、下がるっス!」


 雪と大吾も、ようやく事態を把握したらしい。

 二人とも即座に武器を構えて、背中合わせに周囲を警戒する構えを取った。

 あり得ない、と思った。

 奴は、犯罪者となって他の外環に逃げ出したはずではなかったのか?

 潜行士協会(ダイバーズギルド)もそう結論づけたはずだ。

 脅威は去ったと思ったからこそ、こうやってフィールドエリアにもこんな無防備にも出てしまった。

 ボクは、内心の狼狽を隠して問うた。


「──なんの用ですか? 毒島さん」

「……ちっ。気がついてやがったか。忌々しい餓鬼だぜ本当に」


 賭けは嫌な方に当たるものだ。 

 声と共に大きなクロスボウを持った毒島が現れた。

 雪と大吾の肩が、びくりと震えた。

 先ほどまでの凛々しい表情は二人にはない。

 目を見開き、唇を噛みしめて、まるで蛇に睨まれた蛙のように身動きが取れなくなっている。

 おそらく相当のトラウマになっている。

 気持ちで負けている以上、二人を戦力に数えることはできない。

 相手の動きを警戒しながら、いつでも二人を逃がせるよう足の位置を調整する。

 この状態をなんとかしなければならない。後方拠点に駆け込むか。いや距離がありすぎる。

 3人で逃げてもクロスボウの餌食になるだろう。


「何の用ですか、じゃねえよ渡航者(ビジター)。ウチの可愛い生徒たぶらかして何やってんだァ? それに大吾くんに、雪ちゃぁん、先輩の許可も取らず何やってるのかなァ? ほうれんそうは大事って教えたよねェ?」

「鉄矢で狙っておいて先生ヅラですか? 随分と都合のいい理屈ですね?」

「黙ってろよクソが。実践形式の教育方針なだけだろうが。そうだよなぁ二人とも」


 毒島の口から吐き出される言葉は、恫喝(どうかつ)と嘲(あざけ)りがべっとりと張り付いたダミ声だった。

 その粘着質な響きは、まるで耳の奥にへばりつくような不快感を与える。

 声の抑揚の付け方といい、わざとらしい語尾の伸ばし方といい、中学生のいじめっ子がそのまま大人になったような幼稚さだ。

 だが、その幼稚な脅しは雪と大吾には十分すぎるほど効いているようだった。

 二人の肩が小刻みに震え、視線は地面に釘付けになっている。

 雪の握りしめた拳は白くなるほど力が入り、大吾は唇を噛みしめて必死に何かに耐えているようだ。

 その様子を見下ろす毒島の顔が、ゆっくりと歪んでいく。

 口角が不自然に吊り上がり、目は細められて三日月のような形になる。

 自分の言葉が、まだ二人に影響力があると確信した笑み。

 この人、自分が今どれだけ醜悪な顔をしているか、まったく自覚がないんだろうな。


「でも俺は優しいからさァ。かわいい生徒が多少失敗しちゃっても許してあげられるんだよね。──さ、行くぞ」


 毒島が大きく手を振る。

 まるで犬を呼ぶような、いや、それ以下の扱いだ。

 太い指がくいくいと動き、雪と大吾を手招きする。

 二人の顔から完全に血の気が引いていく。

 この状況で返事なんてできるはずもない。


「二人が行くことはありま──」

「行く訳ないじゃない……!」


 ボクが二人に代わって応えようとした、まさにその瞬間だった。

 雪が震える足を無理やり前に踏み出し、顔を上げた。

 その瞳には恐怖に混じって、確かな決意の光が宿っていた。

 瞳の光の強さにボクはどきりとする。


「あなたは茂原外環ギルドから指名手配されたわ! そ、そんな人について行く人がいると思うのかしら!」


 雪の言葉に、毒島の顔が一瞬止まった。

 一瞬、憤怒の表情を浮かべたのものの、すぐにその表情は嘲笑にうわ塗りされる。

 

「今まで面倒見てやった恩を忘れやがったのか? きたねぇストリートチルドレンのテメェらに目をかけてやったのは俺だけだろうが。それにお前らもすでに犯罪に手を染めてんだろう? まさか許されたとでも思ってのかよ? お前の手はすでに真っ黒だぜ?」


 毒島の言葉が、冷たい刃のように空気を切り裂いた。

 雪の肩が震えている。隣に立つ大吾も同様だった。

 ボクの立場から言えば、そんなのは罪じゃないと断言できる。

 毒島の支配下にあって、命令を聞かなければ暴力を受けた。

 逆らえば何をされるか分からない恐怖の中で、自由意志などあるはずもない。

 実際、潜行士協会(ダイバーズギルド)でも彼らの行為は不問になっている。

 だが、二人の内観は違うのかもしれない。

 たとえ強制されたものであっても、自分の手で誰かを傷つけた記憶は消えない。

 その重みは、当事者にしか分からないものなのだろう。

 二人は俯いたまま肩を震わせている。雪の手がボクの服の裾をぎゅっと掴んだ。

 細い指が布地に食い込むほどの力で、まるで溺れる者が藁を掴むかのようだった。

 反対の手は大吾の手を握りしめている。

 そして雪は、大きく息を吸い込んだ。

 震える唇を引き結び、意を決したように顔を上げる。その瞳には、恐怖を押し殺した強い光が宿っていた。


「そうよ。私たちは雑魚だわ……! あなたみたいな人でなしに捕まって、言われるがままひどいことをしてしまう弱い人間よ!」


 雪の声が震えながらも徐々に大きくなっていく。

 最初は消え入りそうだった声が、言葉を重ねるごとに力強さを増していった。

 彼女の両手は小刻みに震えているが、それでも毒島から目を逸らさない。

 その瞳には、恐怖と同時に、何か決意のようなものが宿り始めていた。


「でも、もうそれもおしまい! わたし達は弱いから、強くなるの! 自分のことを自分で決められるように! だからあなたの思い通りにはならない!」


 雪が言い切った瞬間、その場の空気が変わった。

 彼女は肩で大きく息をしながらも、背筋をまっすぐに伸ばして毒島を見据えている。

 額には汗が浮かび、顔は紅潮しているが、その表情には今までにない強い意志が表れていた。

 一方の毒島は、顔を真っ赤にして拳を握りしめた。

 血管が浮き出るほど強く握られた拳が、小刻みに震えている。

 今にも爆発しそうだが、かろうじて理性が繋ぎ止めているって様相だ。 


「大層な演説をするじゃねぇか。そう言えば、テメェらが面倒見ているストリートチルドレンのガキどもは元気にしてるか? 今頃1人くらい攫われたりするかも知れないなぁ。心配だよなぁ」

「…………! 子供達は関係ないじゃない!」


 雪の顔から一瞬で血の気が引いた。さっきまでの強気な態度が嘘のように、体が硬直している。


「おやおやぁ? 自分の意思を通すには脇が甘すぎんじゃねぇか? 血のつながりもねェ、覚醒もしてねェガキどもがどうなったって、お前らには関係ない? そうだろう?」


 毒島が薄気味悪い笑みを深める。その瞬間、今まで黙っていた大吾が一歩前に出た。


「ふざけるな……!」


 低く押し殺したような声だったが、その中には抑えきれない怒りが滲み出ていた。

 普段は温厚な大吾の、ボクが初めて見る激情だった。


「血の繋がりなんて関係ない! 俺たちは家族だ! それに覚醒したのなんて偶然だ! 俺とあいつらに違いなんて何もない! お前の勝手な価値観で、物事を決めるなァ!」


 大吾が、一歩前に出る。


「──いいねぇ。たかがFランク風情が、Dランクに敵うと思ってんかよ。現実を見せてやるよ」


 毒島もまたクロスボウを構える。

 その動作は大吾とは対照的に、まるで獲物を前にした蛇のように滑らかで無駄がない。

 最悪の展開だ。

 このまま感情に任せて大吾を戦わせれば、結果は火を見るより明らかだ。

 かといって、ここで引き下がることなんてできるだろうか。

 ──いや、無理だ。

 一度でも弱腰を見せれば、毒島は確実に雪と大吾を標的にしてくる。

 守るべき二人がいる以上、逃げるという選択肢は最初から存在しない。

 ボクの拳が、いつの間にか固く握りしめられていた。

 ここで毒島を完全に行動不能にしなければ、この状況を打破することはできない。


「大吾、落ち着いて。ボクが行く」

「な、凪さん!」

「な、凪!?」

「毒島の言うとおりだ。DランクにFランクが正面から挑んでもきっと勝ち目はない。毒島が煽っているのに気が付かなくちゃ」


 ボクの言葉に、毒島がちっ、と小さく舌打ちする音が聞こえた。

 その苛立ちを隠そうともしない態度に、頷く。


「やっぱりお前が出てくるんだなぁ渡航者(ビジター)! お前のほうこそレベルが低いだろ! なんで首を突っ込むんだよ! 引っ込んでろよクソが!」

「言いたいことはそれだけかな? それともこの状況でボクが加勢しないなんて思ってたの?」


 両手のナイフを構える。

 相手は格上のDランク──レベルは20から40台といったところか。それに対してボクはたったのレベル1。通常のレベリングシステムで考えれば、到底敵うはずのない相手だ。

 数値だけを見れば、大人と子供ほどの差がある。

 それをマスタリーシステムでどこまで、埋められるか。

 自信はない。

 

「それとも、レベル1のボクが怖い?」

「ちぃッ!」


 それでも煽(あお)る。奴の武器はクロスボウだ。

 矢の向く先を極力、ボクにしなければ。

 空気が張り詰めていく。 

 しかしそれを崩したのも、毒島だった。


「当然、お前が関わってくる可能性も考慮してるんだよ! クソ渡航者(ビジター)!」


 突如、森の奥から木々が軋み、砕け散る轟音が響いてきた。

 バキバキと太い幹が折れる音、ドサドサと倒木が地面を叩く音。

 何か巨大なものが、こちらに向かって一直線に突進してくる。


「ランクCのグレイトボアだ! てめぇにぶつける為に用意したぜぇ」

「──な」


 森の空気が一瞬にして変わった。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、小動物たちが逃げ惑う気配。

 そして何より、全身の毛が逆立つような圧倒的な殺気が、濃密な霧のように周囲を包み込んでいく。

 ボクの背筋に冷たい汗が流れ落ちた。

 今すぐに全てを投げ捨てて逃げ出したくなるような、本能的な恐怖がボクの全身を駆け巡る。

 足が震え、呼吸が浅くなる。それでも、ボクはその場から動けなかった。

 毒島は何も気づかずに、勝者の笑みをこちらに向けた。

 口角が吊り上がり、目は獲物を見つけた肉食獣のように爛々(らんらん)と輝いている。


「わかってたんだよ! お前がチートみたいな能力持ってんのは! だがレベル1でランクCのモンスターを倒せるか? 倒せるかもしれねぇな! じゃあ、ランクFのガキ二匹を足手纏いとして配置したらどうだ? 流石に厳しいんじゃねえか? もし倒せても俺が弱ったお前の止めを刺してやる! こうやって幾重(いくえ)にも罠を仕掛けるのが潜行士(ダイバー)だ! 力だけが全てじゃ無い! 潜ってきた修羅場が違うんだよ!」


 毒島は饒舌(じょうぜつ)に語る。

 彼は両手を広げ、まるで舞台役者のように大げさな身振りで自分の策略を誇示している。

 だが、その言葉は一つもボクに届かなかった。

 ──それどころじゃない。

 心臓が早鐘のように打ち、喉がカラカラに乾いていく。


 これが、ランクCのモンスター?


 とてもそうは思えない。

 咲良さんがグレイトボアを倒した時、これほどの殺気を放っていたか? 

 あの時は確かに強大な敵だったが、今目の前にいる存在とは何かが決定的に違う。

 この、押しつぶされそうな圧迫感を感じたか。

 まるで深海の底に沈められたような、息苦しさがボクを襲う。

 空気が重く、一歩でも動けば崩れ落ちてしまいそうだった。


「逃げられねぇぜ! 精神干渉符で、支配下に置かれた個体だ。それであのガキどもを狙ってやる。さあ、どうする渡航者(ビジター)! お前に守れるか!」


 毒島が取り出したのは紋様が書き込まれた四角い紙。

 赤黒いインクで描かれた複雑な文様が、薄暗い森の中でも不気味に浮かび上がって見えた。

 その紙切れが、頼りなさげに風に揺れる。

 あれが精神干渉符なのだろう。

 ボクは毒島が取り出した符を見て思う。

 まさか、あんなもので、このレベルのモンスターを支配する? 

 そんなもの絶対に無理だ。


「雪、大吾! 今すぐ逃げ──!!」


 ボクが振り返って二人に叫ぼうとした、まさにその瞬間だった。


「はははは! 雑魚を守りながら、くたばれ!」


 毒島が狂ったような哄笑を響かせながら、手にした符を天高く掲げた。

 符が不気味な紫色の光を放ち始める。

 だが次の瞬間毒島の符を掲げた腕に、突如として無数の真っ黒な針が突き刺さった。


「…………え?」


 毒島の顔から表情が抜け落ちた。

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