チャプター18 廃人プレイを所望する
プライムシティの無機質な世界で、ユミルが待っていた。
灰色のコンクリートに囲まれた空間に、彼女の明るい声が響き渡る。
「お帰りなさい! ナギさん! さあ、今日もゲームを──って、あれナギさん雰囲気変わりました?」
ユミルは小さく首を傾げた。
その仕草は人間そっくりで、AIだということを忘れてしまいそうになる。彼女の大きな瞳がボクをじっと見つめていた。
「ユミル久しぶり。一つお願いがある。全ての感覚ゲインを最大値に設定してくれないかな。痛覚ゲインもこのゲームで出せる最大値にしてほしい」
ボクの言葉に、ユミルの表情が一変した。驚きで目を見開き、両手を口元に当てる。
「急にどうしたんですか!? 今朝に痛覚ゲインをオフにしたばかりですよ!?」
「大丈夫。色々あったんだ。──ちょっとプレイの方針を変えることになってね。いわゆる廃人プレイだ」
ボクは唇の端を上げて、にっこりと微笑んだ。その笑顔の奥に秘めた決意を、ユミルには見せないように。
***
のそりと巨体がこちらを向いた。
その動きは今は遅いが、本気を出すと残像を残すほどに速いことをボクは知っている。
動き止めたら一気に標的固定される。
ボクは上がる呼吸を無視して、足を動かす。
「ナギさん! 現状敵のダメージ率は10パーセントです! 特筆すべき機能障害なし!」
「……もう一回だね!」
ユミルの通信に、ボクは深く息を吸い込んだ。肺に入った空気が、体中に酸素を送り込んでいく。
震える足に力を込め、地面を蹴った。
特攻は相手の間合いでもある。
一歩でも間違えば待っているのは死だ。それでも、ボクは前に進むしかない。
ボクはアポカリプスプラネットの中で戦いを続けていた。
VR2120の世界で丸4日。──100倍に引き伸ばされるアポカリプスプラネットで、8ヶ月。
汗と血と涙にまみれた日々。
その成果として挑んでいるのが、ヘッジホッグだ。
体高4メートル、全長8メートルで6肢を持つ、巨大な金属のハリネズミ。
6本の脚は大木のように太く、一歩踏み出すたびに地面が震える。
全身に生える棘は、ファランクスよろしく鋭利な槍の山だ。防御と攻撃性能を同時に兼ね備え得る。
反射して銀色に輝くその槍は、触れるものすべてを貫く死の森。
奴がみじろぎするたびに、金属同士がぶつかり合う不気味な音が響く。
あの槍に何度串刺しになったことか。痛みの記憶が、ボクの背筋を冷たく撫でていく。
奴のカメラアイに捉えられないように、ボクは真後ろから近接する。針が無数に突き出た背中からの接近は、一歩間違えれば致命傷になりかねない。それでも、この角度なら弱点である顔面に気づかれずに近づける可能性がある。
ヘッジホッグが首を左右に振り、周囲を見渡している。
機械特有のぎこちなさはそこにはない。材質は金属だが、その動きは極めて生物的だ。
その度にボクは素早く位置を修正し、奴の視界から外れ続ける。
一歩、また一歩と距離を詰めていく。
懐に飛び込んだ瞬間、奴には視界に突然ボクが現れたように見えただろう。
GYIII!!
ヘッジホッグが甲高い電子音を発し、慌てたように駆動音を響かせた。
ボクはカメラアイにナイフを突き込む。
ガラスレンズが砕け散り、その破片が顔に降りかかる。
刃が配線の詰まった内部へとめり込んでいく感触が、柄を通して手に伝わってきた。
──入った!
「カメラアイ全損! 視野の90パーセント低減!」
ユミルの報告が耳に響く。
「やった──ぐっ!?」
その瞬間、ヘッジホッグが全身を激しく震わせた。
まるで犬が水を払うような動きだが、その威力は比較にならない。
攻撃を受けたことによる緊急威嚇行動だとすぐに理解した。
振動と共に、槍の一つがボクの右腕を掠めた。
服が裂け、肉が抉られる。激痛が稲妻のように脳を焼き、視界が一瞬真っ白になる。
思考という思考が、ただ痛みだけに塗りつぶされていく。
「右前腕に創傷!! 機能全廃! ナギさん!?」
ユミルの声が遠くに聞こえる。
「大丈、夫!!」
歯を食いしばり、なんとか声を絞り出す。激痛に耐えながら、ボクは暴れ狂うヘッジホッグに食らいつく。離されたら終わりだ。
カメラアイを失ったことで広くなった死角に潜り込み、縦横無尽に繰り出される針の山を紙一重でかわしていく。
風圧で頬が切れ、髪が千切れ飛ぶ。次の攻撃チャンスを必死に探りながら、ボクは奴の動きを読み続ける。
だらりと垂れ下がった右腕が、鉛のように重い。
血が指先から滴り落ちている。もしこの状態で引き離されたら、もう二度と奴は近寄らせてくれないだろう。
この8ヶ月で、初めてヘッジホッグにまともな一撃を入れることができたのだ。
このチャンスを、絶対に逃すわけにはいかない。
脚部に集中的な攻撃を入れていく。
次は機動力を削ぐのだ。
ボクの装備は1対のナイフのみ。一撃でダメージを与えられるような強力な攻撃手段を持たない。
少しずつ削っていくしかないのだ。
右脚の関節部分にナイフを突き立て、素早く引き抜く。返す刃で左脚の腱を狙う。ヘッジホッグの巨体が僅かに傾いた。効いている証拠だ。
脚部に少しずつ攻撃を入れていく。
装甲の隙間を狙い、ナイフの切っ先を滑り込ませる。金属が擦れる不快な音が響く。ボクの額に汗が滲んだ。呼吸が荒くなってきている。
「機動力10パーセント低減!」
ユミルの分析を聞きながら、攻撃を続ける。
その時、ヘッジホッグが攻撃に耐えかねたように、後脚だけで立ち上がった。
巨大な影がボクを覆う。今まで見せなかった動きに、ボクの手が一瞬止まった。
でも、ヘッジホッグの一番の弱点である腹部が完全に晒されている。
薄い装甲に覆われた柔らかそうな腹部。そこに向けてナイフを構え直す。チャンスだ。そろそろ体力も限界が近い。足が震え始めている。視界の端が霞んできた。
ここで決着をつける必要がある。
ボクは最後の力を振り絞って、前に踏み出そうとした。
「だ、ダメです! ナギさん逃げて!」
「────あ」
ユミルから悲鳴に近い通信が届くのと、ヘッジホッグがボクの元に倒れ込んでくるのは同時だった。
巨体が前のめりに傾いていく。
ボクの足が地面に張り付いたように動かない。方向転換が間に合わない。
質量爆弾だ。数トンを超える質量がボクに迫る。
影が大きくなり、風圧で髪が舞い上がる。
ボクはなすすべもなく、ヘッジホッグに押しつぶされた。




