チャプター15 絶望の果てに
「おいおい。雑魚な癖に親鳥から離れたらダメだろ」
痛みに耐えながら地面に膝をついていると、背後から嘲りに満ちた声が響いた。
ボクは震える手で地面を支えながら、ゆっくりと振り返る。
視界に入ったのは、口の端を吊り上げて立つ毒島の姿だった。
取り巻きだろうか。後ろに更に二人の男がニヤついた笑みでボクのことを見ている。
一人はあの少女を追いかけていた男だった。
「なん……」
言葉を紡ごうとしたが、喉が痛みで詰まってしまう。
毒島はボクの様子を見て、さらに嘲笑を深めた。
革のブーツが地面を踏みしめる音が、やけに大きく響く。
「潜行士に必要なのは慎重さだ。教導者が悪かったな。あの死に損ないの喧嘩屋なんかに師事するからこうなるんだ……よっ!」
毒島の右足が鋭く振り上げられる。
ボクは反応することすらできなかった。
革のブーツの先端が腹部に深々と突き刺さる。
内臓が押し潰されるような激痛が全身を駆け巡り、ボクの体は糸の切れた人形のように宙を舞った。
背中から地面に叩きつけられ、肺から空気が強制的に押し出される。
胃の中身が逆流し、ボクは横を向いて嘔吐した。
酸っぱい胃液が喉を焼き、涙が自然と溢れ出す。
「おー、おー。ゲロ吐きやがった。ステータスが未覚醒者並みってのは本当らしいな。しかも渡航者と来た。渡航者なんて、モンスターと同じなのに、チート持ってるからってってギルドは優遇しやがる。こっちは汗水垂らして働いてるってのに。マジで腹が立つぜ。まあ、こいつは雑魚だからこうやって好きなようにできて面白しれぇが!」
毒島は楽しそうに肩を揺らしながら、一方的に言葉を吐き出し続ける。
ボクは涙で滲んだ視界の中、地面に這いつくばったまま毒島を見上げることしかできなかった。
体中の力が抜け、指先一本動かすのも困難だった。
毒島の影がボクを覆い、まるで巨大な壁のように立ちはだかっている。
毒島はしゃがむと、ボクの髪を無造作に掴んで持ち上げる。頭皮が引っ張られ、鋭い痛みが走った。
「うう……」
思わず呻き声が漏れる。視界がぐらりと揺れ、涙で滲んだ。
「お前の師匠のせいで俺は茂原外環で居場所を失った。せっかくうまく立ち回ってた俺の努力は台無しだ。これからは横須賀外環にでも流れて裏ギルドで働くことになるんだが、その前に挨拶しておかねぇとな。オマエの師匠にやり込められた仕返しをさせてもらうぜ?」
毒島の顔が間近に迫る。酒臭い息がボクの顔にかかり、思わず顔を背けた。その瞳には暗い愉悦の色が浮かんでいる。
「な、なによ! 少し話をするだけって言ったじゃない!」
その時、毒島の背後から少女の声が響いた。声は震え、今にも泣き出しそうなほど切迫している。ボクは痛みに耐えながら目を凝らした。
あの白髪の少女だった。さっきまで必死に逃げていたはずの彼女が、なぜここに──。
「ごくろうだったな。お前の仕事は終わりだ。もう用はないから行っていいぞ。大吾のヤツを足腰たたねぇくらいボコボコにしてやったからな。その看病でもしてやれよ。くははは」
毒島が振り返りもせず、まるで使い捨ての道具に話しかけるような気安さで言葉を投げる。高笑いが路地裏に響き渡った。
「グル……だったの……」
ようやく理解が追いついた。ボクの掠れた声を聞いて、毒島の笑みがさらに深まる。
口の端が吊り上がり、嗜虐的な笑みを浮かべた。
「今更かよ。自分にとって使えるわけでもねぇ人間のことをなんで追いかけるのか全く理解ができねぇが、部下の意見に従って正解だったぜ。こんなにも簡単に釣れるとはな。──おっ、顔はいいじゃねぇか。これなら多少楽しんでから始末するのも悪くねぇな」
毒島の目がボクの顔を舐めるように見つめてくる。
その視線に含まれた下卑た感情に、背筋が凍りつくような悪寒が走った。
「ちょ、ちょっと! こんなことするなんて聞いていないわ!」
白髪の少女が毒島さんに向かって声を荒げた。
その小さな体が震えているのが分かる。握りしめた拳が白くなるほど強く握られている。
毒島は少女の言葉に動きを止めるとゆっくりと振り返る。
舌打ちの音が静かな空間に響いた。
「ああ? 誰に口答えしてんだよ。なんでお前に許可取る必要があるんだ? 反抗していいのか? そもそもお前が嫌がったから大吾がボコボコになるまで殴られたんだろうが。それにお前ら面倒見ているストリートチルドレンの未覚醒者どもを一人一人なぶり殺してもいいんだぜ? もうギルドに気を遣う必要もねぇからな」
毒島の声が一段と低くなり、脅しの言葉が容赦なく少女に浴びせられる。
少女の顔から血の気が引いていくのが見て取れた。
唇を噛みしめ、今にも泣き出しそうな表情で俯いてしまう。
「安心しろよ。お前が言うこと聞けば、大吾と未覚醒者のガキは茂原外環に置いていってやるよ。そうすれば晴れて自由の身だ。お前は顔はいいから横須賀外環へ移籍するための土産につれてくが。お前が我慢すれば、お前の大事なものは守られるんだぜ? ──それに、こいつはお前には何の関係のないガキだろ? どうなってもいいじゃねぇか」
毒島の声が急に甘くなった。
まるで幼い子供をあやすような、それでいて底知れぬ悪意を孕んだ猫撫で声。
怖気の走る物言いだ。
その口調から、ボクには全てが理解できた。
きっとこれまでも、同じようにあの少女と少年の潜行士を脅していたのだろう。
甘い言葉で選択肢を与えるふりをしながら、実際には逃げ場など最初から用意していない。
相手の大切なものを人質に取り、じわじわと追い詰めていく。
毒島の瞳が細められ、口元に浮かんだ笑みがより深くなる。純粋な加虐の喜びがそこにはあった。
激痛が全身を貫いていく。骨が軋み、筋肉が悲鳴を上げる。
それでも、ボクの中で燃え上がるのは痛みよりも強い怒りだった。
拳を握りしめる。
言っていることがめちゃくちゃだ。
「ふ、ざける……な」
喉の奥から絞り出すように言葉を吐き出す。血の味が口の中に広がった。
「────────あ?」
毒島が眉をひそめ、不快そうに顔を歪める。
痛む体をなんとか起こす。それだけでも、激痛が全身を駆け巡る。
絶対に勝てない。
頭ではわかっている。実力差は歴然だ。でも、それでも──。
「ふざけんなって、言ってんだ……! この豚野郎……! ぐっ──」
頬に衝撃が入る。
視界がブレて、揺れる。世界が歪んで見えた。顔面に叩き込まれた拳の衝撃で、ボクの体は宙を舞う。背中から壁に激突し、肺の空気が全部押し出された。コンクリートの冷たさが背骨に響く。
歪む視界に直感する。脳震盪だ。
頭の奥で何かが破裂したような激痛が走り、胃の底から込み上げてくる吐き気に襲われる。
もう吐くものもなく、空っぽの胃袋が痙攣を繰り返すだけだ。喉の奥で胃液の酸っぱい味が広がる。
「この渡航者風情が! いい度胸じゃねぇか。グチャみそにしたあとに、全身の皮を剥いで金槍鬼の家に飾ってやるよ! 金槍鬼も殺してやるか! あのフロントライン崩れも今はランクC程度らしいからな! 囲んじまえば簡単にブチ殺せるだろ!」
金槍鬼って咲良さんのことだ。
咲良さんまで傷つけるつもりか。ボクの中で何かがプツンと切れる音がした。
「でき……るもんなら、やってみろ……。咲良さんが、……お前みたいなクソ野郎に、負けるもんか……!」
咲良さんは絶対に負けない。あの人の強さを、ボクは知っている。
毒島は一瞬、怒りに顔を赤黒く変色させたが、すぐに冷静さ取り戻したようだった。
「いい度胸じゃねえか。お前いまの状況わかってんのか? 少なくともお前に助けは来ねぇぜ? 使ってみるかよ? 道化師の嘲笑の的って奴をよ」
「なぜそれを──」
思わず声が漏れた。
顔から血の気が引いていくのがわかる。
なぜ毒島が嘲笑の的を知っている。
ギルドへの登録時に申告はしたが、その情報は厳重に管理されると芙美さんも言っていた。
「ギルドは巨大な組織だぜ? 全員が優等生なわけあるかよ」
毒島の口元が三日月のように歪む。
「……」
「なんだよダンマリかよ。いいのか使わなくて。お前の切り札なんだろうがよ。渡航者様のチートスキルを見せてくれよ! ぎゃはははは!」
毒島の哄笑が薄暗い路地に響き渡る。
心底からの侮蔑を含んだその笑い声に、ボクは何も言い返せなかった。
確かに今の状況で、手段を選んでいる余裕などない。
壁に背を預け、立ち上がることすらままならない。
嘲笑の的を使えば、この場を切り抜けられるかもしれない。
なのに、ボクの口はスキル名を紡ごうとしなかった。
指先が小刻みに震え始める。その震えはやがて手全体に広がる。
「お前がうごかねぇなら、こっちから行くぜ?」
「あぐっ!」
重い衝撃が脇腹を貫いた。
毒島の蹴りが、容赦なく同じ場所に叩き込まれる。
肺から空気が押し出され、視界が一瞬白く染まる。
どうせボクはもう身動きが取れない。逃げることも、抵抗することも。
全身の骨が軋み、筋肉は言うことを聞かない。
二の腕を掴まれて引き上げられるが、糸の切れた人形のようになっているはずだ。足先は地面を擦るだけで、自分の体重を支えることすらできない。
ここまでか。薄れゆく意識の中で、ボクはそう思った。
正直なすすべがない。
ボクは弱い。毒島に勝てる見込みはゼロだ。
どれだけ口で煽っても結局無力。拳を握りしめても、その手は小刻みに震えている。額から流れる汗が目に入って、視界が滲んだ。
どうしてこんなにもボクは弱いのだろう。
ボクがやられたあと、あの子はどうなるのか。
咲良さんにも迷惑をかける。あれほどの恩を受けたのに。命を救ってもらって、面倒を見てもらって、それなのに恩を仇で返すことになる。
強くなりたい。
その思いとは裏腹に、ボクは覚悟を決めることすらできない。
ただ、怯えているだけだ。
そんな自分が本当に、嫌になる。
意識が遠のき、視界の端から黒い靄がかかり始める。
まるで水の中から世界を見ているように、すべてが揺らいで見えた。
意識を失う最後の瞬間。
ユーザーインターフェースが突然浮かんだ。
その表示内容を見て、驚愕する。瞳孔が限界まで開いた。
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道家凪
種族:人間
第一職業:道化師 第二職業:設定不可
Lv:1 【レベル固定】
HP:10/10 MP:0/0
EXP:0
【装備】
[衣装の服:防具:防御力+0:制限なし:特殊効果なし]
[衣装の靴:靴:防御力+0:制限なし:特殊効果なし]
[ただのナイフ:武器:攻撃力+1:制限なし:特殊効果なし]
【パラメータ】
筋力:3 (STR:0.9)
体力:2 (VIT:0.8)
知力:2 (INT:1.0)
器用:2 (DEX:0.8)
速度:2 (AGI:1.1)
運:10
【パッシブスキル】
〈運の気配〉
【アクティブスキル】
〈黙劇〉
【エクストラスキル】
〈嘲笑の的〉
【アビリティ】
持久走
【称号】
【賞罰】
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ロストアビスのステータス画面に重なって見えていたのは。
かつて一度見た、しかし今ここにあるはずのない、別のゲームのインターフェース。
「アポカリプスプラネットの……!」
そう呟くと、ボクは意識を失った。




