表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
14/17

チャプター14 逃げる少女と追う少女

「じゃあ、あたしもついでにこいつに診てもらう。凪は少し外で待ってろ」


 ぼろぼろの藤十郎さんの襟首を鷲掴みにした咲良さんが、ボクに向かって顎をしゃくった。

 咲良さんも潜行士(ダイバー)だから、整備士(チューナー)である藤十郎さんに定期的な診察をしてもらう必要があるのだろう。

 でも今の彼女の表情を見る限り、診察というより尋問に近いものになりそうだ。


「わかりました」


 ボクは素直に頷いて、診察室を出ようと踵を返した。


「な、凪くん。もし気が向いたら、あの話、考えてくれ……いや、だから違うって、咲良!」


 藤十郎さんが慌てたようにボクを呼び止めたが、言葉の途中で咲良さんの殺気を帯びた視線に気づいたらしい。

 顔面蒼白(がんめんそうはく)になって、必死に弁解しようと両手をぶんぶん振り回している。


「こいつのことは任せろ。凪に手が出せねぇように、しっかり体に教えておくからよ」


 咲良さんのこめかみに太い青筋が浮かんでいた。

 握りしめた拳からは、ミシミシと関節が軋む音が聞こえてくる。

 藤十郎さんの顔色が、蒼白から土気色へと変化した。


「ははは、お手柔らかに」


 ボクは乾いた笑いを浮かべながら、扉のノブに手をかけた。


「ちょ、凪くん! 誤解を解いてくれ!」


 藤十郎さんの悲鳴にも似た叫び声が背中に突き刺さる。

 振り返ると、咲良さんに首根っこを掴まれたまま、必死にボクに助けを求める藤十郎さんの姿があった。

 申し訳ないと思いながら、ボクは心の中でそっと手を合わせる。

 怒りに燃える咲良さんの誤解を解くのは、おそらく富士山を動かすより難しいだろう。


 ドアを押し開けた瞬間、街の喧騒が波のように押し寄せてきた。

 空を見上げると、いつの間にか太陽は西に傾いていた。

 オレンジ色の光が建物の隙間から差し込み、路地を暖かく照らしている。

 どこかの家から夕食の支度をする音が聞こえてきた。

 煮込み料理の香りが風に乗って、ボクの鼻をくすぐる。

 ボクと咲良さんは街から離れた場所に住んでいる。

 だから、こうして人々の生活の音や匂いに包まれる瞬間は、どこか懐かしくて新鮮だった。この街が生きている証のように感じられる。

 ふと、大通りの端に目をやった時だった。

 視界の隅で、白い何かがふわりと舞い上がった。

 風になびく銀糸のような髪。それは確かに見覚えのある色だった。

 白髪の少女が、必死の形相で走っていた。その後ろから、体格の良い男が追いかけている。少女の顔には恐怖の色が浮かんでいた。

 あれは──毒島と呼ばれていた潜行士(ダイバー)と一緒にいた少女だ。確か、紅井雪(あかいゆき)という名前だったはず。


「まちやがれ!」


 男の怒鳴り声が通りに響き渡った。

 野太い声は威圧的で、明らかに尋常ではない雰囲気をまとっていた。男の顔は怒りで赤く染まり、額には汗が浮かんでいる。

 一瞬、紅井雪の視線がボクと交錯した。

 二人の姿はボクの視界を横切り、雑踏の中へと消えていった。


「えと……」


 ボクは立ちつくす。

 これはきっと危険な状況だ。

 あの子は追われていた。

 関わるべきでは無い、と理性が告げていた。

 冷静に考えれば、今のボクにできることなんて何もない。

 戦闘技術もなければ、特別な力もない。

 ただの一般人レベルのボクが首を突っ込んでいい状況じゃないことくらい、分かっている。

 それに、あの子とボクの間に何の関わりがあるというのか。

 咲良さんがトラブルを起こした時に、たまたま遠くから見かけただけ。名前も知らなければ、言葉を交わしたこともない。赤の他人も同然だ。助ける義理なんて、どこにもありはしない。


「ああ、くそ……っ!」


 思わず悪態が口をついて出た。

 理屈では分かっているのに、体が言うことを聞かない。


「咲良さんは……! ダメだ、今家の中に入ってたら確実に見失う!」


 気がつけば、ボクの足は勝手に動き出していた。一歩、また一歩と、人影が消えた方向へと走り出す。

 場所さえ特定できれば──そう、場所さえ分かれば、あとで咲良さんを呼んでくることだってできる。

 見つからずにその場を離れればいいんだ。

 ボクは自分に言い訳をしながら、追いかけた。

 どれくらい追いかけただろうか。

 大通りを抜けて、人の少ない路地に入り込む。

 

「ここは……」


 薄暗い路地だ。建物の影が重なり合い、夕暮れだというのにさらに深い薄闇が漂っている。

 壁にもたれかかるようにして、家を持たないであろう人たちが地面に座り込んでいる。

 彼らの虚ろな目がボクを一瞬だけ見つめ、すぐに興味を失ったかのように視線を逸らした。

 おそらく最下層の人たちが生活する区域──スラムだ。

 空気は湿っぽく、どこからか腐敗臭が漂ってくる。足元には得体の知れない液体が溜まり、靴底がぬるりと滑る感触に顔をしかめた。

 その路地をさらに曲がると、地面にうずくまる人すらいなくなった。

 完全に人気が途絶え、ボクの足音だけが壁に反響する。少女の姿はどこにも見当たらない。心臓が早鐘のように打ち始める。


「ど、どこに」


 最後の路地を曲がったところで、少女を見失う。

 行き止まりだった。古いコンクリート製の壁が、ボクの前に立ちはだかっていた。

 確かにこっちに来たはずなんだけど。

 あたりを見渡したその時、後ろから鈍い衝撃を受けて転倒する。

 膝から崩れ落ち、手のひらが粗い地面に擦れて痛みが走った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ