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チャプター12 グレイトボア狩猟期

「美味しかったです」

「よかったよ。おそまつさまでした」


 答えてくれたのは賢人さんだ。

 ボクはホーンラビットとグレイトボアの肉で満たされたおなかをさすりながら、満足げな息を吐いた。

 あの後咲良さんの自宅に帰って、夕食となった。

 塵界に来てからもし一つだけ良いことがあるとすれば、それは間違いなくご飯が美味しいことだろう。

 VR2120で味わっていた食事とは、圧倒的に味の濃さが違う。

 舌の上で広がる肉汁の旨味、香ばしく焼けた表面の食感、そのすべてが鮮明に感じられる。

 やはり現実の味というものは、どれだけ技術が進歩したVRとも大きく異なるものなのだと、改めて実感させられた。

 もちろん、賢人さんの料理の腕前が素晴らしいというのも大きい。

 咲良さんとボクだけだと、食材を焼くか煮るかの二択になってしまう。

 味付けも塩を振るくらいが関の山で、とても料理と呼べる代物にはならない。


「おい賢人。なんかつまみ用意してくれ」

「まだ飲むんですか? また二日酔いになって明日1日潰れますよ」

「あ? 二日酔いが怖くて酒なんか飲めねーよ!」


 咲良さんは完全に出来上がっていた。

 頬は赤く染まり、据わった目つきでグラスを傾けている。

 ボクの注意も虚しく、その言葉は酔った耳には届いていないようだった。

 おそらく明日は、二日酔いで一日中部屋に篭ることになるのだろう。

 いつものパターンだ。


「そう言うと思って作っておいたよ。あと、グレイトボア狩猟期のイベントについて、ギルドマスターがライブ配信を始める時間だ。一緒にみよう」

「やっぱその時期か……今日出たからそろそろかと思ったぜ。お、料理できたか? ひょーでかした賢人! うまそうだぜ!」

「咲良さん! 賢人さんの話全然聞いてないですよね?」

「まあまあ、咲良はいつもこうだから」


 賢人さんは一週間に一回程度の頻度でここを訪れるらしく、二人の間には自然な空気が流れていた。

 ダイニングテーブルでの話が一段落すると、咲良さんはつまみを持って立ち上がった。

 賢人さんもそれに続く。

 ボクも腰を上げて、二人の後についてソファへと移動した。その時だった。


「つっ……!」


 動いた拍子に左腕に鋭い痛みが走った。

 思わず顔をしかめる。

 今日ホーンラビットにつけられた傷だ。

 ゲームの中でなら大したことのない傷。だけど現実の痛みというのはこんなにも鮮烈で、じくじくと神経を刺激してくる。


「本当にポーションが使えないなんてどうかしてますね」


 ボクは傷の部分をできるだけ動かさないように気を配りながら、そっとソファに腰を下ろした。

 柔らかいクッションが体を受け止めてくれるが、左腕の疼きは収まらない。


「まったくだね。塵界において、もっとも困ったバグだ。何故かポーション類を服用すると回復とともにエラー侵食率(しんしょくりつ)が上がる。複数回飲めば、完全消滅に至るほどの侵食率でね」


 賢人さんは淡々と説明してくれるが、その内容は穏やかではなかった。


「どうしようもないんですか?」

「どうしようもない。回復を行いたかったら回復術師に頼むのが唯一の方法だ。だからこそ回復術師は重宝がられ利用料が上がる。そして利用料を払えない新人潜行士(ダイバー)の死亡率は高い」

「酷いですね……」

「だからポーションの使用は絶対にだめだよ。この世界では悪意を持った人間が、脅迫に使ったりする代物だ」


 そんな話を聞いて、背筋がぞくりと震えた。傷口の痛みとは別の、冷たい感覚が体の奥を這い上がってくる。ポーションを毒として便利に使う人間もいるのだ。この世界では、回復アイテムが凶器になり得る。もし予備知識として持っていなかったら、傷を負った時に躊躇いなく飲んでしまっていただろう。ボクは無意識に左腕の傷口を押さえながら、改めてこの塵界という場所の恐ろしさを噛み締めた。


「ライブ配信の視聴方法はわかるかい?」

「わかります」


 咲良さんの問いかけに、ボクは小さく頷いた。

 ライブ配信機能は、ロストアビスに最初から実装されていたシステムの一つだ。

 プレイヤーが自分のプレイ画面をリアルタイムで他のプレイヤーに公開できる機能で、ボク自身も機能を使って配信をしていた。

 だから操作方法は、手が覚えているくらいに熟知している。

 ライブ配信の配信ページで、咲良さんに教えられた配信を選ぶ。

 画面をタップした瞬間、ボクの視界がぐるりと転換した。

 まるで空間そのものが歪み、次の瞬間には全く別の場所へと引き込まれたような感覚。


 気がつけばギルドの一室に来ていた。

 いや、正確にはボクの意識だけがそこに飛ばされたような状態だ。

 石造りの壁、高い天井、荘厳な雰囲気──まるでその場にいるかのような臨場感。

 首を巡らせば周囲全てが確認できる。天井の梁の装飾から、壁に掛けられた紋章まで、細部まではっきりと見えた。

 ただし視点は固定されている。

 この場所から一歩も動くことはできない。

 まるで透明な椅子に縛り付けられているような、不思議な感覚だった。

 これがライブ配信。視線と声だけをその場所に移して、配信者と行動を共にする技術。

 配信の場所は広い講堂のような場所だった。

 磨き上げられた大理石の床が、天井から差し込む光を反射している。その演壇に三人の人物が立っていた。

 中央には片目を黒い眼帯で覆った白髪の老人。

 年齢は重ねているが、細い印象はない。むしろ同じ年齢層の中では鍛えられていると言ってもいいだろう。

 しかし横には、その老人が霞むような巨漢が控えていた。

 その巨躯をさらに全身鎧で包んだその姿は、まるで巨人だ。

 そして反対側には、見覚えのある人物──芙美さんが立っていた。いつもの落ち着いた表情で、手元の資料に目を落としている。


「ギルマスとその御一行だ」

「それじゃあ凪君に伝わらないよ。中央が茂原外環のギルドマスター、久龍院重隆と潜行士筆頭(プライマリ)一護静也(いちごしずや)、そしてフロアマネージャーの岩城芙美(いわしろふみ)だよ」

 

 芙美さんをみて僅かに機嫌が悪くなった咲良さんの横から、賢人さんが苦笑しながら丁寧に説明してくれる。

 なるほど、つまりは茂原外環の潜行士協会(ダイバーズギルド)の偉い人たちということだ。


「初期設定では配信者に声も届くから、発言には気を付けるようにね。オフにするにはほら、ユーザーインターフェースのここを……。まあオンのままでも今は配信者はたくさんの視聴者に見られているから、ひとつひとつの発言を全部確認はできないだろうけどね。動画ファイルとして記録には残るから」

「──ありがとうございます」


 賢人さんの言葉の言葉通り、コミュニケーション機能をオフにする。

 配信のシステムについては、VR2120で慣れ親しんだものと大差ないようだ。

 視聴者の声が配信者に届く仕組みも、録画データが残るという点も同じ。

 ただこの世界ではバグによりメッセージ機能が使えない。

 ポーションと同じように、脈絡もなく使用不能なのだ。

 遠距離での通信にはこのライブ配信の機能を使うしかない。

 そう言った意味でVR2120よりも、ライブ配信の果たすところの役割は大きいらしい。


潜行士(ダイバー)の諸君。またこの季節が来た。グレイトボアの大移動イベントがまもなく始まる」


 突如、ギルドマスターの声が響き渡った。

 低く落ち着いた声音は、まるで戦場で部隊を指揮する司令官のようだ。

 覇気が違うのだ。

 今回のライブ配信は、会場での直接の演説も兼ねているらしい。

 潜行士(ダイバー)たちが一斉に振り返り、その場の空気が引き締まる。

 ボクはVRでの参加だが、その臨場感に居住まいを正してしまう。


「このグレイトボアのイベントは茂原外環の一年の食料の40パーセントを補う重要なイベントだ。茂原外環の人口は15万人。その人口を支えるのが我らだ。人類が絶滅の危機に瀕して300年。人類をモンスターの恐怖から守り、そして飢餓から救ってきたのが潜行士(ダイバー)だ!」


 ギルドマスターの言葉を聞きながら、ボクは芙美さんから聞いた言葉を思い出していた。

 ロストアビスに、酪農や農業といったゲームの機能はない。

 全てモンスター討伐──狩猟によってアイテムを得るシステムだ。

 だからこそ食料の収穫物(ドロップ)アイテムが非常に重要になる。

 現実世界の人間が生きるために必要な食料は、全てモンスターから得なければならないのだ。


「モンスターと対峙できるのは、ジョブに覚醒した潜行士(ダイバー)のみ──しかし、力なき未覚醒者(イノセント)が我らに依存するだけの存在かと問われれば、断じて否だ。覚醒率は全人口の僅か1%、しかもその資質に遺伝性はない。潜行士(ダイバー)という希少な戦力を維持するには、それに見合うだけの人口基盤が不可欠なのだ。人口が減れば戦力も減る──人類は今なお、種の存続ラインぎりぎりで綱渡りを続けている」


 ギルドマスターの顔は本気だった。

 隠すことなく、ありのままの真実を語っているのだろう。

 ボクたち潜行士(ダイバー)は、その最前線に立たされている。


潜行士協会(ダイバーズギルド)の総力をあげて狩るぞ! 潜行士(ダイバー)の誇りと覚悟を持って狩りまくってじゃんじゃん稼げ! 茂原外環の潜行士(ダイバー)は強制参加になる! 詳しくは潜行士筆頭(プライマリ)の一護から聞くように!」


 それだけ言って、ギルドマスターは一歩後ろに下がった。

 次に一歩進みでたのは、潜行士筆頭(プライマリ)と呼ばれた全身鎧の男性──一護静也だ。


「作戦内容を説明する。今回も例年と同じ40万頭規模となる。主力部隊はランクC以上の潜行士(ダイバー)で構成される約600人だ。この600人で、1人1日10頭、30日間のイベント期間中に180000頭の討伐を目標にする!」


 一護静也の感情を抑えた、静かな声が響いた。

 討伐計画は綿密に組まれているようだった。

 40万頭という数字の重みがボクにはよくわからないけれど、600人の潜行士(ダイバー)が一ヶ月かけて挑む規模らしい。

 本当に食糧調達のためのギルドを上げてのイベントなのだ。

 ボクのような新人が参加していいものなのか、急に不安になってくる。


「メイン攻撃隊は昼夜を問わずに狩ることになる。ランクD以下の潜行士(ダイバー)は後方キャンプからメインキャンプへの物資の輸送などを主とする後方支援だ。後方支援とはいえ撃ち漏らしたグレイトボアに襲われることもあるだろう。しかも大量の潜行士(ダイバー)が一度にフィールドエリアに出ると、迷宮種だけでなく開拓種も活性化する。低級潜行士(ダイバー)にとっても命懸けになる」

「迷宮種と開拓種?」


 一護さんの言葉に知らない単語が出てきた。


「ほら、あれだ。お前このまえぶっ倒されたろ。うははは、今思い出しても笑えるぜ! べそかきやがって!」

「教える気ないでしょ! てか、いじってるだけじゃないですか!」


 また笑い出した咲良さんに、ボクは思わず突っ込む。

 そうか、あの機械でできたネズミ──マウスは開拓種という分類らしい。

 あの時のことを思い出すと今でも恥ずかしくて仕方ない。

 確かに泣きそうになったけれど、あんな状況なら誰だって怖いはずだ。


「塵界では大別して2種のモンスターがいるんだよ。まずはロストアビスに由来するモンスターである迷宮種。可食可能な収穫物(ドロップ)アイテムが多く、アイテムも錬金・加工できるものが多い。対して正体不明のモンスターが開拓種。明らかにロストアビス由来ではない機械を中心としたフォルムのモンスター。可食可能な収穫物(ドロップ)はほぼない。その上数少ない収穫物(ドロップ)したアイテムも加工不能なものが多い」


 賢人さんが丁寧に説明してくれた。

 ボクは頷きながら、その情報を頭の中で整理していく。迷宮種と開拓種。

 ロストアビスのモンスターがファンタジー風の外見をしているのに対して、あの機械ネズミは明らかに近未来的な、いかにもSFゲームに出てきそうなデザインだった。

 そしてボクは、あれが何由来か知っている。ユミルと一緒にあのモンスターとは別の場所で戦ったからだ。

 胸の奥で何かがざわめくような感覚がした。


「アポカリプスプラネット……」


 思わず口に出していた。その名前を呟いた瞬間、咲良さんが首を傾げる。


「あぽ……なんだそりゃ?」

「アポカリプスプラネットです。VR2120にそんなゲームがありました。まだベータ版でしたけど」


 ボクの言葉に、賢人さんの表情が鋭くなる。


「へぇ。凪くんは珍しいことを知っているんだなぁ。さすが渡航者(ビジター)だ」


 賢人さんの目が興味深そうに輝いた。

 ボクは思わず視線を逸らし、手元のカップに目を落とした。じっと見つめられるのは、どうにも落ち着かない。

 けれど同時に、胸の奥で小さな期待が芽生えていた。もしかしたら、ボクの知っていることが何かの役に立つかもしれない。

 意を決して続きを話そうと口を開きかけた、その時だった。

 賢人さんがすっと手のひらをこちらに向けた。まるで見えない壁を作るように、ボクの言葉を優しく、しかし確実に遮る仕草。

 ボクは反射的に口を閉じ、言葉を飲み込んだ。


「他人に話すのはやめといた方がいい。アポカリプスプラネットなんて話は聞いたことがない。もしその情報が完全に未知のものだった場合、岩槻外環が動く場合がある」

「岩槻外環──星王都レディメガリアですか?」


 ボクの口から出た言葉に、賢人さんが小さく頷く。

 確か塵界の中でのタウンエリア、3外環の一つだったはずだ。

 名前だけは聞いたことがあるけれど、実際にどんな場所なのかは詳しく知らない。ただ、賢人さんの表情を見る限り、あまり良い場所ではなさそうだった。


「あそこは神鳴界溝クリアを目指すフロントラインを要する人類の本丸だ。塵界クリアを目指す潜行士(ダイバー)、研究者の巣窟になってる。彼らに気づかれれば未知の情報を持っている君は研究対象にされるだろうね?」


 賢人さんの言葉に、ボクの背筋がぞくりと冷えた。研究対象。

 言われてあまり気持ちの良い単語ではない。


「そ、それは嫌ですね……」


 ボクは思わず身を縮こまらせながら答えた。

 確かに安易に話すのは良くないかもしれない。

 基本は知らないことにしておくか。


「なお作戦開始は1週間後。それまでは新規の依頼は受付停止とする。イベント発生時期が明確で無い以上仕方がないことだが、現在依頼を受注している潜行士(ダイバー)は可能な範囲で参加してほしい。報酬の件についてはフロアマネージャの岩城から説明する」


 一護さんの声が会場に響き、今度は話し手が芙美さんに変わる。

 芙美さんが報酬についての説明が始まる。やっぱり芙美さんもギルド内で偉い人なのだ。

 ボクは彼の言葉を覚える。

 1週間という期限は思ったより短い。

 確かゲームのロストアビスでも突発イベントだったはずだ。あっちでは収穫物(ドロップ)というよりも、経験値稼ぎのイベントだったけれど。


「ちっ、葵の奴は今回は参加できねぇな」


 確かボクの前に咲良さんの弟子だった人だ。今は長期の依頼で空けてるとかいってたな。


「多分君も、後方支援として参加することになるからね。気を付けた方がいい。キャンプを張るといってもフィールドエリアになる。茂原外環周辺は基本は低ランク向けのモンスターが多いが、唯一、ヘッジホッグが出る」

「ヘッジホッグ?」


 ボクは聞き慣れない名前に首を傾げた。賢人さんの表情がいつもより真剣なものになる。


「確かにあいつはちとヤベェな。新人がぶつかったらまず死ぬ。あたしぐらいなら倒せるが」


 毒島が腕を組みながら舌打ちした。彼女がそんな反応を示すなんて珍しい。


「咲良のステータスは現在はC級レベルだろ? 単独討伐してしまうのがおかしいんだよ。ヘッジホッグは開拓種の巨大ハリネズミ型のモンスターだよ。脅威度(きょういど)Bの強敵だ」


 賢人の説明を聞きながら、ボクは改めて。

 モンスターは脅威度、そして潜行士(ダイバー)はランクで強さを表現される。

 同じ脅威度、ランクが適正に討伐が可能とされる基準だ。

 潜行士(ダイバー)ランクは明快で単純にレベル別だ。レベル5までがG、レベル10までがF、20までがE、それ以降はレベル20ごとにD、C、B、Aと上がっていき、レベル100以上で最高位のランクSとなる。

 当然レベル1のボクはぶっちぎりのランクGだ。


「ああ? 喧嘩売ってんのか賢人。あたしがあんなんに負けるわけねぇだろ?」


 咲良さんが眉をひそめて賢人を睨みつける。


「まあまあ咲良さん──って、あいたぁー! なんでボクを殴るんですか!?」

「ちょっとムカついたからだ!」

「理由が意味不明だわ! ボクは関係ないでしょうが!」


 なんで仲裁に入ったボクが殴られるんだ!?

 暴力反対!


「それに二〇〇年前から倒されていない『死針』というヘッジホッグのネームドもいる。真っ黒なヘッジホッグらしいよ。こっちは脅威度Sだ。ランクAパーティを何度か全滅させている──」


 賢人が付け加えた情報に、ボクはボクは息を飲んだ。

 死針という名前からして不吉な予感しかしない。


「まあ、滅多に現れないんだ。前回出現記録は10年くらい前かな。ただこの茂原外環じゃ、出会ったら終わりの代名詞みたいに語られている。もし、出会ってしまったら迷わずに逃げるんだよ?」


「は、はい……」


 ボクは賢人さんの言葉に、1にも2もなく頷いた。

 当然逃げる。逃げるに決まっている。

 でも問題は、ボクのステータスで本当に逃げ切ることができるのかという点だ。

 レベル1のボクが、逃げ切れるのか非常に不安だ。


「あたしも賢人も、主力部隊に招集されて、一緒にはいねぇからな。まあ後方拠点にも潜行士(ダイバー)がいるから大丈夫だと思うが、それでも何かあったら自分でなんとかするしかねぇぞ?」


 咲良さんの声はさりげないものだったが、僅かに心配の気配が乗っていた。

 また咲良さんに心配をかけている。

 守ってもらうばかりで、何一つ恩返しができていない自分が情けなくて、申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになる。

 このままだと、いつまでも咲良さんの足手纏いのままだ。

 守られるだけの存在で、何の役にも立てない。


「人工スキルを試すしかないかもね……」

「人工スキル?」


 ボクは思わず聞き返した。

 賢人さんの口から飛び出した聞き慣れない単語に、頭の中で疑問符が浮かぶ。

 隣で咲良さんが眉間に深い皺を寄せて、明らかに不機嫌そうな表情を浮かべた。

 腕を組んで大きくため息をつくと、首を左右に振りながら口を開いた。


「あー。あまり使いたくねぇな。あれは成長を歪めちまう」

「なんですか? 人工スキルって」


 ボクは改めて二人に問いかけた。

 咲良さんの反応を見る限り、あまり良いものではなさそうだけど、現状を打開するためには必要なものらしい。

 賢人さんは軽く頷くと、いつもの説明口調で話し始めた。


「まずは整備士(チューナー)という職業について説明する必要があるね。塵界はロストアビスが混ざった世界だけど、エラーやバグを多く含んでいるだろう?」

「確かに。ポーション使用なんてのが、最たる例ですね」


 ボクは頷きながら、先日の戦闘で使用したポーションのことを思い出した。本来なら傷を癒すはずのアイテムが、エラー侵食率を上げてしまう。

 これは明らかなバグだ。


「ああ。他にもいろいろ齟齬(そご)があってね。中には便利なものもある。そのゲームのエラーやバグを付いて狙った効果を出すのが整備士(チューナー)の仕事だ。潜行士(ダイバー)に溜まったエラー侵食率の調整や進行の緩和なんてのもやるね」


 賢人さんは腕を組みながら、まるで教師が生徒に講義をするような口調で説明を続ける。

 なるほど、と合点する。


「つまりチーター、というわけですね」


 チーター──ゲームを不正な手段で有利を得ようとする者。

 普通のオンラインゲームであれば、チート行為は最も忌み嫌われる行為だ。ゲームバランスを崩壊させ、他のプレイヤーの楽しみを奪う悪質な行為として、アカウント停止処分の対象となる。

 しかし、この塵界においては、それが立派な職業として成立しているのだから皮肉なものだ。

 考えてみれば当然のことかもしれない。ここは遊びの世界ではない。一度の失敗が死に直結する、文字通り命がけの戦場なのだ。

 使える手段を選ぶ余裕はないのだろう。


整備士(チューナー)が扱う技術の中に人工スキルってのがある。レベルアップか称号取得に応じて得るスキルを本来のスキルというなら、バグやエラーを使ってシステム外からスキルを得るのが人工スキルだ」


 なるほど、そういうことか。

 ボクは小さく頷きながら、咲良さんの説明を頭の中で整理した。

 システムの隙間を突いて、本来とは違う方法でスキルを得る。それが人工スキルというわけだ。胸の奥で小さな希望の灯がともる。

 今のボクが持っているスキルは、嘲笑の的(フール)黙劇(パントマイム)だけ。

 でも、もし新たにスキルを覚えることができたら──攻撃スキルや防御スキルを手に入れることができたら、レベル上げだってできるかもしれない。


「できるなら、やりたいです」


 ボクは身を乗り出すようにして、咲良さんを見つめた。


「欠点もある。人工スキルを覚えちまうと後が苦しいぞ」

「人工スキルは総じて本来のスキルよりも機能が低いんだ。そして覚えてしまうと、本来覚えるはずだったスキルを覚えられなかったり、覚えてたスキルを失ったりする。一時的にはプラスでも、成長性を考えるとマイナスになる」


 咲良さんの言葉に賢人さんが補足する。

 咲良さんが真剣な表情でボクを見据えた。その瞳には警告の色が浮かんでいる。


「かまいません」


 ボクは迷いなく即答した。咲良さんの眉がぴくりと動く。

 咲良さんが人工スキルの話題を避けていた理由が、なんとなく理解できた。

 きっとボクの将来を考えて、あえて触れずにいてくれたのだろう。

 でも今のボクに必要なのは遠い未来の可能性じゃない。明日を生き延びる力だ。

 この道化師(クラウン)というジョブにも未練はない。

 そもそもが、地雷職のような気もするし。

 別に、最強を目指すわけじゃない。

 この塵界でなんとか生きていければいいのだ。

 ボクの顔をじっと見つめていた咲良さんは、やがて困ったような表情を浮かべて、ゆっくりと頷いた。


「知り合いの整備士(チューナー)に、人工スキルをインストール出来ねぇか頼んでやる」

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