チャプター11 やっぱり無理ゲーなんですが!
「しぃぃぃぃぃぬぅぅぅぅぅぅうううッ!」
「おい! 逃げてばかりじゃ意味ねぇだろうが!」
「わかってますけどおぉぉぉぉっ!」
ホーンラビットの鋭い角が、ボクの背中をかすめる。
全身の毛が逆立った。振り返る余裕なんてない。ただひたすら前へ、前へと足を動かし続ける。
茂原外環の外縁から歩いて十分ほどの距離にあるフィールドエリア。
薄暗い木立が立ち並ぶこの一角は、初心者向けの狩場として知られている、らしい。
咲良さんの黒槍が風を切る音が聞こえてくる。
彼女はグレイトボアを相手に、華麗に踊っているようだった。
その姿は圧巻の一言だ。
一方のボクはというと──情けないことに、たった一匹のホーンラビットから必死に逃げ回っているだけだ。
白い毛並みに似合わない凶悪な角が、また太ももをかすめた。
冷や汗が背中を伝う。
串刺しになったら確実に死ぬ。いや、マジで死ぬって!
「このままだと、どう考えてもジリ貧だ……だっ」
肺が酸素を求めて激しく収縮を繰り返す。
心臓が胸郭を内側から叩きつけるように脈打っている。
足がもつれそうになるのを、なんとか踏みとどまる。
どう考えても、この追いかけっこで先に倒れるのはボクの方だ。
ホーンラビットの体力は底なしに見える。
対してボクの体力の先は見えている。
覚悟を決めるしかない。正面から戦おう。
ホーンラビットはロストアビスに出現するモンスターだ。
ゲームでならいくらでも狩ったことがある。
攻撃手段は額に生えた角のみで、攻撃は単調。
その上防御力も低いから、相手の攻撃を避けた際のカウンターで、ダメージを与えれば機動力も落ちて簡単に狩れる。
ゲームの始めたてで狩るごく初級のモンスター、のはずだ。
やるしかない!
ちょうど木がまばらになった開けた場所に飛び出した瞬間、ボクは急停止して振り返った。
両手にナイフを構え、追いかけてきたホーンラビットと対峙する。
手のひらに汗が滲み、ナイフの柄が滑りそうになる。
正面から向かってくるホーンラビットの鋭い角が、ボクの視界いっぱいに広がった。
その切っ先は陽光を反射してギラリと光り、まるで槍のように真っ直ぐこちらを狙っている。
足が地面に縫い付けられたように動かなくなった。呼吸が浅くなる。
「正面で止まるな!」
咲良さんの鋭い声が、動かないボクの体を貫いた。
「──わかってますって!」
反射的に言い返しながら、ようやく強張っていた右足を前に踏み出すことができた。
口では強がったものの、咲良さんの一言がなければ、ボクはそのまま串刺しになっていたかもしれない。
心の中で小さく感謝の言葉を呟く。
ボクが動き始めたのを見て、ホーンラビットも戦法を変えてきた。
それまでの直線的な突進をやめ、左へ右へと不規則にジャンプを繰り返す。
ボクも必死に足を動かした。
体の芯に角を突き立てられるのだけは絶対に避けなければならない。
にらみ合いのような攻防が続いたが、先に痺れを切らしたのはホーンラビットの方だった。
小さな体を限界まで縮めると、バネのように一気に飛び出してくる。
狙いが定まりきらないまま、苛立ちに任せた突進。
角の軌道が僅かにブレているのが見えた。
ボクの貧弱なステータスでも、このタイミングならギリギリで避けられる──そう直感した。
体を目一杯捻って、角の先をかわす。
「──っ!」
その瞬間、左の上腕に鋭い痛みが走った。
ツノの先端がわずかに皮膚を掠めただけだ。血が滲む程度の、ゲームであればダメージ表示すら出ないような傷。
それなのに、痛みは容赦なくボクの神経を襲う。
動転しながらも、ボクは握りしめたナイフを振り下ろした。刃先がホーンラビットの背中を狙う。
ボクの渾身の一撃。タイミングも完璧だ。
しかし──。
ナイフは体毛に阻まれ、まるで厚い絨毯を叩いたかの感触が返ってくるだけだった。
刃は一ミリも通らない。
「くっ──!」
まったくの無傷。
ホーンラビットの小さな体には、傷一つついていない。
防御力としては最弱クラスのはずのモンスター。
それなのに、ボクの貧弱なステータスでは毛皮すら貫けないのか。
絶望的な現実が、ボクの戦意を一瞬だけ削いだ。
「離れろ!」
咲良さんの鋭い声が響く。
だけど、ボクの体は思うように動かなかった。
ナイフを振り下ろした反動で前のめりになった体勢。
ホーンラビットはすでに地面に着地し、小さな体をバネのように縮めている。
振り向きざまにの一撃が迫る。
「やば──」
慌てて後ろにのけぞるように体を引いた。
一歩、たった一歩下がっただけで、ボクの体は完全にバランスを失った。
足がもつれる。
転倒する寸前、スキル・黙劇が、ほとんど自動的に発動する。
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──黙劇
──声なき世界で身体芸術。幻の板をもって一人芝居を繰り広げよ。割れるとタネも割れる。気をつけよ。
──体の接触部位に薄膜状の“見えない板”を展開し、任意の場所で黙劇動作を再現する。再動待機なしで使用可能。
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身体の接触部位に任意に出現させることのできる、本当に薄く透明な板。
それが倒れ込むボクの重みに一瞬も耐えられずに砕け散る。
パリン。
あまりにもあっけない音を立てて、青白いガラスの破片のようなスキルエフェクトが、キラキラと光りながら空中に舞い、すぐに消えていく。
いや、全く戦闘に使えないんですが!?
本当に黙劇以外では使えないような強度。
同時発動もできず、重ねて何重にも展開して防御力を確保する、なんて応用すら許されない。
脳裏を愚痴が駆け抜ける間に、ホーンラビットのカウンターの一撃は、奇跡的に避けられた。
むしろバランスを崩したから、角に当たらなかったというほうが正しい。
ボクはたたらを踏みながら、何とか尻餅をつくことを避ける。
だけどそれだけだ。
ボクの姿勢は致命的に崩れていた。
視界の端で、ホーンラビットが既に次の攻撃の挙動に移っているのが見えた。
まずい。
もう次の一撃は避けられない。体勢を立て直す時間なんてない。
走馬灯のように思考が間延びする。
ボクが使えるスキル。
パッシブスキルの運の気配は、今まで一度もまともに仕事をしたことがなく。
黙劇は見ての通り、攻撃には何の役にも立たない残念な子だ。
そして──最後に浮かぶのは、おそらく道化師の最大の武器となるはずのスキルだった。
まだ一度も使ったことのない、未知数の力。
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──嘲笑の的
──それは死を娯楽に、戦いを遊戯に。魅せよ。観客の注目は其方の力になり、命を掛けた演目は熱く盛り上がる。それは観客と共に作る喜劇である。
──観客を魅了することにより自身のステータスを上昇させる。1名につき0.05倍の上昇。
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でもそれは、人前に立つことを強制するスキルだ。
「い、嫌だ」
拒否の言葉が口をついてでた。
神崎くんの顔が、脳裏にチラついた。
足がまるで地面に根を張ったように動かない。
一歩を踏み出すくらいなら、いっそのこと──。
それに、どちらにしても手遅れだ。
嘲笑の的は、遅効型のスキルだ。発動してから観客を集める必要がある。今のこの瞬間発動しても、何の意味もない。
ホーンラビットのツノが迫るのがやけにゆっくりと見えた。
「勝手に諦めんなバカっ」
突然、横から黒い槍が風を切って飛来した。
ホーンラビットの脇腹に深々と突き刺さり、その小さな体は糸が切れた人形のように吹き飛ばされる。
ボクはそのまま腰が抜けたようにへたり込んでしまった。
視線の先には、咲良さんの得物である黒漆丸をこちらに向けていた。
黒漆丸は柄の部分が伸縮自在の可変武器で、今は10メートル以上も伸びている。
咲良さんは槍を構えたまま、顔すらこちらに向けていない。
Buooooooッ!
その時だった。
咲良さんが相手をしていたモンスター、グレイトボアが決死のいななきを上げた。
ランクCモンスター グレイトボア。
体躯が5メートルを超える巨大な猪型のモンスター。
すでにその体は咲良さんにダメージを与えられて、ボロボロだ。
それでも、数十メートル離れたボクにすらわかる強烈な殺気。
この場にいてもなお、膝が崩れそうになる。
ボクを助ける為に伸び切った黒漆丸を好機と見たのか、咲良さんへと襲いかかる。
トップスピードは巨体に似合わない速さだ。
「あぶな──!」
ボクは思わず声が出る。
「ふん」
咲良さんは小さく鼻を鳴らすと、次の瞬間には残像すら置き去りにして動いていた。
速い……!
ボクの目が追いつかないほどの速度だった。グレイトボアの突進など霞むスピード。
ゲーム『ロストアビス』でもトップランカーに迫るレベルの動きだ。
現実でこんな動きができる人間がいるなんて。
グレイトボアの体に幾重にも新しい傷が増えていく。
Booooooッ!?
「終いだ」
最後グレイトボアの脳天に黒漆丸が突き刺さる。
一拍置いて、巨体が地響きを上げて倒れた。
「すごい……」
その美しい戦闘スタイルに見惚れる。
咲良さんは黒漆丸についた血を一振りで払い落とすと、武器を短槍サイズまで縮めてボクの方へとつかつかと歩いてくる。
その顔には明らかな怒りの色が浮かんでいた。
やべ。これやばいパターン。
「あ、ちょっと待って、咲良さん?──あいたぁぁぁぁ!!!」
ボクが必死に言い訳を探している間に、容赦のない拳骨が頭頂部に振り下ろされた。
ゴツン、という鈍い音と共に、視界に火花が散る。
頭蓋骨が軋むような衝撃に、思わず両手で頭を抱えた。
目ん玉マジで飛び出るかと思った。
ホーンラビットの一撃より痛いんですけど!
涙で滲む視界で恐る恐る上目遣いに咲良さんを見上げると、まるで地獄の閻魔大王のような形相でボクを見下ろしていた。
「戦闘中に悩んでじゃねぇ! 悟った顔をするくらいなら、生き汚く足掻けッ!」
咲良さんの怒声が響く。
ボクは肩をすくめてその声を聞いた。
咲良さんの言う通りだ。戦いの中で、気を抜くなんてどうかしている。
これはゲームではないのだ。
「すみません」
ボクが素直に頭を下げると、咲良さんは困ったように頭をかいた。
タバコを取り出すと、一服する。
「で、レベルはどうだ?」
「やっぱりだめです……」
「そうか」
「こんなん無理ですよ」
咲良さんの何気ない問いに、ボクは力なく首を横に振った。
疲労感が全身にのしかかる。
ホーンラビットを攻撃してダメージは入らなかったものの、経験値としては僅かながら入っている。
戦闘ではほぼ役立たずだったが、それでも必死にナイフを振り続けた。
咲良さんの支援もあって、この1ヶ月間、ひたすら戦闘を繰り返して。
すでに経験値は、レベル2に上がる程度の分は十分に溜まっているはずだ。
それでも、レベルは上がらない。
やはり、レベル1固定という表記は真実なのか──。
「ならボクは、ずっと役立たずのままだ──」
つい弱音が口をついて出た。唇を噛みしめても、もう遅い。
今のステータスでは、まともに戦闘になんてならない。防御力が最弱の部類に入るモンスター相手でさえ、ボクの攻撃はダメージとして通らないのだ。まるで綿で殴っているかのように、手応えだけが虚しく返ってくる。
それなのにレベルアップも望めないとしたら──もう成長する要素が何もなくなってしまう。
ボクは渡航者だ。
この塵界で生きていくには、潜行士になるしか選択肢がない。
なのにその道すら閉ざされようとしている。成長する手立てが、どこにも見当たらない。
拳を握りしめた指先が、じわりと汗ばんでいた。
「まあそんなに落ち込むな」
不意に、咲良さんの大きな手のひらがボクの頭の上に置かれた。
次の瞬間、頭がもげるんじゃないかと思うほどの力で左右に振られる。
視界がぐらぐらと揺れて、思わず目を閉じた。
これはきっと──撫でてくれているのだ。咲良さんなりの、不器用な励まし方なのだろう。
「でも二ヶ月以上、何の成果もなしです。このままじゃボクは塵界で生きていけない」
「足掻くしかねぇだろ。状況なんて思い通りになる方が少ねぇんだ」
その口調は、いつもより柔らかかった。
咲良さんは普段つっけんどんだし、二日酔いが酷くて午前中は使い物にならないし、些細なことですぐ怒鳴る。
けれど──根っこのところでは、誰よりも優しい人だ。こうして見捨てずにいてくれることが、何よりの証拠だった。
「さっきの様子だと、嘲笑の的とかいうスキルは、まだ使いたくねぇんだな?」
「……」
咲良さんの問いに、言葉が詰まった。
喉の奥で何かがつかえたように、声が出てこない。
こんなに弱いくせに、使うスキルを選り好みしている自分がいる。
咲良さんにこれだけ迷惑をかけておきながら、それでもあのスキルだけは──。
俯いたボクの視線は、自分の足元に落ちたまま上がらなかった。
「すみません」
「まあいい」
咲良さんは意外にも怒らなかった。
普通なら「手段を選ぶな」とか言われそうなものだけれど、彼女の表情には叱責の色は微塵もない。
ボクは思わず首を傾げた。
「怒らないんですね……?」
「ん?」
ボクの問いに、咲良さんは一瞬キョトンとした。
まるで質問の意図が分からないとでも言いたげな顔。
それから、ゆっくりと口角が上がっていく。
「やりたいようにやりゃあいい。願ってもない人生に放りこまれて、生きたくもない場所で生きている。それはどうにもならねぇ」
何気ない言葉だった。。
だけど咲良さんの声には、どこか達観したような響きが混じっていた。
「──だから意地は通す。やりたいことはやる、やりたくないことはやらない。他人がどうとか、誰かのためとかそんな綺麗事じゃねぇ。自分のモノサシで決めて貫きゃいい。それが、しんどい道だとしても食いしばるだけだ。自分で決めたんだからな」
咲良さんは遠い目をしながら言った。
まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえる。
ボクの胸の奥に、その言葉がずしりと沈んでいく。
「ま、今日はここで引き上げて飯にしようぜ。ウサギとイノシシの肉は、結構美味いぞ」
咲良さんが破顔した。
とてつもなく整った綺麗な顔には似合わない、歯を剥き出しにした粗野な笑い。
でもとても暖かくて、太陽のような笑みだ。
その笑顔を見ていると、胸の奥の焦りが、少しずつ溶けていくのを感じる。
ボクは思わず拳を握りしめていた手の力を緩めた。
「咲良さん、ありがとうございます」
気づけば、自然と頭が下がっていた。
「ん? 舎弟を助けるのは兄貴分の役割だろうが。気にすんな。あたしもやりたいようにやっている」
「めっちゃいい人なのに、何故かヤンキー世界に置き換わるんだよな……」
「あ? なんか言ったか……?」
「いえ! なんでもないです!」
ボクは慌てて首を横に振った。背筋を伸ばし、直立不動の姿勢を取る。
「そろそろ来るはずだ。料理番は今日もあいつだな」
咲良さんがそう呟いた直後だった。
「おーい、咲良くん、凪くん!」
後ろから聞き覚えのある声が響いてきた。
振り向くと、全身を純白の魔術衣に包んだ長身の男性が、こちらに向かって軽やかな足取りで歩いてくるのが見えた。
万行賢人さんだ。
陽の光を受けて輝くサラサラの髪が、歩くたびに揺れている。
その整った顔立ちは、咲良さんに勝るとも劣らない美貌だった。
ただ、咲良さんのような美人とヤンキー属性が同居するギャップは彼にはない。
見た目通りの、真面目で優しい人柄がそのまま表情に出ている。
咲良さんの数少ない友人の一人で、この一ヶ月の間に何度か顔を出してくれたおかげで、ボクもすっかり顔見知りになっていた。
賢人さんはいつも穏やかな笑顔で接してくれるので、話しやすい相手だった。
賢人さんと合流したボクたちは、三人並んで咲良さんの家への帰路についた。




