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チャプター10 キレると怖い人たち

「んだてめーは! くそ! フロントライン崩れの金槍鬼(きんそうき)がなんの──っ」


 怒声の直後、激しい破砕音が響いた。

 何かが壁に叩きつけられたような音だ。


「なっ!?」

「──大丈夫。だいたい状況はわかったから」


 驚くボクをよそに、芙美さんは慣れた口調で言うと、芙美さんは細い指先で眉間を押さえた。

 ボクの腕を掴んでいた手がゆっくりと離れていく。


「いきましょうか?」


 彼女の声が冷たく響いた。


「え、ボクも?」

「多分あなたの知り合いよ?」


 声のトーンは変わらないのに、明らかに機嫌が悪い。

 ボクは喉をごくりと鳴らして、小さく頷いた。

 ロビーに戻ると、潜行士(ダイバー)たちが輪を作るように集まり、何かを囲んでいる。

 芙美さんが人混みに割って入っていく。

 ボクも慌てて後を追う。

 芙美さんが近づくにつれて人垣が自然と割れていく。

 彼女から放たれる怒気に気づいた屈強な潜行士(ダイバー)たちが、顔を青ざめさせて道を開けているのだ。

 人垣を抜けた先で、ボクは息を呑んだ。

 床に倒れ込んだ無精髭(ぶしょうひげ)の男が、頬を押さえながら喚いている。

 その男の顔を見た芙美さんの眉が跳ねるのが見えた。

 ボクにはわからないが、芙美さんは知っている人なのかもしれない。

 周囲には壊れたテーブルの破片や、ひっくり返った椅子が散乱していた。


「な、お前に関係ないだろうが! な、なんで首を突っ込んできやがる!」


 無精髭の男が、地面に這いつくばったまま殴った相手を睨み上げる。その顔は怒りと恐怖で歪んでいた。

 そして、その男を見下ろすように仁王立ちしている殴った相手は──咲良さんだった。

 見るまでもなくキレている。拳を握りしめ、燃え盛る炎のような瞳で視線で男を見据えていた。


「あ? いい大人が新人のガキをいびってんのが、ムカつくんだよ。ムカついたからぶん殴った。それだけだ。文句あっか?」


 咲良さんの声は、いつもより低く、凄みを帯びていた。


「めちゃくちゃだろうが!」


 無精髭の男が、唾を飛ばしながら喚き散らす。

 男のそばで、二人の子供が小さく身を寄せ合っていた。

 白い髪に赤い瞳の少女と、黒髪に緑の瞳の少年。どちらもボクより幼く見える──せいぜい中学生くらいだろうか。

 薄汚れた服に、手足についた泥。

 まるで路地裏で暮らしているかのような身なりだ。

 そしてその顔には、殴られたような痣が浮いている。

 傷には治りかけているものも、新しいものもあった。

 日常的に怪我をし続けないとこうはならない。

 こんな状況になる理由は──。


「おい、あの金髪。金槍鬼(きんそうき)じゃないか──フロントラインの」

「元だ元。エラー侵食率(しんしょくりつ)が上がって戦えなくなったんだってよ」  

「今じゃ茂原外環のトラブルメイカーらしい」


 野次馬たちのひそひそ話が、ギルドのロビーに響く。

 咲良さんと髭面の男を取り囲む潜行士(ダイバー)たちの声は、明らかに咲良さんの耳にも届いているはずだった。

 案の定、咲良さんが苛立たしげに舌打ちをする。


「はい、そこまでよ。ギルド内での戦闘行為は如何なる理由であれ認めないわ」


 芙美さんの凛とした声が割って入る。


「こ、こいつが勝手に因縁つけて攻撃してきやがったんだ……!」


 髭面の男が慌てたように弁解する。


「ギルドがだらしねぇから、こういうクソが現れんだろうが」


 咲良さんが吐き捨てるように芙美さんに言った。その拳は、まだ固く握られたままだ。


「状況はギルドが把握する。潜行士(ダイバー)同士の私闘は禁止よ。これ以上ギルドからの罰則を受けたくなかったらすぐに解散しなさい」


 芙美さんは腕を組んで立ち、その瞳には有無を言わせない強い意志が宿っている。


「こいつに対する罰だろ! 俺は被害者だ! こいつが仕掛けてきたんだぜ?」


 髭面の男が唾を飛ばしながら抗議する。

 その指は咲良さんを指していたが、震えているのが分かった。


「あなたは毒島(ぶすじま)さんね。言われなくても咲良には相応の罰が降るわよ。──でも、あなたに対しても未覚醒者(イノセント)から複数件の訴状が届いているの。今日会わなくても、数日以内に顔を合わせることになったと思うわ。今回の件もあなたの素行が関係しているのではなくて?」


 芙美さんは冷静に事実を告げる。その表情は氷のように冷たかった。


「く、くそ。なんでギルドが潜行士(ダイバー)の敵に回るんだ」


 毒島さんの顔が怒りで赤く染まり、拳を握りしめた。


潜行士(ダイバー)の力は絶大よ。潜行士(ダイバー)潜行士(ダイバー)にしか裁けない。だから自浄機能が必要なの。あなた達は新人潜行士(ダイバー)紅井雪(あかいゆき)さんと鉄大吾(くろがねだいご)くんね」


 芙美さんの視線が、毒島さんの後ろに控えていた二人に向けられる。

 話を向けられた少女と少年は、まるで雷に打たれたかのように肩を振るわせた。

 少女の顔は青ざめ、少年は目を伏せて唇を噛んでいる。


「毒島さんとの教導者(ティーチャー)登録を、ギルドを介さずにしているみたいだけど、その契約関係は一度ギルドが預かるわ。毒島さんはギルドの調査が終わるまでタウンエリア内での待機をお願いします。大丈夫よ。無実なら、名誉の回復も含めて損益分はギルドが補填するから」


 芙美さんの言葉は淡々と告げる。

 毒島の顔から血の気が引いていくのが、はっきりと見て取れた。


「さあ! 皆も解散して。見せ物ではないわ」


 芙美さんの声で、野次馬たちがぞろぞろと動き出した。

 まるで潮が引くように、ギルドのロビーから人が消えていく。

 毒島さんが、ゆっくりとこちらを振り返った。

 その瞳には、間違いなくドス黒い敵意が向けられている。

 彼は一言も発することなく、重い足取りで正面玄関より出て行った。

 紅井雪と鉄大吾と呼ばれた二人は、まるで何かに追われているかのように慌ただしく立ち去った。

 紅井雪は何度も肩越しに振り返り、鉄大吾は顔を青ざめさせながら彼女の腕を引っ張っている。

 二人の足音が扉の外へと消えていった。

 ギルドの職員たちが、壊れた椅子とテーブルの破片を手際よく片付け始める。

 誰も驚いた様子を見せず、淡々と作業を進めていく。

 箒で木片を集める音と、新しい家具を運び込む音だけが響いていた。きっとこんな光景は、ここでは日常茶飯事なのだろう。

 気がつけば取り巻きも消え、ロビーに残っているのは咲良さんと芙美さん、そしてボクだけになっていた。


「なぜあなたはそうやってトラブルばかり起こすの……?」


 芙美さんが疲れたようにため息をついた。

 それに対して咲良さんは、芙美さんに顔を向けようとさえしない。

 まるで拗ねた子供だ。


「うるせぇよ。あたしは生きたいように生きるし、やりてぇようにやるんだよ。それよりもあのガキどもをそのまま帰していいのかよ? 明らかにあのクソ髭にいびられてるぜ?」

「そんなことわかっている! だからギルドも内定を急いでいたんじゃないの! 毒島の確保と、あの子達の保護を同時にやりたかったのに、あなたのせいで台無しだわ」


 芙美さんの声が怒りに震える。


「ふん、まどろっこしいモンだな」


 咲良さんは鼻を鳴らし、視線をそらした。


「さっきも言ったでしょう! 潜行士(ダイバー)を裁けるのはギルドだけよ。そのギルドがルールを無視し始めたら、潜行士(ダイバー)たちの統制が取れなくなる。全ての潜行士(ダイバー)に対しても公正であることで、ギルドはギルドとして成り立っているの!」

「──あたしには関係ねぇ。話は終わったんだろ? いくぞ凪」

「ちょっと咲良!」


 咲良さんはボクの方を向き、顎でクイッと出口を示した。

 その仕草は乱暴なようでいて、どこか焦りが滲んでいるように見えた。

 芙美さんの呼び止める声が背後から響いたけれど、咲良さんは振り返ることなくずんずんと大股で歩き始めた。

 ボクは二人の間で立ち止まる。

 芙美さんの表情と、遠ざかっていく咲良さんの背中を交互に見比べる。

 結局、ボクは芙美さんの方を向き直すと、小さく頭を下げた。

 芙美さんは何か言いかけたようだったけれど、言葉を発することはなかった。

 小走りになって咲良さんの後を追いかける。扉を出る直前、振り返ると芙美さんがまだそこに立っていた。

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