当番表
荷車を置いて走った。グレタの二連砲を積んだままの荷車は、イリスが一人で引いてきた。
番小屋の煙突から、煙が上がっていた。
ロッテは、戸口の前で鍋をかき混ぜていた。籠を背負ったまま、いつもの顔で。
「あらあら。みんな、泥だらけ」
「猪を見なかったか。巣の主だ。でかいやつが、こっちへ来た」
「見ましたよ。お昼過ぎに、丘の向こうをぐるっと回って、林のほうへ帰っていきました」
ノノが蹄の跡を追って、丘の外側を一周してきた。
「ほんとっす。廃棄場のまわりを一周して、北の林に入ってるっす。……でも、帰ってないっす。林の入り口で、止まってるっす」
「止まって、何をしてる」
「こっちを見てるっす。たぶん」
獣脂油の樽が二十、丘の北側に積まれている。騎士団が捨てた樽だ。腹を空かせた獣には、いい匂いがするのだろう。
「夜は火を絶やさないようにしましょうね」
ロッテはそう言って、鍋の火に薪を一本足した。
それから数日、猪は林から出てこなかった。
その間に、俺は整備台の当番表を作った。
四体になると、夜のうちに全員をじっくり見ることはできない。一体に三十分。見るのは一か所か二か所。直した場所と、次に見る場所を記録帳に書く。騎士団では四十体をこれで回していた。
番小屋の壁に板を一枚打ちつけ、炭で線を引く。問題は、順番だった。
「あたし一番! 一番がいい!」
セラフィナは、最後がいいと言った。落ち着いて座れるから、だそうだ。
「ノノ、一時間がいいっす! 一時間、足の裏見てほしいっす!」
「一体三十分だ」
「じゃあ三十分を二回っす!」
それは一時間だ。
イリスが、板の前に立って炭を取った。
「輪番にしましょう。今夜の一番は、明日は二番へ。最後は、明日は一番へ。誰も、ずっと最後にはならない」
それで決まった。イリスは自分の名を、今夜の最後に書いた。
「ロッテの分も書く。何番がいい」
「あらあら、私はいいんですよ」
ロッテは籠の紐を直しながら笑った。
「私は最後で。いえ、最後の後で。みんなが済んでから、余ったら」
「余らないように作ってる」
「じゃあ、また今度」
板の上に、ロッテの欄はできなかった。
一番のグレタは、整備台に座るなり喋り出した。
「ねえ、なんで騎士団って、あたしたちを置いてったんだろ」
「重いからだろう」
「でも前は運んでたじゃん。八年、ずっと。オルトが荷車の車軸を直して、運べるようにしてたじゃん」
二連砲の火縄の筒を外して、中の煤を掻き出す。火薬の燃え残りが湿気を吸うと、次の一発で火がつかない。
「俺がいなくなったからだ。車軸を見る者がいなくなった」
「……ふーん」
グレタはしばらく黙った。黙るのが苦手な人形が、三十分のうち十分も黙っていた。
「オルトがいなくなって、騎士団は困ってるのかな」
「知らん」
「困ってたら、いいな」
それは言うな、とは言わなかった。俺も同じことを思っていた。
翌朝、グスタフ爺さんが、公報を持って番小屋の戸を叩いた。
「騎士団の欄は今週は無しだ。代わりに、これだ」
公報の真ん中に、王都工房の広告のような記事が載っていた。見積書の写しと、太った男の似顔絵。指輪だらけの手で、見積書を掲げている。
王都工房長、マティアス・ゲルバー。
新型人形の関節部品交換、一体あたり金貨十五枚。騎士団保有の二十体を一斉交換、合計金貨三百枚。
その下に、工房長の言葉があった。
『整備などという古い習慣は要らぬ。壊れたら替えればよい。それが新しい時代の人形というものだ』
「三百枚」
グスタフ爺さんが指で数字を叩いた。
「この前、王家に削られた予算も三百枚だったな。削られた分を、そっくり工房に払うわけだ」
「膝を洗えば、油代で銀貨五枚だ」
「そういう話は、誰も聞かんのだろうなあ」
爺さんは煙管に火をつけ、ついでのように言った。
「酒場で聞いた。また一人、騎士団をやめたそうだ。交換部品の数を帳簿に合わせるのが嫌になったんだと。これで三人目だ」
その夜、当番表は二巡目に入った。
一番がイリス、二番がグレタ、三番がノノ、最後がセラフィナ。イリスが盾の腕の留め具を外して整備台に横たわり、グレタの二連砲は昼に磨いて、フレームごと台の脇に立てかけてあった。セラフィナのレンズも、枠から外して乾かしている。
順番を待つあいだの見張りは、ノノ一人だった。
「オルトさん」
ノノの声が、いつもより低かった。
「来たっす」
林のほうで、枯れ枝が折れ続けていた。何かが、まっすぐこちらへ向かってくる。
ランプの明かりの端に、それが姿を見せた。
巣の主だった。背中の高さが俺の肩を越えている。牙は荷車の車輪の輻ほども太い。獣脂の樽ではなく、火の入った番小屋を、じっと見ていた。
イリスが起き上がろうとして、外した左肩の留め具が外れたままなのに気づいた。盾が持ち上がらない。グレタが二連砲に手を伸ばしたが、フレームに固定していない砲は撃てない。
猪が、前脚で地面を掻いた。
その前に、焦げ茶のワンピースが立った。
「あらあら」
ロッテだった。背負い籠を背負ったまま、鍋の蓋を片手に持って。
「夜中に、そんなに鼻を鳴らすものじゃありませんよ。みんな、整備中なんです」
猪が突っ込んできた。
背中の籠の枠が、音を立てて開いた。中から、古い銅色の細い腕が二本伸びる。関節の数が、人の腕より二つ多い。
二本の腕が、猪の両の牙を正面からつかんだ。
巨体が止まった。地面に四本の溝を刻んで、ロッテの一歩手前で。ロッテの足は、一歩も下がっていなかった。
「ここは、あなたの巣ではありませんよ」
補助腕が、ゆっくりと猪の首をひねった。傷つけない角度で。巨体が横倒しになり、転がり、起き上がると、そのまま一目散に林へ逃げていった。今度は、足跡が北の丘陵のほうへまっすぐ続いていた。
補助腕が、籠の中に畳まれていく。最後に、ぎし、と嫌な軋みがした。ロッテの右の手首からだった。
「……ロッテ」
「はい、坊や」
「今のは、なんだ」
ロッテは鍋の蓋を下ろして、困ったように笑った。
「古い型なんですよ。とても古い型。昔は、ここにいる子たちを運んだり、雨の日に屋根をかけたりするのに使っていました」
「ここにいる子たち」
「ええ」
ロッテは鉄屑の丘を見上げた。夜の中で、積まれた人形たちの動力核が、いくつも、かすかに灯っていた。
「あなたが来るまで、私がここの油差しでした」
イリスが、外れた盾の腕を押さえたまま、目を見開いていた。
「……では、私の動力核が消えなかったのは」
「半年、月に一度ずつ。あなたたちの分の油を、どこかで分けてもらってきてね。足りない月は、鍋を磨く油で」
だから、四十八体の核が、まだ灯っていたのか。
獣脂で固まったイリスの肘も、ノノの薄い真鍮も、セラフィナの曇ったレンズも、あと一歩で止まるところで止まっていなかった。止めずにいてくれた人形が、ここにいた。
「礼を言う」
「あらあら。お礼なんて、もらったことがないから、困ってしまいますね」
ロッテは鍋の蓋を小脇に抱え直した。右手ではなく、左手で。
ロッテが番小屋の奥へ引っこんでから、俺はイリスの肩の留め具をはめ直した。三十分の残りは、十二分だった。
「主殿」
「なんだ」
「ロッテ殿の右の手首。先ほどの軋みは、固着です。私の肘と同じ音でした」
「分かってる」
「私の肘は半年でした。ロッテ殿は、どれほどでしょう」
答えられなかった。俺がここへ来た日、数えるのは百でやめました、と彼女は言っていた。
「本人が開けていいと言わない限り、俺は開けない」
「承知しております。ですから、申し上げました」
イリスは盾の腕を三度曲げ伸ばしして、留め具の具合を確かめた。
「言ってくださるまで、待つのでしょう。狙撃の一番の時のように」
「そうだ」
「……了解。私も、待ちます」
整備台の向こうで、グレタが二連砲をフレームに固定し直していた。ノノは丘のてっぺんで、林の方角に耳を向けたまま座っている。セラフィナはレンズを枠に戻しながら、誰にともなく言った。
「次にあの猪が来たら、わたくしが八百歩先で止めて差し上げますわ。ロッテさんの手を煩わせるまでもなく」
それは、たぶん彼女なりの礼だった。
その晩、俺は当番表の板のいちばん下に、炭で一つ書き足した。
ロッテ。
翌朝、番小屋の戸を開けると、板の前に油の匂いが残っていた。
いちばん下のロッテの三文字は、親指でこすったように消されていた。
炭の跡の上に、油で光る指の形が、くっきりと残っていた。
(第7話へ続く)




