撃つ前に
ギルドの掲示板に、見覚えのある依頼書が貼り直されていた。
西の丘陵、大牙猪の巣の討伐。依頼主は丘のふもとの三つの村の連名。報酬は金貨六十枚。
端に、赤い字で但し書きがある。騎士団撤退につき再募集。
「騎士団さんが、十日前に受けて、五日前に返してきたんです」
受付のマルガが、依頼書の控えをめくった。
「撤退の報告書に、こう書いてありました。『現地に廃棄人形一体あり。回収不要』」
「回収不要」
「重いから、ですって。大砲を背負った古い型の子だそうです」
俺は依頼書をはがした。
「受ける」
「あの、オルトさん。巣の大牙猪、三十頭はいるって話ですよ。騎士団さんの新型が十体で行って、膝を二体やられて帰ってきたんです」
「新型は、泥の坂で膝を曲げるようにできてない。うちの子は違う」
言ってから、うちの子、と言った自分に気づいた。マルガが笑いをこらえていた。
廃棄場に戻って、荷車に整備鞄を積んだ。予備の油、鋲、真鍮板、やすり、鹿革。俺ひとりで出先の面倒を見られるのは、鞄と荷車に積める分だけだ。数えると、四体分でいっぱいになる。
「行くのは三人と、向こうにいる一体。それで四体だ」
「ノノ、行くっす!」
「主殿の行くところへ」
セラフィナは、少し遅れて丘から降りてきた。
「わたくしが行かなければ、誰が遠くを見るのかしら。仕方がありませんわね」
ロッテは籠を背負ったまま、門で手を振った。
「あらあら。みんな、ちゃんと帰ってくるんですよ。油の匂いをさせてね」
西の丘陵までは、荷車を引いて半日かかった。
丘の尾根に近づくと、火薬の匂いがした。それから、腹に響く轟き。尾根の岩場で、小さな人影が跳ねている。
赤銅色の太い三つ編みが二本。黒鉄色の短い上着に、オーバーオールの形のスカート。背中の鉄のフレームに、体の倍の長さの青銅の二連砲を背負っている。騎士団の旧識別で「砲の五番」。
「当たれ当たれ当たれー!」
砲口が火を噴いた。砲弾は谷底の大牙猪の群れの、はるか手前の斜面に突き刺さって土を跳ね上げた。猪たちは顔を上げもしない。
「あっはっは! また外れた!」
笑いながら、次の砲弾を込めている。錆だらけの砲身が、撃つたびに右へぶれていた。
「砲の五番」
呼ぶと、三つ編みがぐるりと回った。橙色の瞳が、真ん丸に開く。
「オルト! オルトじゃん! なんでいんの!」
「お前こそ、一人で何をしてる」
「置いてかれたの。重いから持って帰れないって。欠陥品の札つけて、ほら」
鉄の靴で踏んづけていた木札を、彼女は足先で蹴ってみせた。
「だから、残りの砲弾で巣を潰しとこうと思って。あいつら村の畑を荒らすんだよ。ねえ、ぶっ放していい?」
返事をする前に、二連砲が火を噴いた。今度は左へ外れた。
「撃つな。砲身が錆びて、弾が曲がってる。あと何発残ってる」
「えーと、六発!」
「なら、開けさせてくれ。六発を無駄にしたくない」
「開けていいか、って聞かないの?」
「今から聞く。開けていいか」
「いいよ!」
即答だった。騎士団にいた頃から、こいつはこうだった。
砲身を一本ずつフレームから外し、砂を混ぜた油を布に含ませて内側を磨く。錆が赤い泥になって流れ出る。二本とも磨き終えたら白蝋油を薄く引き、照準の鈴の軸のがたつきを、真鍮の座金を一枚挟んで止めた。
組み直した砲を背負い直して、彼女は肩を回した。
「軽い! なんか軽い!」
「重さは変わってない。引っかかりが取れただけだ」
谷底を見下ろして、ノノが耳を細かく回した。
「大牙猪、二十九頭っす。巣穴は向かいの斜面の、大きい岩の下。入り口は一つっす。一番でかいのが、見当たらないっす」
「巣の主は、奥か」
「たぶんっす。匂いが古いっす」
セラフィナが斜面に片膝をつき、硝子片を一枚、ふわりと飛ばした。硝子片は谷を渡り、巣穴の入り口の真上で止まって、夕日を反射して光った。
「目印ですわ。あそこへ落としなさいな、砲の五番」
「グレタ!」
「……はい?」
「あたしの名前。グレタ。工房でつけてもらったの、番号じゃないほう」
砲の五番は、にっと歯を見せた。グレタは二連砲の角度を合わせ、火縄に手を伸ばした。
その時、谷底の群れが動いた。
先頭の大牙猪が向きを変え、谷の出口へ走り出した。俺たちのいる尾根の、真下の細い道へ。二頭、五頭、十頭と続く。
イリスが道へ飛び降り、大盾を立てた。
「ここで止めます」
一頭目が盾にぶつかった。牙が白磁を擦り、イリスの踵が泥に沈む。二頭目、三頭目。イリスは下がらない。けれど、群れはまだ半分以上が道に殺到してくる。
グレタの砲口が、巣穴から道のほうへ動いた。
群れの真ん中に撃ち込めば、止まる。けれど道の上には、イリスがいる。
グレタの手が、火縄の上で止まった。
橙色の瞳が、群れと、イリスの白い背中と、目印の硝子片とを順に見た。それから、ゆっくりと振り返って、俺を見た。
「……オルト」
騎士団にいた十年、一度も聞いたことのない声だった。
「……いい?」
許可を、待っている。
「セラフィナ。射線は」
「巣穴の入り口まで、味方なし。道のイリスには、かすりもいたしませんわ」
「巣穴を撃て。群れの帰る場所を潰せ」
「了解っ!」
二連砲が、同時に吼えた。
砲弾は硝子片の真下、巣穴の入り口の大岩に吸い込まれた。岩が割れ、斜面ごと崩れ落ちる。土煙が谷を埋めた。
道の上の大牙猪たちが、一斉に足を止めた。振り返り、巣のあった場所に何もないのを見て、ばらばらに散っていく。背後を失った群れは、もう群れではなかった。
土煙が晴れると、イリスが盾を下ろしたところだった。白磁に牙の擦り傷が三本。それだけだった。
「……あたし、今、待った」
グレタが自分の手を見ていた。
「撃つ前に、待った。オルトに聞いた。なんで待ったんだろ」
「イリスがいたからだろう」
「そっか。そうだよね。……へへ」
グレタは笑った。大きな声で、腹を抱えて、尾根の上を転げ回って笑った。それから急に起き上がり、上着の襟をがばっと開いて、鎖骨の下の鉄の登録板に指を当てた。
「刻むね! いい? あ、これはあたしが決めることか。決めた!」
止める間もなかった。オルト、の三文字は、少し大きすぎて板からはみ出しかけていた。
帰りの荷車は、行きより重かった。グレタの二連砲の分だ。
ギルドに戻ると、マルガが金貨を六十枚、きっちり数えて並べてくれた。
「それから、これは噂ですけど」
マルガは声を落とした。
「騎士団さんの今月の依頼受注、五件です。先月は十二件。返上が続いたから、ギルドのほうで騎士団さん宛ての大口の依頼を回さなくなったんです。この調子だと、来月の格付けの見直しにかかるって」
十二から、五。
新型の膝を洗わなかった分の値段が、少しずつ形になっていく。俺が何かをしたわけではない。依頼主が、依頼を出す相手を選び直しているだけだ。
帰り道、グレタは荷車の縁に腰かけて、ずっと足をぶらぶらさせていた。
「ねえオルト。あたし、次からも待つね。撃つ前に」
「そうしてくれ」
「待つの、けっこう難しいね。指がむずむずする」
「知ってる。記録帳に書いてある。砲の五番、発射までの待機が苦手、って八年前から」
「八年も書いてたの!?」
セラフィナが、荷車の横を歩きながら鼻を鳴らした。
「あなた、ずいぶん詳しく書かれていますのね。わたくしの頁には、どんなことが書いてありますの」
「台座の歪みと、レンズの曇りと、演習の前の晩に必ず杖を三回磨き直すこと」
「なっ……そ、そんなことまで書かなくてよろしいですわ!」
イリスは黙って盾を担いでいた。自分の頁のことは、聞かなかった。聞かなくても、知っているのだろう。十年分、いちばん厚いのは彼女の頁だ。
ノノが、荷車の前を跳ねるように歩いていた。行きより足取りが軽い。真鍮の足の裏が、街道の石を叩いて、規則正しく跳ね返る。
廃棄場の門が見えてきた頃、ノノが急に立ち止まった。
しゃがみこみ、街道の土を指でなぞる。耳が二つとも、地面すれすれまで下がった。
ノノの指の先には、盾ほどの大きさの蹄の跡があった。
巣にいたどの猪よりも、ひと回り大きい。泥はまだ乾いていない。
跡は街道をまっすぐ北へ、俺たちより先に、廃棄場の方角へ続いていた。
巣を失った親が、どこへ向かっているのか。
廃棄場には今、背負い籠ひとつのロッテしかいない。
(第6話へ続く)




