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光らない本物

 七台の馬車が門を囲んでも、俺は閂から手を離さなかった。


 葡萄酒色の天幕。黒地に銀の秤を描いた旗。車軸の油は上等で、七台が止まっても軋み一つしない。その静かさが、かえって夜の街道には不自然だった。


 先頭の御者台から降りた男は、撫でつけた黒髪に銀の房を一筋だけ混ぜていた。


 葡萄酒色の燕尾服には埃一つない。右目の銀の片眼鏡が、整備台のランプを冷たく返す。


「夜分に失礼。銀秤商会の会頭、レオポルト・アイゼンだ」


 男は天秤紋の銀杖に両手を重ねた。挨拶の形だけは整っている。だが、門の中にいる俺たちを客として見る目じゃなかった。棚に並んだ品物の数と傷を確かめる目だ。


「当商会の商品を引き取りに来た」


 視線の先にはルクスがいた。


 胸の結晶は消えたまま。焼けの広がりを調べるため、今夜も外装を開ける予定だった。まだ舞台に立てる状態じゃない。無理に発光させれば、焦げた導線の被膜が熱を閉じ込める。そうなれば次に傷むのは結晶だけでは済まない。


「ルクスは商品じゃない」


「契約書には発光試作機一体とある。先日の騒ぎでは切符八十六枚を払い戻し、見世物小屋は七日間の興行停止だ。損失を作った品を、勝手に持ち去られては困る」


 八十六枚。


 数字を口にする時だけ、レオポルトの声には温度が乗った。ルクスが舞台でどれほど苦しかったかではなく、空席と払い戻しだけを数えている。


「持ち去ってない。本人が戻らないと決めた」


 俺が振り返る前に、ルクスが門の横へ進み出た。


 いつものように跳ねる足取りではなかった。胸元をかばうように両腕を寄せ、それでも俺の背には隠れない。


「ルクス、商会には戻らないよ」


「調整不足で判断機構まで壊れたか」


「壊れてない。光ってない時のルクスはいらないって言ったの、そっちでしょ」


 声の終わりが少しだけ震えた。


 俺は閂を握る指に力を込めた。言い返すのは簡単だ。だが、これはルクスが自分で選んだ言葉だ。俺が上から塗り潰していいものじゃない。


 レオポルトは答えず、銀杖の先で地面を二度叩いた。


 中央の馬車の後板が開く。


 甘い香油と、熱した金属の臭いが流れてきた。その奥から現れたのは、白い半仮面をつけた道化の人形だった。


 右半分が水色、左半分が赤銅色の髪。葡萄酒色と黒の道化服は軍服のように固く仕立てられ、菱形の継ぎ布で覆われている。手足の色も長さも、左右でわずかに違っていた。


 人形が片足で立つと、六枚の硝子の輪が宙へ浮いた。


「クラウン隊隊長機ジゼル。興行命令を開始します」


 名乗った直後、首が不自然な角度へ傾く。


「さあ、どれが本物?」


 硝子の輪が回り、整備台のランプの光を切り分けた。


 青、赤、黄。薄く延ばされた光が門前の土埃へ刺さり、互いに重なって人の輪郭を結んでいく。


 門の前に、十人のルクスが現れた。


 どれも胸の結晶を七色に輝かせ、笑顔で手を振っている。そのうち一人がレオポルトの横へ歩き、彼の腕を取った。


『ルクス、商会へ戻るね!』


 明るい声まで同じだった。


 笑う時に右の頬が少し上がる癖も、指先を大きく振る仕草も似ている。舞台の上で客に求められていたルクスだけを切り取り、磨いて並べたような笑顔だった。


 だが、本物は俺の隣にいる。


 息を詰め、光らない胸を押さえている。


「趣味が悪いな」


「客が喜ぶ。真偽など、金になればどちらでもいい」


 ジゼルの右足が地面に触れる。


 かつん、かつん、か――きん。


 三歩目だけ、膝の内側で金属が遅れて当たった。


 左右で脚の長さが違う。交換された大腿部に合わせて軸を削らず、短い方へ厚い座金を重ねている。硝子の輪を回すたび、右膝だけに捻れが溜まっていた。香油で隠しているが、軸受から焦げた油の臭いもする。


「その右膝、熱を持ってる。開けていいか」


 ジゼルは俺を見た。


 仮面のない側の瞳が、ほんの一瞬だけ右膝へ落ちる。


「さあ、どれが本物?」


 返ってきたのは同じ台詞だけだった。


 許可じゃない。


 俺は工具鞄に触れなかった。あの音を聞き続けるのは不快だったが、勝手に開ければ、やっていることはレオポルトと変わらない。


 レオポルトが薄く笑う。


「見抜けると言うなら、賭けようではないか。お前たちが本物の発光試作機を選べれば、この場は引く。外せば、商品を返してもらう」


「ルクスを賭け札にするな」


「賭けは成立した」


「してないよ」


 ルクスが俺の袖をつかんだ。


 十人の幻が一斉に踊り始める。靴音まで揃い、七色の光が重なった。光の帯の間を硝子の輪が滑る。イリスが盾を構えても、どこから輪が来るのか分からない。


 ヴェスナとミラも門の左右へ寄ったが、踏み込まない。ルクスの選択を、誰も代わりに決めようとはしなかった。


 レオポルトの狙いは勝負じゃない。


 混乱に紛れて、本物を馬車へ連れ戻すつもりだ。御者台の陰では、厚い革手袋をつけた男たちが荷台の留め具へ手をかけている。


 俺がルクスを背へかばおうとすると、袖をつかむ指に力がこもった。


「マスター、隠さなくていいよ」


「まだ結晶は動かすな。焼けが残ってる」


「うん。光らせない」


 ルクスは俺の横へ並んだ。


 袖から離れた指が、今度は一瞬だけ俺の手に触れる。握るのではなく、そこにいると確かめるような触れ方だった。


「ルクス、自分で歩くよ。ここにいるって、自分で見せたい」


「分かった。無理だと思ったら止まれ」


「うん、マスター」


 幻のルクスたちは、すべて胸を輝かせている。


 本物だけが光っていない。


「ルクスはここだよ」


 消えた胸の結晶を両手で示す。


「光ってないルクスを見つけてくれた場所に、自分でいるって決めたの。偽物がどれだけ光っても、代わりにはならないよ」


 ルクスは一歩踏み出した。


 幻の一体と肩が重なる。輝く像は水面のように歪み、硝子の輪へ戻った。


 さらに一歩。


 二体目が崩れる。


 イリスは本物の歩みに合わせて盾を動かした。ジゼルの輪が左右から迫るたび、盾の縁で進路だけを変える。打ち砕きはしない。硝子と金属が擦れ、澄んだ音が夜気へ散った。


 守るためにルクスの前を塞ぐのではなく、彼女が選んだ道だけを空ける盾だった。


 ルクスは一度も光らず、十体の幻の中央を歩き切った。


 額に汗はない。それでも、握り締めた指がかすかに鳴っていた。舞台で覚えさせられた笑顔を浮かべず、胸を張る。


 最後の像が砕けた時、彼女は門の外ではなく、内側に立っていた。


「ルクスは帰ってきたんじゃないよ。自分でここへ来たの」


 ジゼルの硝子の輪が止まった。


 右膝から、また小さな衝突音がした。


 仮面の奥の瞳が、光らないルクスを見ていた。命令を待つ人形の目ではなく、何かを測り直そうとする目に見えた。だが、ジゼルは何も言わない。


 レオポルトは舌打ちさえしなかった。銀杖を持ち上げ、今度はイリスやヴェスナ、ミラへ値踏みする視線を向ける。


「なるほど。では全体で金貨三百枚ではどうだ。欠陥品にしては破格だろう」


 空気が冷えた。


 イリスの盾を握る手が沈み、縁が土へ食い込む。ヴェスナもミラも動かなかったが、その沈黙を了承だと思える者はいない。


「俺に値段を聞くな。本人たちに聞け」


「人形の意思で商売ができるものか」


「だから売らない」


 その時、北門の方から警笛が鳴った。


 番所の衛兵と、王都ギルドの道路監督官が二人ずつ歩いてくる。監督官は七台の馬車と、広げられかけた天幕を数え、木札へ書き込んだ。


 監督官は木札を返し、見世物小屋が興行停止中である事実をレオポルトへ突きつけた。


「これは商品の確認だ」


 監督官は、太鼓と旗と幻惑機を使った以上は商品の確認とは認めず、七台が北街道を塞いでいることも木札へ書き足した。


 監督官はレオポルトへ違反票を渡した。


 違反票には、無許可の街道占有は馬車一台につき金貨二枚、七台で金貨十四枚との算定と、即時退去命令が記されていた。


 俺は呼んでいない。


 北門から見える街道を勝手に塞ぎ、自分たちで太鼓まで鳴らした結果だった。俺が商会の車輪へ釘を打つ必要はない。規則を踏み越えた分は、ギルドが数字にして取り立てる。


 レオポルトは違反票を折り畳み、黒いベストの内側へ押し込んだ。


「今夜は引こう。だが、客の前では光らない人形に価値はない」


「それを決めるのはあなたじゃないよ」


 ルクスは俺の隣から動かなかった。


 さっき触れただけの手が、今度は俺の指をきちんと握った。力は弱い。それでも、離れる気のない握り方だった。


 御者たちが天幕を畳み、馬車を一台ずつ街道へ戻していく。


 最後に乗り込んだジゼルの右足が、踏み板へ引っかかった。


 金属が嫌な角度で鳴る。


 俺は反射的に手を伸ばしたが、レオポルトが銀杖でその手を遮る。道化の人形は膝を打ちつけたまま荷台へ引き上げられ、扉を閉ざされた。


 助けを求める言葉はなかった。分解の許可もなかった。


 だから追えない。ただ、あの遅れた衝突音と焦げた油の臭いを、忘れないように頭へ刻んだ。


 七台目の馬車が動き出した時、車輪とは違うものが地面を転がった。


 薄い水色の硝子の輪だった。


 俺の長靴に当たり、乾いた音を立てて止まる。


 拾い上げると、まだ人肌ほどの熱が残っていた。内側に細かな文字が並んでいる。


 ヴィトレア工房の製造番号だ。


 ただし、一つじゃない。


 削っては刻み直した跡が、四つ重なっていた。


 一枚の輪に、少なくとも四体分の製造番号が残っていた。


(第20話へ続く)

本文に出てきた座金は、ねじの締め付ける力を広い面で受けるためにも使われる、穴の開いた薄い部品です。隙間の調整に使うこともありますが、重ねれば何でも合うわけではありません。ジゼルの膝では、部品が収まることと、無理なく動けることの違いを書きました。

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