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替えたほうが早い

 翌朝、白い作業台の前に立っていたのは、俺と同じくらいの年の女だった。


 淡い金髪を短く切り揃え、汚れ一つない白い作業衣を着ている。胸には王都工房の塔紋。袖には銀秤商会の天秤紋。腰には、新品の軸や歯車を詰めた部品箱を下げていた。


「エリカ・ブラウ。王都工房から検査を任されたわ」


 白手袋の指先で、エリカは俺の作業着についた油染みを示した。


「あなたが噂の手入れ屋さんね」


「オルトだ」


「知っているわ。公開した手順書も読んだ。ずいぶん手間のかかる方法ね」


 そう言いながら、彼女は部品箱から新品の膝軸を取り出した。


「削って、洗って、油を差して、組み直して、音を聞く。そんなことをするくらいなら、替えたほうが早い」


 磨き上げられた軸には、摩耗どころか指紋一つない。


 だが、部品は新しければいいというものじゃない。軸と軸受けの寸法が合わなければ、片側に荷重が寄る。ミレス型の膝が削れたのも、それが原因だった。


 エリカの視線が、俺の隣に立つミラへ移った。


「M-07。作業台へ上がりなさい」


「私はミラ」


 薄い灰色の瞳が、まっすぐにエリカを見た。


「識別番号はM-07よ」


「記録として残している。だが、今の名はミラだ」


 エリカは肩に残された番号と、琥珀の髪留めを見比べた。首の封じ栓が外されていることに気づくと、白手袋の指が止まる。


「勝手に封じ栓まで外したの?」


「私が外すと決めた」


「人形に、そんな判断はできないわ」


「今、できている」


 ミラの答えは短かった。


 エリカは聞かなかったことにしたらしい。工具箱から細い検査棒を抜き、ミラの膝へ手を伸ばす。


 ミラが半歩下がった。


「接触を拒否する」


「検査よ。触らなければ始まらないでしょう」


「なら、先に私へ許可を求めろ」


 エリカは俺を見た。


「手入れ屋さん。あなたが命じて」


「俺に聞くな。膝はミラのものだ」


「面倒ね」


 吐き捨てるように言ってから、エリカはミラへ向き直った。


「膝の外部検査をする。許可する?」


「外から測るだけなら許可する。開くことは許可しない」


「それで十分よ」


 ミラは自分の足で白い作業台へ上がった。


 エリカは膝の左右へ測定板を当て、軸の傾きと曲げた時の隙間を調べた。新品の膝軸を横へ並べ、俺が切り出した真鍮の受け輪を細い鏡で覗く。


「規格外の部品。軸受けも削ってある。王都工房の保証対象からは外れるわね」


「最初から保証された動きじゃなかった」


「だから壊れた部品を交換するの。現地で削り直せば、寸法が揃わないでしょう」


「ミレス型の新品軸は、軸受けより指一本の爪ほど細い。交換しても同じ場所が削れる」


 俺が言うと、エリカは新品の軸を検査台へ置いた。


「工房の規格に間違いはないわ」


 間違いがあるかどうかは、白い作業衣では決まらない。削れた軸と、黒い摩耗粉が決める。


 白い作業台の端では、チコが目盛りを見ていた。口を挟まず、俺の記録帳と測定器の針を交互に確かめている。


 エリカが作業台の下から、鉄の重りが並んだ箱を引き出した。


「荷重試験をするわ。槍を持った状態と同じ重さを右肩へかけ、屈伸と踏み込みを確認する」


 ミラは俺を見た。


「この試験で、膝の状態は確認できるか」


「外から分かる範囲ならな。嫌なら受けなくていい」


「受ける。私が選んだ整備の結果を、私が確かめたい」


 俺はうなずいた。


 重りをつないだ革帯が、ミラの右肩にかけられる。エリカが台の横にある把手を回すと、鉄の重さが滑車を通じて肩へ乗った。


「膝を曲げて」


 ミラが腰を落とす。


 右膝は低く鳴った。異常音ではない。油が狭い隙間を抜ける音だ。膝軸はぶれず、踵も浮かない。


「次は踏み込み」


 ミラは作業台の端まで一歩踏み出し、右脚だけで重さを受けた。


 灰色の外套が揺れる。右膝はまっすぐ前を向いたままだった。


 検査針も基準線の内側に収まっている。


「師匠、左右の振れ幅が同じです!」


 チコの声に、エリカの眉が動いた。


「一度動いたから何だというの。継続使用を保証する結果ではないわ」


「一度で壊れる膝を、新品として出したのはどこだ」


「砂地で無理に使った騎士団の問題よ」


 答えながら、エリカは把手をさらに回した。


 滑車が軋んだ。


 膝の音じゃない。作業台の下だ。


「止めろ」


 俺が言うのと、白い台の脚が沈むのは同時だった。


 昨日、作業員は鉄屑の上へ板を渡し、その上に脚を固定していた。重りが片側へ寄ったせいで、下の錆びた板が折れたのだ。


 作業台がチコの側へ傾く。


 重り箱が滑った。


 ミラは肩の革帯を外さなかった。右膝を深く曲げ、沈んだ台へ身体を寄せる。長槍の石突きを地面へ突き立て、傾く天板を肩で受け止めた。


「チコ。目盛りから離れろ」


「はい!」


 チコが飛び退いた直後、鉄の重りが台の端まで滑って止まった。


 ミラの右脚には、槍一本分どころではない荷重がかかっている。


 それでも膝は横へ逃げなかった。


「革帯を切る。いいか」


「許可する」


 俺は帯へ刃を入れた。重りが地面へ落ち、白い作業台が鈍い音を立てて傾いた。


 ミラはゆっくり膝を伸ばす。


「異常は」


「ない。熱も許容範囲だ」


 膝蓋の脇へ手の甲を近づける。試験前よりわずかに温かいだけで、焦げた油の臭いもない。


 ミラは台から降りると、チコの前へ立った。


「損傷は」


「ぼくは大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございます」


「そうか」


 それだけ答え、ミラは俺へ右膝を向けた。


「念のため、今夜の当番を私と交代してほしい」


「分かった。三十分、音と熱を見る」


「今後の整備もオルトに依頼する」


 エリカにも聞こえる声だった。


「工房の保証がなくてもか」


「保証は、壊れた私を歩かせなかった」


 ミラが一歩踏み出す。


「オルトは私に問い、私は頼んだ。次も私が選ぶ」


 右脚の音は、左脚と同じだった。


 エリカは倒れかけた作業台を見ようともせず、検査票へ筆を走らせた。


「現地加工による規格外整備。長期耐久性は未確認。私は合格とは認めないわ」


「好きに書け。起きたことも書いておけ」


「もちろん。王都工房の記録は正確よ」


 彼女が検査票を閉じた時、挟まれていた別の紙が落ちた。


 白獅子騎士団宛ての見積書だった。


 停止したミレス型五体。膝関節一式交換、一体につき金貨十五枚。


 合計、金貨七十五枚。


 清掃も、噛み合わせの確認もない。故障理由の欄には、ただ「使用環境による摩耗」と書かれていた。


 エリカは紙を拾い、部品箱へ戻した。


「壊れたら替える。それが一番早くて、数字も揃うの」


「同じ寸法の部品なら、同じ場所がまた削れる」


「それを公開の場で――」


 エリカは言いかけるように唇を動かしたが、別の言葉へ変えた。


「いずれ、人前で証明してあげる。あなたの手入れより、私の交換のほうが優れていると」


 白い作業台は解体され、昼過ぎには運び去られた。


 廃棄場に残ったのは、折れた錆板と、油染み一つない検査不合格の札だけだった。


 その夜、俺は約束どおりミラの右膝を見た。


 外板を開く許可を取り、受け輪のずれと油の色を確認する。削り粉はなく、油にも濁りはない。組み直して曲げ伸ばしをすると、昨日より音は低くなっていた。


「問題ない」


「了解した」


 ミラは立ち上がりかけ、言い直した。


「……ありがとう、オルト」


「ああ」


 ランプの下で、琥珀の髪留めが小さく揺れた。


 その時、王都の内側が真昼のように明るくなった。


 北門の向こうから、赤、青、黄の光が一本ずつ空へ突き上がる。七色に重なった光は激しく明滅し、途中で形を崩した。


 門の鐘が鳴る。


「銀秤商会の見世物小屋だ!」


 城壁の上から、衛兵の叫びが落ちてきた。


「光る人形が倒れた! 誰か、整備のできる者を呼べ!」


 七色の光が消えた場所から、白い煙だけが上がり始めた。


(第16話へ続く)

今回出てきた軸と軸受けには、動くための適度な隙間が必要です。ぴったり詰めればよいわけではなく、隙間が大きすぎても、がたつきや偏った摩耗につながります。ミラの膝を見る際は、新品かどうかと一緒に、部品同士の合い方にも目を向けていただければ幸いです。


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