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黒曜のヴェスナ

 夜に見た荷車は、騎士団の廃棄区画へ入った。


 だから俺たちは追わなかった。


 審問で所有権が否定されたからといって、騎士団の敷地へ勝手に入っていいことにはならない。助けたいという気持ちで、手順を飛ばすつもりはなかった。


 焦って留め具を折れば、外せる装甲も外せなくなる。人形との関係も同じだ。向こうが扉を開ける前に、こちらからこじ開けてはいけない。


 翌朝、北門の内側で鉄の扉が開いた。


 騎士団の兵士二人が、荷車を番所の前まで押してくる。昨夜の防水布はそのままだった。兵士は大きな字で一体廃棄と書かれた紙をグスタフに渡し、荷台を傾けた。


 黒い人形が、石畳へ落ちた。


 重い音が朝の冷気を震わせる。膝をつき、片手を地面について、どうにか倒れるのをこらえる。黒曜の装甲板の下に、身体へ密着した黒い衣が見えた。背中には細身の長剣が二本、交差して収まっている。


 左胸の所属章は、刃物で削り取られていた。


 剥がしたのではない。傷を残すために、何度も刃を往復させた跡だった。


 兵士たちは一度も振り返らずに帰っていった。


「騎士団から一体。手数料の銀貨二枚も受け取った。王都の決まりどおりだ」


 グスタフが、受領印を押した。


「控え帳にも銀貨二枚でつけておく。これで、この子は廃棄場の預かりだ」


 黒い人形が顔を上げた。跳ね上げ式のバイザーの奥で、赤い瞳が細く光る。瞳孔は、縦に長かった。


「訂正。当機は不良品ではない」


 無機質な声だった。だが、不良品という言葉だけは、わずかに硬かった。


「黒曜のノクティス工房、最新試作、近接区分。連続戦闘時間十八分、模擬戦三十七勝。騎士団内最高記録」


「なら、どうして捨てられた」


「十九分目に出力低下。命令遂行不能。交換部品なし。ゆえに廃棄」


 うなじの一房だけが、赤く明滅していた。髪ではない。細い導線を編み込んだ排熱器だ。


 明滅の間隔が短すぎる。焦げた油の臭いも、風上にいる俺まで届いていた。


「熱が抜けてない。背中を見せてくれ」


「整備命令の権限を確認できない」


「命令じゃない。嫌なら触らない」


 赤い瞳が俺を測った。剣の間合いより外にいる俺の手元、整備鞄、顔の順に視線が動く。


「理解不能。廃棄された機体に、拒否権を確認する理由がない」


「ここではある」


 俺はそれ以上近づかなかった。整備鞄だけを石畳へ置く。


 イリスが俺の隣で盾を下ろした。敵意がないと示す置き方だった。


「主殿は、待ちます」


「待機は非効率」


「……了解。ですが、待ちます」


 黒い人形の赤い瞳が、イリスから俺へ戻った。


 その時、荷車の後輪が外れた。


 車軸が石畳を叩き、積まれていた鉄材の山へ転がる。錆びた支柱に当たり、支柱へ巻かれていた鎖が弾けた。


 頭上で、鉄骨が傾いた。


「師匠!」


 チコが整備台から駆けてくる。その腕には、今朝縫い上げたばかりの布が抱えられていた。黒地に、琥珀色の糸で小さな灯を刺した、ランプ隊のエンブレムだ。


 落ちてくる鉄骨は三本。


 黒い人形が動いた。


 背中から双剣を抜く。右の剣が切れた鎖をすくい、左の剣が倒れる支柱を斜めに払った。最後の一本には刃を立てず、剣の腹を当てて軌道を変えた。


 金属音が三つ、ほとんど一つに重なった。


 鉄骨はチコの左右へ落ちた。


 黒い人形の背から、赤い翼が開いた。


 羽ではない。薄い放熱板が何枚も重なった機構だった。赤熱した空気が揺らぎ、焦げた油の臭いが広がる。


「脅威、排除」


 一歩踏み出そうとして、膝が落ちた。


 俺は手を伸ばしかけ、止めた。倒れそうだからといって、勝手に身体をつかんでいい理由にはならない。


「支えていいか」


「……許可」


 肩を抱えて起こした。装甲越しでも熱い。黒い衣に覆われた身体は硬く引き締まっていたが、内部では細かな歯車が不揃いな音を立てている。二拍ごとに擦過音が混じっていた。


「整備台まで運ぶ。開けていいか」


「当機は不良品ではない」


「知ってる。これは故障じゃない。手入れ不足だ」


 赤い瞳が、わずかに見開かれた。


「……開放を許可する。当機の選択として」


 整備台へ寝かせ、背面装甲を外した。排熱翼の根元には、焼けた油と煤が層になって詰まっていた。


 煤を細い刷毛で掻き出し、固まった油を温めて拭う。歪んだ放熱板を一枚ずつ噛み合わせ直し、軸へ熱に強い薄油を引いた。


 途中で六度、手を止めた。熱が下がる前に回せば、軸まで歪む。早く動かしたい時ほど、待つのも工程のうちだった。


 チコは水桶の布を替えながら、温度と待った時間を石板に書き続けた。


「師匠。もう赤い光が弱くなりました」


「まだだ。奥の軸が熱い」


「見ただけで分かるんですか?」


「油の色だ。端が紫になってる」


 黒い人形は、うつ伏せのままこちらを見ていた。工具を持ち替えるたび、縦長の瞳孔がその先を追っている。


「整備士。なぜ、交換しない」


「交換する必要がない。削れてない部品まで捨てるほうが変だ」


「騎士団では、整備工程を不要と判断された」


「それで十八分しか動けなくなった」


「設計上の欠陥と記録された」


「違う。排熱翼を閉じたまま、煤を半年溜めた結果だ」


 彼女は黙った。


 その沈黙は、さっきまでの無機質な応答より重かった。自分に貼られた不良という記録が、刷毛で落とせる煤と同じだったとは、すぐには受け入れられないのだろう。


 日が傾く頃、最後の放熱板を戻した。


「閉じていいか」


「許可する」


 背面装甲を固定し、整備台から降りてもらう。


 黒い人形は双剣を抜き、鉄屑のない場所で構えた。右、左、踏み込み。刃が風を切るたび、背中の放熱翼が順番に開閉する。


 黒と赤の残像が廃棄場を走る。斬撃は鋭いのに、積まれた部品にも見守るチコにも、風圧ひとつ当てなかった。


 十八分を過ぎても、動きは鈍らなかった。


 二十五分で剣を止め、自分のうなじに触れる。


「熱量、許容範囲」


「三十分までは上げられる。ただし、毎回その半分は冷却しろ。連続で使えばまた焼きつく」


「整備記録を要求する」


 俺は新しい紙を記録帳へ綴じ、今やった工程を書いて見せた。隠すような技術じゃない。順番も、待ち時間も、油の種類も全部書く。


「お前の頁だ。嫌なら破る」


「破棄を拒否する」


 即答だった。


 黒い人形は左胸の、所属章を削られた跡へ指を当てた。そこには深い傷が何本も残っている。


「当機には名がある。ヴェスナ」


 初めて、型や区分ではなく、自分のことを口にした。


「ヴェスナ。ここに残るかどうかも、お前が決めろ」


「整備士オルト・グレンの管理下では、当機の性能を維持できる。加えて、拒否権が保証される」


 ヴェスナは結論を計算するように、一度目を閉じた。


「当機は、ここに残る。登録も当機の意思で行う」


 鎖骨の下の装甲を、自分でずらした。黒い登録板には、何も刻まれていない。


 ヴェスナは俺の刻み針を取った。


「見ていてください!」


 チコが身を乗り出す。


「見習い。距離が近い」


「す、すみません!」


 針先が黒い板を走った。


 オルト。


 一画も迷わなかった。


「登録完了。整備士を、当機の主として選択した」


「俺でいいのか」


「確認の反復は非効率。理解不能」


 それでもヴェスナは、もう一度はっきり言った。


「当機が選択した」


 チコが、琥珀色の灯のエンブレムを差し出した。


「これ、ランプ隊の印です。ぼくが縫いました。少し曲がってますけど……」


「所属章の装着には、部隊加入の承認が必要」


「もう自分で決めただろ」


 ヴェスナは左胸の傷を見下ろした。傷を隠す位置ではなく、その隣へ布を当てる。


「当機はランプ隊への加入を希望する。では、装着を許可する」


 チコが傷跡を隠さない位置へ、灯の印を縫いつけた。


 その日の夕方、俺はヴェスナの歩行確認を兼ねてギルドへ向かった。


 広場の公報には、王都工房への返品数が追記されていた。


 四体だった数字に横線が引かれ、七体になっている。


「今朝、さらに三体戻されたそうよ」


 受付のマルガが言った。


「騎士団は代わりの人形を用意すると届け出てきたわ。整備不要の新型を、今度こそ数で運用するんですって」


 ヴェスナの赤い瞳が、公報の数字を読んだ。


「交換を繰り返し、整備不要を主張。理解不能」


「俺もそう思う」


 廃棄場へ戻ると、ロッテが当番表の最後へ新しい名を書き足していた。


 ヴェスナは自分の名の横に、三十分、と記した。


「冷却時間は別枠とする」


「分かった」


「異議を述べないのか」


「必要な時間なら取る」


 ヴェスナはしばらく俺を見たあと、整備台の上に腰を下ろした。


 ランプ隊の灯が、黒い装甲の上で揺れた。削られた傷と、新しい印。その両方を残すことを、彼女自身が選んだ。


 日が沈みきる前、王都の警鐘が三度鳴った。


 北街道に魔獣が出た時の数だ。


 ギルドの使いが息を切らし、廃棄場の門へ飛び込んできた。


「緊急依頼です! 白獅子騎士団が先行しました。灰色の同型人形を十二体、全部投入したそうです!」


 俺は整備鞄を開き、四体分の油壺を確かめた。


(第12話へ続く)

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