第96話 拘束罠を手をつないで渡ったら、カコを抱き上げることになりました
形を取り始めた二枚の金色の足場を見たあと、カコが俺へ顔を向けた。
「一緒に行く」
「俺が先に渡って、安全を確かめてから……」
「離れたら、次の足場を出しにくい」
《肯定します》
《足場は王統管理者カコを基点として形成します》
《二人が近い位置を維持する必要があります》
『ならば手をつなげ、我が主』
「何でお前が妙に嬉しそうなんだよ」
『落下防止に必要なだけだ』
《合理的な提案です》
「コーデックスまで乗るな!」
カコが静かに右手を差し出した。
「ケイ」
「……分かった」
俺は右手で黒穿刃を握り直し、空いている左手でカコの右手を握った。
触れた手は少し冷たい。
平静に見えても、緊張していることが伝わってきた。
「怖いか?」
「少し」
「俺も少し怖い」
「『少し』は禁止」
「カコも言ったじゃないか」
カコが小さく笑った。
その表情につられるように、俺の肩からも少しだけ力が抜ける。
《第一足場を形成します》
カコのそばに浮かぶコーデックスから青白い文字が流れ出し、その身体の周囲を回り始めた。
淡い金色の光がカコの足元から浮かび上がり、青白い文字と重なっていく。
それに合わせて、銀白色の髪に残っていた金色の光も、先ほどよりわずかに強くなった。
直後、罠の床より少し高い位置に、二枚の板状結界が並んで現れる。
一枚は俺の前に、もう一枚はカコの前に浮かんでいた。
どちらも一人が両足を乗せられる程度の広さしかなく、足を大きく動かせるほどの余裕はない。
「本当に一歩分だな」
《広さよりも維持時間を優先しています》
「行ける?」
「行くしかないな」
俺はカコの手を握り直した。
「せーので行くぞ」
「うん」
「せーの!」
二人同時に足を踏み出し、俺は右側、カコは左側の金色の足場へ乗った。
足元の結界がわずかに沈む。
薄い金色の光が何度か揺れたものの、壊れることなく二人の身体を支えていた。
「乗れた」
「ああ。次だ」
《第二足場を形成します》
前方に、再び二枚の金色の足場が現れた。
俺たちはつないだ手で互いの動きを確かめながら、同時に二枚目へ乗り移る。
その直後、後ろに残っていた最初の足場が音もなく消えた。
「完全に戻れないな」
「戻らない」
カコは迷うことなく即答し、つないだ手へ少しだけ力を込めた。
俺もその手を握り返す。
金色の小さな足場が二枚ずつ前方へ現れ、俺たちが乗り移るたびに、後ろの足場が消えていく。
その下に広がっているのは、触れれば拘束され、封鎖区画へ分解転送される古代の拘束機構だ。
足場が消えるたびに金色の輪が床へ沈み、その下から罠の光が不規則に揺らめいていた。
《罠の残存範囲は七歩です》
「あと七歩か」
『たった七歩ではないか』
「足元が次々と消える七歩は長いんだよ!」
背後から大きな破砕音が響いた。
ドガンッ!
振り返らなくても、入口を塞いでいる扉が限界へ近づいていることは分かった。
《入口封鎖は、推定二十秒で破断します》
「急ごう」
「うん」
俺たちは次の足場へ乗り移り、さらにその先へと足を踏み出していった。
その瞬間だった。
《警告します》
《左側床面で、拘束機構の局所起動を確認しました》
「カコ、こっち!」
「え?」
カコの足の真下から、金色の輪が勢いよく立ち上がった。
結界の足場を挟んでいるにもかかわらず、何重もの輪がカコの脚を捕らえようと迫ってくる。
考えている時間はなかった。
俺はカコの右手を一度離し、そのまま左腕を腰へ回した。
強く引きすぎれば、二人とも足場から落ちる。
俺は身体を密着させるようにカコを引き寄せ、そのまま軽く抱き上げた。
「ケイ……!」
「俺の足場へ!」
「うん!」
二人分の体重が一枚の足場へかかり、金色の結界が大きく沈み込む。
表面へ細い亀裂のような光が走り、輪郭が激しく揺れ始めた。
《足場位置を補正します》
俺たちの動きに合わせ、次の二枚の足場が右側へずれて現れた。
俺はカコを抱えたまま、右前方に現れた足場へ飛び移る。
着地した足場も深く沈んだが、完全に崩れる前に、カコを隣の足場へそっと下ろした。
その直後、先ほどまでカコがいた場所を、何重もの金色の拘束輪が突き抜けた。
輪は何も捕らえられないまま収縮し、罠の床へ吸い込まれていく。
「危なかった……」
《接触していた場合、両脚を拘束したあと、全身拘束へ移行した可能性があります》
「やっぱりか、聞きたくなかった」
カコが右手を伸ばし、俺の左手をもう一度握った。
そのまま少し俯き、ぽつりと呟く。
「抱き上げられた」
「緊急だったんだよ」
「……うん」
カコはそう答えたまま、顔を上げようとしない。
金色の光がわずかに残る銀白色の髪の隙間から、赤くなった耳が見えていた。
「カコ、耳が赤くないか?」
「赤くない」
「いや、赤いだろ」
「気のせい」
そう言いながら、カコはつないでいる俺の手を強く握った。
『ほう』
ミメシスが妙に楽しそうな声を出す。
『我が主よ。今の抱き上げ方は見事であった』
「何を戦闘評価みたいに言ってるんだ!」
『危機を避けながら小娘まで赤くするとは、高度な技だ!』
「そんな技はない!」
《補足します》
「しなくていい!」
《カコの体温上昇を確認しました》
《心拍数も平常時より上昇しています》
《照れ反応と推定されます》
「コーデックス!」
《はい》
「言わないで」
《承知しました》
『すでにすべて言ったあとではないか!』
「ミメシスも黙って!」
『なぜ我まで!』
「うるさいから」
『我はいつもどおりだぞ。さては照れているな!』
「「二人とも黙れ!」」
俺とカコの声が、今度は完全に重なった。
一瞬だけ互いの顔を見たが、すぐに二人とも前へ向き直る。
「今は先に進むぞ!」
カコが耳を赤くしたまま、俺の手を握り直した。
「離さないで」
一瞬だけ言葉に詰まったが、俺は前を向き、できるだけ普段どおりに答えた。
「ああ。離さない」
次の二枚の足場が現れ、俺たちは横並びのまま一歩ずつ進んでいく。
また二枚、その先にもさらに二枚と、金色の足場が続けて浮かび上がった。
これは下層の設備が用意した足場ではない。
王統継承者として覚醒し始めたカコの権限と、コーデックスの補助によって、無理やり作り出している短時間だけの足場だ。
そのため、一歩進むたびに後ろの足場は消えていった。
それでも俺たちは、握り直した手を離さなかった。
《罠の残存範囲は二歩です》
「あと少しだ」
「うん」
カコの額には汗が浮かんでいた。
金色の足場も、最初より輪郭が不安定になっている。
その一方で、銀白色の髪を走る金色の光は、弱まるどころか少しずつ範囲を広げていた。
《カコの魂力出力が低下しています》
「カコ、無理するな」
「あと二歩」
「でも……」
その時、背後から甲高い破砕音が響いた。
ガシャアアン!
《入口封鎖の破断を確認しました》
「入ってきた!」
今度は、追手が立てる金属の脚音がはっきりと聞こえた。
すでに補助経路へ侵入している。
ここで振り返れば足が止まる。
足を止めれば、この金色の足場は維持できない。
《最終足場を形成します》
二枚の金色の足場が前方へ現れた。
だが、その輪郭は今までよりも激しく揺れ、表面の一部が明滅している。
「一気に行くぞ」
「うん」
「せーの!」
俺たちは同時に次の足場へ踏み出した。
その直後、後ろの足場が消え、カコの右足が触れた金色の結界が大きく沈み込んだ。
「っ……!」
結界の端が崩れ、カコの身体が大きく傾く。
「カコ!」
俺はつないだ手を強く引き、その勢いのままカコと一緒に罠の向こう側へ飛んだ。
次の瞬間、最後の足場が砕けるように消える。
俺たちは罠のない漆黒の床へ、転がり込むように着地した。
「っ……大丈夫か?」
「うん」
カコは息を切らしながら、空いている左手を床へついた。
額には汗が浮かんでいるが、怪我をした様子はない。
俺はまだ彼女の右手を握ったままだった。
安全を確認してから離そうとした時、カコが小さく呟いた。
「手、つないでたから」
「ん?」
「怖くても、渡れた」
俺は少しだけ言葉に詰まった。
「俺も助かったよ」
「ケイも?」
「ああ。一人だったら、足元ばかり気にして危なかったと思う」
カコは少し目を丸くしたあと、柔らかく笑った。
「じゃあ、一緒でよかった」
「ああ、そうだな」
本当にそう思った。
その間にも、罠の向こう側ではいくつもの赤い光が集まり始めていた。
改造生命体は拘束機構の手前で足を止め、金属化した右腕を床へ向けている。
《追跡個体が拘束機構を解析しています》
「この罠で止まってくれるか?」
《改造生命体と地上走行型端末は、すぐには通過できません》
《ただし、球体端末は床へ接触せずに移動できます》
通路の奥から、赤い単眼を持つ球体端末が浮かび上がった。
拘束機構の手前で止まることなく、そのまま罠の上へ進もうとしている。
《球体端末が接近しています》
『急いで進め、我が主』
「分かってる」
俺はカコの手を引いて立ち上がり、再び総合制御室へ続く補助経路の奥へ向かって走り始めた。




