第95話 ノクス・ニードルで追手を止めたら、逃げ込んだ補助経路にも罠がありました
カコは先生の手帳を鞄に仕舞い、右腿の黒いケースへ手を伸ばした。
六本並んだノクス・ニードルのうち、一本を右手で抜き取る。
その黒い切っ先を、前方から迫る球体端末へ向けた。
「一番前だけ止める」
《右前方の球体端末、下部回転軸付近へ投擲してください》
カコのそばに浮かぶコーデックスから青白い解析光が伸び、球体端末の下部へ小さな光点を浮かべた。
球体端末は浮かび、赤い単眼をこちらへ向けたまま高速で回転している。
その後ろからは小型警備機と浮遊端末が続き、改造生命体も金属化した右腕を持ち上げながら迫っていた。
カコは一度だけ息を吸うと、光点へ狙いを定めて黒い針を放った。
黒い針は回転する球体の下へ吸い込まれるように飛び、装甲の隙間へ深く突き刺さる。
針の根元から小さな金色の結界紋が広がり、細い光の線が球体端末の内部へ入り込んでいった。
高速で回転していた球体が大きく揺れる。
内部の駆動部へ送られていた命令が乱れたのか、回転速度が急激に低下し、前進する動きも目に見えて鈍くなった。
【下部駆動制御 _ _ 低下】
【命令伝達遅延 _ _ 確認】
「効いた!」
《右側壁面に王統管理者用補助経路を確認しました》
「今だ、そこへ入る!」
俺はカコの右手を取り、漆黒の壁へ向かって走り、迫る警備端末との距離を一気に広げる。
ただの壁にしか見えなかった場所へ近づくと、表面に細い金色の王統紋が浮かび上がった。
王統紋を囲むように漆黒の壁へ四角い輪郭が走り、そこに隠されていた扉の形が現れる。
【王統管理者用補助経路】
【使用権限 _ _ 制限中】
【随伴者 _ _ 一名】
【対王権用模倣武装 _ _ 一振】
【全書系列端末 _ _ 一冊】
【進入判定 _ _ 保留】
「今は保留してる場合じゃないだろ!」
《王統管理者保護規定へ接続します》
コーデックスがカコのそばから扉の前へ移動し、黒い表紙を大きく開いた。
そこから流れ出した青白い文字が、扉に浮かぶ金色の王統紋へ次々と吸い込まれていく。
《現在、王統管理者カコは複数の警備個体によって挟撃されています》
《王統管理者保護規定に基づき、緊急退避経路の開放を要求します》
【上部移動制限との競合 _ _ 発生】
【王統管理者用補助経路 _ _ 制限継続】
《本経路は総合制御室への自由移動ではありません》
《生命保護を目的とする緊急退避に使用します》
【命令競合 _ _ 継続】
【保護規定との照合 _ _ 実行中】
背後から硬い金属音が近づいてくる。
ノクス・ニードルを受けた球体端末も完全に止まったわけではない。
動きは大きく鈍っていたが、赤い単眼を俺たちへ向けたまま、ゆっくりと接近していた。
その左右から小型警備機が追い越そうとしている。
さらに改造生命体も金属化した腕を壁へ叩きつけ、その反動を利用して身体を前へ進めていた。
「コーデックス、急いでくれ!」
《処理中です》
「もっと早くできないのか!?」
《命令解釈を簡略化します》
『つまり、屁理屈を強めるのだな!』
《その表現は不正確です》
「言い争ってる場合じゃない!」
カコが俺の手を離し、漆黒の扉へ右手を当てた。
指先から淡い金色の光が広がり、扉に浮かぶ王統紋へ流れ込んでいく。
「開いて」
しかし、扉は動かなかった。
背後では球体端末の単眼から赤い光が伸び、俺たちの身体を順番になぞっている。
【攻撃対象 _ _ 再照合】
【王統管理者 _ _ 捕捉優先】
【随伴異界生命体 _ _ 排除優先】
カコが扉へ押し当てた右手に、さらに力を込めた。
流れ込む金色の光が強まり、淡い銀白色の髪へも、わずかに同じ色の光が走る。
「お願い。先生を助けに行かせて!」
金色の王統紋が、カコの声に応えるように強く輝いた。
【王統反応 _ _ 上昇】
【王統継承者保護規定 _ _ 優先】
【緊急退避経路 _ _ 限定開放】
【随伴者一名の通行 _ _ 許可】
【対王権用模倣武装 _ _ 監視対象として通行許可】
【全書系列端末 _ _ 限定許可】
『監視対象とは失礼な!』
「今は通れるだけありがたいと思え!」
漆黒の壁が左右へ開き、その奥に細い通路が現れた。
人が二人並んで歩ける程度の幅しかないが、総合制御室のある上方へ続いている。
「カコ、先に入れ!」
「うん!」
カコが補助経路へ飛び込み、コーデックスもそのすぐそばへ移動した。
俺は二人に続いて通路へ入る。
全員が内側へ入った直後、開いていた扉が低い音を立てながら閉じ始めた。
その隙間へ、改造生命体の金属腕が勢いよく伸びてくる。
黒い指が扉の縁をつかみ、閉じようとする二枚の扉を強引に押し広げた。
ギギギギッ。
金属同士が擦れ合う音が、狭い補助経路へ響き渡る。
「しつこい!」
《右手首内部に命令線を確認しました》
コーデックスの青白い光が、扉の隙間から伸びた金属腕を照らす。
黒い装甲に覆われた手首の内側へ、一点だけ強い光が浮かび上がった。
《関節部への精密攻撃を推奨します》
「ミメシス、黒穿刃!」
『承知した、我が主!』
手にしていた無銘刃が黒い靄に包まれた。
刀身が細く伸び、切っ先が装甲の継ぎ目を穿つための鋭い形へ変わっていく。
俺は扉へ近づくと、金属腕がこちらをつかむより早く、光点へ黒穿刃を突き入れた。
ガキンッ!
鋭い切っ先が手首の装甲の隙間へ入り込み、その奥を走っていた命令線を正確に貫く。
金属化した五本の指が激しく震えた。
改造生命体は扉の縁をつかみ続けようとしたが、指先まで命令が届かないのか、一本ずつ力を失っていく。
「離せ!」
俺は黒穿刃を横へひねり、内部の命令線を断ち切った。
金属腕が大きく跳ね、そのまま扉の外へ引き戻される。
直後、二枚の扉が勢いよく閉じた。
ガンッ!
重い衝撃音が狭い通路へ響き、外側から伸びていた赤い光も完全に遮断される。
【補助経路 _ _ 封鎖】
【外部警備個体 _ _ 遮断】
《一時的な隔離に成功しました》
「一時的ってことは、追ってくるのか?」
《旧王命令層が別経路を検索しています》
《長時間の停滞は推奨しません》
「つまり、急げってことだな」
『分かりやすくてよい』
その時、カコの右腿から小さな音が鳴った。
シュン。
黒いケースの前へ金色の光が集まり、その中から先ほど使用したノクス・ニードルが姿を現す。
球体端末へ刺さっていた黒い針が自動的に抜け、ここまで戻ってきたらしい。
ノクス・ニードルは金色の光に包まれたまま、空いていた収納部へ収まった。
《ノクス・ニードル一番の帰還を確認しました》
《再充填を開始します》
「戻ってきてよかった。一本なくしたと思った」
《ノクス・ニードルは自動帰還機能を備えています》
カコは、ケースへ戻った黒い針を手で触れて確かめた。
その間に、コーデックスも扉の前からカコのそばへ戻ってくる。
◇
補助経路の中は、外の回廊よりもはるかに狭かった。
漆黒の壁には細い金色の導線が走り、天井には青白い小さな照明が一定間隔で並んでいる。
外側の区画は崩落や亀裂だらけだったが、この通路には埃一つ落ちていない。
まるで数千年間も閉ざされていたのではなく、昨日まで誰かが使っていたかのように保たれていた。
「ここだけ妙にきれいだな」
《王統管理者用の緊急移動経路です》
《通常区画とは独立した維持系統を使用しています》
《緊急移動経路は、普段は閉ざされた空間だったために、保存状態が良いようです》
「それで数千年たっても、綺麗に保たれているのか」
《ですが、一部機能に限定されています》
背後から低い衝撃音が響いた。
ドン。
足元へわずかな振動が伝わり、天井の青白い照明が小さく揺らぐ。
少し間を置いて、もう一度、先ほどよりも重い音が響いた。
閉ざされた扉を、外側から何かが叩いている。
「追ってきてる」
「ああ。急いだ方がよさそうだな」
《肯定します》
『ならば走れ!』
「何があるか分からない通路で、全力疾走できるか!」
《ケイの判断を支持します》
『紙束は慎重すぎるのだ!』
《ミメシスが無警戒すぎるだけです》
「だから移動しながら喧嘩するな!」
速度を落としすぎないよう注意しながら、俺たちは通路の先へ進んだ。
この道が安全な緊急退避経路だという保証はない。
開放には保護規定を利用したが、旧王命令層が内部へ罠を仕掛けていないとも限らなかった。
しばらく進んだところで、俺は足を止めた。
「待て」
すぐ後ろを歩いていたカコも、その場で止まる。
「何かある?」
「床の光り方が変だ」
前方の漆黒の床を走る金色の導線が、一部分だけ不自然に揺らいでいた。
ほかの場所では一定の速さで光が流れているのに、その場所だけは逆方向へ流れたり、途中で消えたりしている。
コーデックスがカコのそばから前方へ浮かび、青白い解析光で床をゆっくりとなぞった。
《拘束機構を確認しました》
《表示偽装によって隠蔽されています》
「やっぱり罠か」
「踏んだらどうなる?」
《現状では正確な動作を特定できません》
《拘束、隔離区画への転送、経路封鎖など、複数の可能性があります》
「どれも試したくないな」
俺は腰袋を探り、村でもらった保存食の包みから、小さな木札を一枚外した。
干し肉の包みを留めるために使われていた、薄く軽い札だ。
『何をするつもりだ、我が主?』
「俺たちの代わりに、こいつへ踏んでもらう」
俺は木札を床へ滑らせるように投げた。
木札が金色の導線の揺らぐ場所へ入った瞬間、床からいくつもの金色の輪が立ち上がる。
輪は木札の周囲を幾重にも取り囲み、その動きを完全に封じた。
次の瞬間、木札の輪郭が細かな光へ分解され、そのまま漆黒の床へ吸い込まれていく。
あとには、欠片一つ残らなかった。
「今ので何をする罠か分かったか?」
《対象を拘束したあと、封鎖区画へ分解転送する機構と推定します》
「全部嫌な部分を組み合わせた罠だったな」
『見事な判断だ、我が主!』
「褒めるなら、罠を見つけたところから褒めろ」
カコが罠の作動した床へ目を凝らした。
「金色の線の流れが、罠の中だけ逆になってる」
《カコ、王統認証を低出力で展開してください》
「うん。分かった」
その場へ膝をついて、両手を足元の床へ置くと、指先から淡い金色の光が静かに広がっていく。
同時にコーデックスの青白い解析光が重なり、それまで見えなかった罠の輪郭が床一面へ浮かび上がった。
金色の輪が幾重にも重なり、通路の奥まで続いている。
その範囲は想像していたよりも広く、通路の端から端まで完全に塞いでいた。
「これ、横から避けられないか?」
《不可能です》
「これ全部、罠?」
《肯定します》
「飛び越えるにも広すぎるな」
背後で再び衝撃音が響いた。
今度は先ほどよりも大きく通路が揺れ、天井から細かな黒い欠片が落ちてくる。
《補助経路入口の封鎖強度が低下しています》
「時間もないか」
《一つ方法があります》
「聞かせてくれ」
《カコの王統結界を足場として、罠の上へ短時間だけ固定します》
カコが床へ手をついたまま、罠の上を見つめた。
「結界を、床みたいにするってこと?」
《肯定します》
《全書系列端末が形状維持を補助します》
「罠に触れない高さへ障壁を出して、その上を渡るのか」
《正確です》
「何枚出せる?」
《連続展開は負担が大きいため、必要最低限に制限します》
「二人分は?」
《横並びの小型足場を二枚ずつ形成する方法が最も安定します》
「分かった。やってみる」
カコは小さく息を吸い、床へ流していた金色の光をゆっくりと持ち上げた。
罠の上へ二つの小さな王統紋が浮かび、その輪郭に沿って、薄い金色の足場が形を取り始めた。




