第87話 下層へ行く前に、使いやすい剣を手に入れました
中層監視室へ戻ると、中央に浮かぶ透明な球体の向こう側に、中層管理人格の青白い人影が静かに浮かび上がった。
【王統管理者カコ _ _ 確認】
【下層拘束区画への限定進入権限 _ _ 確認】
【随伴者ケイ _ _ 確認】
【治療完了 _ _ 確認】
【同行 _ _ 許可】
「治療が終わったことまで、ちゃんと確認してたのか」
【必要事項】
「まあ、そうですよね」
【対王権用模倣武装アエテル・ミメシス】
【王統管理者の随伴物として一時保留】
『また随伴物扱いか!』
【全書系列端末アエテル・コーデックス】
【補助端末として同行 _ _ 許可】
《承認します》
これで下層へ進めると思ったが、中層管理人格はすぐに転送陣を展開しようとはしなかった。
青白い人影は無表情な顔をカコへ向けたまま動かず、その姿は何かを迷っているようにも見えた。
「……どうしたの? 何か気になることでもあるの?」
カコが不思議そうに尋ねると、中層管理人格は短く沈黙したあと、何かを決めたように静かに答えた。
【下層へ進入する前に、立ち寄るべき区画があります】
「立ち寄るべき区画?」
【中層補助装備室です】
「装備室ってことは、何か武器が置いてあるのか?」
【訓練用および随伴者支援用の補助装備があります】
中層管理人格が片手を上げると、青白い光が中層監視室の壁の一部へ向けられた。
何もない壁だと思っていた場所に細い光の線が走り、長方形を描きながら、隠されていた扉の輪郭を浮かび上がらせる。
《王統管理者教育課程において、随伴者へ補助装備を貸与するために使用されていた区画です》
《危険区画への進入演習に用いる装備も保管されています》
「でも、私の試験はもう終わったよ?」
【その認識で間違いありません】
「それなのに、どうして今そこへ行くの?」
カコに尋ねられた中層管理人格は、すぐには答えず、再び沈黙した。
単に機械の処理を待っているというより、カコへ何と伝えるべきか、言葉を選んでいるように感じられた。
【王統管理者カコ】
【あなたは、一か月に及ぶ教育課程を完了しました】
【結界操作、監視石制御、避難誘導、村落防衛判断】
【いずれの項目も、必要基準を満たしています】
「そっか……ちゃんと合格できたんだ」
【しかし、下層は中層とは環境が異なります】
【旧王命令層による干渉 _ _ 確認】
【通信状態 _ _ 不安定】
【複数警備機構 _ _ 残存】
【拘束区画 _ _ 封鎖状態】
【王統管理者および随伴者が損傷する危険があります】
中層管理人格の声は、いつもと変わらず淡々としていた。
それでもカコは先生の手帳を胸に抱きながら、ひと言も挟まず真剣に聞いている。
【本来、中層管理人格は試験合格者の進行を妨げません】
【進路の決定は、王統管理者本人の判断に委ねられます】
「じゃあ、ここに立ち寄るかどうかも、私が決めていいってこと?」
【これは命令ではありません】
青白い人影が、カコを正面から見つめた。
【案内です】
その言葉を聞いて、俺は思わず中層管理人格を見つめ直した。
命令ではなく案内だと、自分から区別するとは思っていなかった。
【私は、あなたを一か月にわたり教育しました】
【あなたは失敗を恐れながらも、必要な学習を継続しました】
【村を守るため、恐怖を抱きながらも必要な判断を下しました】
【随伴者ケイの損傷に対し、強い反応を示しました】
【先生が所持していた管理補助端末の信号を確認した際、即時救出の意思を示しました】
カコは何も答えず、胸に抱いた先生の手帳へぎゅっと力を込める。
【以上の記録から判断します】
【あなたは、下層へ進むでしょう】
【ならば、可能な範囲で備えるべきです】
「……もしかして、私たちのことを心配してくれてるの?」
カコが小さな声で尋ねると、中層管理人格はすぐには答えなかった。
ただ、青白い人影の輪郭だけが、ほんのわずかに揺れたように見える。
【中層管理人格に感情機能はありません】
「……そっか。そういうふうには作られてないんだね」
【ただ、それでも……】
光の人影がわずかな間を置いてから、静かに言葉を続けた。
【教育対象および随伴者が損耗する事態は、望ましくありません】
その言葉を聞いたカコが、驚いたように目を見開いた。
俺も思わず頬が緩みそうになったが、どうにかこらえる。
いかにも機械らしい回りくどい言い方だったが、今の言葉はきっと、俺たちを心配しているという意味なのだろう。
「ありがとう」
カコが素直に礼を言っても、中層管理人格はそれ以上何も答えなかった。
ただ、青白い線に囲まれていた扉が、その返事の代わりのように音もなく左右へ開いていった。
カコは抱えていた先生の手帳を大切そうにしまい、俺たちと一緒に扉の先へ進んだ。
中層補助装備室は、白灰色と銀灰色を基調とした比較的小さな部屋だった。
壁や床には青白い魂力光が走っているが、これまで通ってきた防衛区画のような重苦しい威圧感はない。
どちらかといえば、訓練施設に併設された準備室に近い場所なのだろう。
両側の壁には透明な保管棚と青白い表示板が並び、棚の中には数種類の補助装備が整然と収められていた。
飾り気のない一本の剣。
細く長い刺突用の剣。
重厚な槌。
拘束用と思われる金属の輪。
それに、用途の分からない細い針も並んでいる。
どれも王本人が使う武器というより、王統管理者を補助する者が危険区画へ入る際に使用する装備に見えた。
『ほう……』
背中のミメシスが、興味を隠そうともせず声を漏らした。
『随伴者用とはいえ、武装は武装か』
「お前、武器を見た瞬間に急に元気になったな」
『当然だ、我が主よ。これだけの武器が並んでいるのだぞ』
《正確な装備分類は、制圧具、補助武装、拘束補助具です》
『長い。すべて武器でよい』
《用途が異なります》
『刃があり、柄があり、振るえるならば武器だ』
「金属の輪には、刃も柄もないだろ」
『細かいことを気にするな!』
俺は仕方なくミメシスを背中から引き抜き、保管棚の前へ移動した。
ミメシスの声が楽しそうに弾み、黒い剣身へ浮かぶ青白い文字が強く輝き始める。
同時に黒い靄が剣身から伸び、細い糸のような形で、棚に収められた一本の剣へ向かっていった。
その剣には、派手な装飾が一切ない。
長すぎず短すぎないまっすぐな刃と、握りやすそうな柄だけで構成されていた。
見れば見るほど不要なものを削ぎ落とした形で、振る、斬るという基本だけを追求して作られた剣に見える。
「おい、勝手に何か始めるなよ」
『見るだけだ、我が主』
《模倣武装による短距離解析反応を確認》
「もう解析してるじゃないか。全然見るだけじゃないだろ」
『武器を見るとは、その形を知ることだ』
「それより、いつの間に触れなくても解析できるようになったんだ?」
『我は常に成長し、強くなり続けているからな!』
《過去の模倣情報蓄積により、短距離解析機能が拡張されたと推定します》
『聞いたか、我が主! 紙束も我の成長を認めているぞ!』
「分かったから、調子に乗るな」
これまで幾つかの武器を模倣してきたことで、ミメシス自身の模倣能力も成長しているらしい。
以前は、模倣する武器へ直接触れる必要があった。
しかし今では短い距離なら、黒い靄を伸ばすことで、離れた場所から武器の情報を読み取れるようになっていた。
ミメシスから伸びた黒い靄が棚の剣をなぞり、刃の厚みや重心の位置、柄の長さを次々と読み取っていく。
読み取られた情報が、黒い剣身へ浮かぶ古代文字のような紋様へ吸い込まれていった。
【武装情報 _ _ 解析】
【形状 _ _ 取得】
【内部構造 _ _ 取得】
【材質情報 _ _ 取得】
【付与性質 _ _ 該当なし】
【模倣条件 _ _ 達成】
次の瞬間、俺が握っていた黒剣の形が、影そのものが揺らぐように変化し始めた。
刃は無駄のない形へ細く整えられ、重心がわずかに手元へ寄っていく。
気づけば右手には、これまでとは少し形の違う黒い剣が握られていた。
見た目に派手さはないが、初めて握ったとは思えないほど自然に手になじんでいる。
『おおっ! これはすごいぞ、我が主!』
ミメシスが興奮を隠す気もない大きな声を上げた。
『余計な飾りがなく、全体にも無駄がない!』
『振るためにあり、斬るためにある。よいぞ、これは実によい!』
「そこまで気に入ったのか?」
『分からぬか、我が主。ならば自らの手に聞いてみろ』
俺はカコたちが離れていることを確かめ、何もない場所へ向けて剣を軽く振ってみた。
その瞬間、鋭く空気を切り裂く音が室内へ響いた。
振り終えたあとの手首にも余計な力が残らず、そのまますぐ次の動作へ移ることができる。
《模倣形態の安定を確認》
《形状記録に固有名称は存在しません》
《仮称を設定します》
《仮称 _ _ 無銘刃》
「無銘刃か……」
《性能を解析》
《特殊機能は存在しません》
《切断効率、操作追従性、耐久安定性に優れています》
《通常戦闘、連続戦闘、狭所での受け流しに適性があります》
「特別な能力はない代わりに、一番普通に扱いやすい剣ってことか」
《肯定します》
『名など必要ない』
『我が主が迷わず振れる刃こそ、最も強いのだ』
「お前にしては、珍しくまともなことを言うな」
『我は常にまともだ!』
《その主張には異議があります》
『紙束!』
俺は無銘刃の柄をもう一度握り直し、その感触を改めて確かめた。
武器そのものの重量は、今のミメシスならほとんど負担にならない。
それでも刃の重心が手元へ寄っているため、斬る、受け流す、敵の隙を作るといった基本動作を自然に行えそうだった。
《下層での通常戦闘には、この形態を推奨します》
「普段使うなら、この形が一番よさそうだな」
《肯定します》
特殊な力を持たない代わりに、どんな状況でも迷わず振ることのできる剣。
無銘刃は、これから向かう下層で、俺が最も頼ることになる形態なのかもしれなかった。




