第86話 怪我を治してもらったのに、カコはまだ怒っていました
医療維持区画は以前にも一度訪れた、見覚えのある場所だった。
白灰色と銀灰色を基調とした室内には青白い魂力の光が走り、透明な治療カプセルと何本もの細い機械腕が整然と並んでいる。
静かな駆動音だけが絶えず響く独特な空間には、何度来ても慣れそうになかった。
【医療維持区画へようこそ】
【随伴者ケイの損傷を確認】
カコは俺を治療カプセルの前まで連れていくと、逃げ出さないか確かめるようにじっとこちらを見ていた。
やがて低い作動音とともに透明な蓋が開き、中に設置された寝台が青白い光に照らされる。
「ケイ、入って」
「本当にこれに入らないと駄目か?」
「駄目。ちゃんと入って」
「……分かったよ。入ればいいんだろ」
『我が主よ、その程度で怯むな。堂々と入るがよい!』
「お前は自分が外にいるからって、ずいぶん気楽に言ってくれるな」
俺はミメシスをカコに預け、諦めて寝台へ横になると、透明な蓋がゆっくりと閉じていった。
狭い空間に閉じ込められたようで少し息苦しかったが、内部に青白い光が満ちると、肩に残っていた熱が徐々に引いていく。
【治療 _ _ 開始】
【肩部表層裂傷 _ _ 確認】
【全身筋疲労 _ _ 確認】
【複数箇所打撲 _ _ 確認】
【魔物由来汚染物質の付着 _ _ 確認】
「待て、最後の汚染物質って何だ?」
【傷口周辺に、低位魔物由来の体液が付着しています】
「うわ……それはちょっと嫌だな」
「だから、ちゃんと入って正解だったでしょ」
カコはカプセルの外から、まだ心配そうな表情で俺を見つめている。
「ケイ、まだ痛くない?」
「まだ痛いけど、さっきよりはずっと楽になってる」
「本当に? 我慢してない?」
「本当だって。今度はちゃんと正直に言ってるよ」
「……まだ、少しくらいは痛い?」
「今度はカコの方から『少し』って言ってるじゃないか」
「今は聞いてるだけ」
「分かったよ。まだ少し痛むけど、動かさなければ気にならないくらいだ」
「……うん。それなら、よかった」
ようやく少し安心したらしく、カコの表情からわずかに力が抜けた。
細い機械腕の一本が俺の肩へ伸び、エナさんが巻いてくれた包帯を傷へ触れないように外していく。
続いて別の機械腕が傷口の上まで伸び、それを包み込むように青白い光を照射した。
エナさんに薬草を当ててもらったときのようなしみる痛みはなく、むしろじんわりと温かくて眠くなってくるほどだった。
【痛覚緩和 _ _ 開始】
【創傷洗浄 _ _ 開始】
【組織修復 _ _ 促進】
【感染防止処置 _ _ 実行】
『便利そうだな! 我もついでに磨いてもらえぬか?』
【対王権用模倣武装の修復権限は制限されています】
『またそれか!』
「危険物扱いされてるんだから仕方ないだろ」
『我は村を守った功労者だぞ!』
《功労者であることと、危険物であることは両立します》
『紙束!』
コーデックスはミメシスの抗議を気にする様子もなく、治療カプセルのそばで静かに浮かんでいた。
《ケイの治療完了後、下層への転送準備に戻ります》
「治療が終わるまで、あとどれくらいかかるんだ?」
【治療処置 _ _ 短時間】
「だから、その短時間って具体的に何分なんだよ」
【短時間】
「古代文明って、妙なところだけ説明が雑だよな……」
俺のぼやきを聞いたカコが、カプセルの外でほんの少しだけ笑った。
その表情を見て、俺もようやく張り詰めていた気持ちを緩めることができた。
「カコ。村のみんなには、ちゃんと伝わってたぞ」
「……何が?」
「カコが自分の力で、みんなを守ったってことだ」
「……うん」
「ルカも言ってただろ。あれがカコの光だって分かったから、怖くても集会所まで走れたって」
「うん。ちゃんと聞いてた」
「そっか。……本当によかったな。カコの光(心)が、村のみんなに届いたんだ」
カコはすぐには答えず、少し考えるようにしてから小さくうなずいた。
「本当は、ずっと怖かったの。監視画面に村が映って、その周りを赤い点がたくさん動いてたから。私が判断を間違えたり、動くのが遅れたりしたら、誰かが怪我をするかもしれないって思った」
「カコの判断は的確だったと、村のみんなが話していたよ」
「うん、光を出したらみんながちゃんと避難してくれた。ケイもそれに合わせて動いてくれた」
そこまで話したカコは、自分の手元へ静かに視線を落とした。
「離れていても、私に村を守るためにできることがあったんだね」
「ああ。カコにできることは、ちゃんとあった。今日、それを自分の力でやりきったんだ」
カプセル越しに話しているせいで俺の声は少しくぐもっていたが、それでもカコにはきちんと届いたらしい。
カコは今度こそ自分自身へ言い聞かせるように、先ほどよりも強くうなずいた。
【治療完了】
やがて透明な蓋がゆっくりと開き、冷たい空気がカプセルの中へ流れ込んできた。
俺は身体の状態を確かめながら起き上がり、治療された肩を何度か回してみる。
さっきまで残っていた傷の痛みは完全に消え、腕を大きく動かしても違和感はほとんどなかった。
「すごいな。本当に治ってる」
「ちゃんと見せて。まだ痛むところはない?」
「ほら、もう大丈夫だって。動かしても全然痛くない」
俺が肩を見せると、カコはすぐに近づき、傷のあった場所を念入りに確認した。
血は完全に拭い取られ、赤く開いていた裂傷も、跡がほとんど分からないほど綺麗に塞がっている。
それを自分の目で確認して、カコはようやく心から安堵したように息を吐いた。
「よし。これなら、もう大丈夫そう」
「じゃあ、これでそろそろ許してもらえたか?」
「駄目。まだ怒ってる」
「ちゃんと治ったのに、まだ駄目なのか?」
「治ったからいいんじゃないの。怪我をしたのに、大丈夫だって誤魔化してたことに怒ってるの」
「……それを言われると、どうすれば許してもらえるのか分からないな」
「分からなくても、しばらく怒ってるから」
「……はい。分かりました」
『我が主よ、ならば次から怪我をせずに戦えば、すべて丸く収まるではないか!』
「それが簡単にできるなら、最初から苦労してないんだよ!」
《怪我を回避して戦闘を終えるという目標自体は、極めて妥当です》
「コーデックスまでカコの味方なのか……俺の味方はどこにいるんだ」
誰も味方をしてくれないことを嘆いていると、カコがそっと俺の袖をつかみ、まっすぐな目で見上げてきた。
「次は、本当に無理しないで」
「できるだけ気をつけるよ。俺だって、好きで怪我してるわけじゃないし」
「そうやって曖昧にするのも駄目」
「じゃあ、俺はどう答えればいいんだ?」
「これからも、ちゃんと戻ってきて」
さっきまでとは違う小さな声でそう言うと、カコは俺の袖を握る指へさらに力を込めた。
「通信を直して、先生を助けて、結界も直したら……最後には、ちゃんと私のところへ戻ってきて」
俺はその言葉を聞いて一度息を吸い、カコの目をまっすぐ見ながらゆっくりとうなずいた。
「ああ。何があっても、ちゃんと戻ってくる。約束するよ」
「絶対だからね。ちゃんと約束して」
カコは俺の袖から手を離すと、確かめるように小さな拳を差し出した。
俺も拳を作り、差し出された小さな拳へそっと合わせる。
「ああ。絶対に戻ってくる。約束だ」




