第85話 村から中層へ戻ったら、カコに医療カプセルへ連行されました
ラウルさんはしばらく何も言わずに考え込み、やがて短く息を吐いた。
「本来なら、村からも何人か戦える者を同行させたいところだが、今日の襲撃で損傷した場所もある。それから、村の守りをもう一度固め直さなければならない」
「分かっています。門や東側の塀も、もう一度きちんと確認してください」
「ああ。それに、監視石に異常が残っていないかも確かめておく必要がある」
「はい。その方がいいと思います」
「だから悪いが、俺たちは一緒には行けない。その代わり、村で用意できるものは、できるだけ持っていけ」
ラウルさんがそう告げると、その指示を受けた村人たちがすぐに動き始めた。
用意されたのは保存食、水袋、包帯、薬草、小さな油壺、火打ち石、それに携帯用の縄だった。
必要な物が一通り揃えられたところで、最後にオルドさんが古びた護符のような物を運んできた。
それは黒い石片で、表面には薄い金色の線が今もわずかに残っている。
「これは、何の欠片ですか?」
「昔から村で保管してきた、古い遺物の欠片です」
オルドさんが、その黒い石片を両手で大切そうに差し出した。
「意味も分からぬまま、長い間、村で保管してきました」
「しかし今日、カコ殿の光を見て思ったのです。これは、あなた方が持つべき物なのかもしれないと」
コーデックスが石片へ近づき、青白い解析光を当てて内部を読み取る。
《古代外縁端末の破片です》
《微弱な魂力蓄積反応を確認》
《通信補助用の素材として再利用できる可能性があります》
「下層との通信を安定させるのに使えるのか?」
《下層との通信中継設備を修復する際、予備導力片として使用できる可能性があります》
「役に立つなら、ありがたく使わせてもらいます」
俺が頭を下げると、オルドさんも静かにうなずいた。
「先生に会えたなら、伝えてください。村は今も、先生の無事を心から願っていると」
その言葉に、コーデックスの向こうからカコが優しく答える。
「絶対に伝えます」
◇
下層へ向かうための準備が整うと、集会所の外へ移動したコーデックスの下に、青白い転送円が広がった。
《中層へ帰還します》
「もう戻るのか?」
《カコとともに、下層移動の準備を進める必要があります》
そのとき、集会所の奥からルカがこちらへ向かって走ってきた。
「待って、カコ姉ちゃん!」
エナさんが止めようとしたが、ルカはそのままコーデックスの前まで駆け寄った。
コーデックスのページが淡く光り、少し遅れてカコの声が返ってくる。
「どうしたの、ルカ?」
「カコ姉ちゃん、村を守ってくれてありがとう」
短い沈黙のあと、カコはとても小さな声で尋ねた。
「怖くなかった?」
「怖かったけど、カコ姉ちゃんの光だってちゃんと分かったから走れた」
カコはその言葉を聞いても、すぐには返事をしなかった。
代わりにコーデックスのページへ浮かぶ金色の光が、彼女の心を表すようにほんの少しだけ揺れた。
「カコ姉ちゃん、また村に来てね」
「うん。先生を助けたら、また必ず会いに来る」
「絶対だからね。ちゃんと約束だよ」
「うん、約束する」
カコの返事を聞いたルカが、安心したように嬉しそうな笑顔を浮かべる。
そのやり取りを聞きながら、俺は胸の奥がゆっくりと温かくなるのを感じていた。
カコは今日、自分の力を使って村のみんなを守った。
そして今、その事実をカコ自身も、ようやく少しだけ受け入れられたはずだ。
《村側への説明および連絡任務を完了しました》
《中層へ帰還します》
「コーデックス、カコにすぐ戻るって伝えてくれ」
《現在も念話接続中ですので、その言葉はカコ本人にも届いています》
「そうだった」
「ケイ。ちゃんと待ってるから」
「ああ。村での用事が済んだら、すぐ戻る」
「戻ってきたら、そのまま医療カプセルに入ってもらうからね」
「……はい」
最後まで逃げ道を塞がれた俺の返事を聞くと、コーデックスは青白い光に包まれ、その場からふっと姿を消した。
コーデックスが消えたあとも、転送円は地面に残り、青白い光を静かに放ち続けていた。
俺はラウルさんたちに見送られながら、その転送円の中央へ立った。
この転送円を使えば、カコが待っている中層へそのまま戻ることができる。
ラウルさんが俺の傷のない左肩へ手を置き、真っすぐに目を合わせてきた。
「ケイ、お前たちは、また危険な場所へ行くんだな」
「はい。下層との通信を安定させ、先生を助けて、結界を直すために行きます」
ラウルさんはしばらく俺の顔を見つめたあと、わずかに表情を緩めた。
「一か月で、顔つきが変わったな」
「そうですか?」
「戦っているときの目つきが変わった。以前のお前は、ただ必死に剣を振っているだけだった」
「今も同じような感じです」
「だが今日は、周りが見えていた」
ラウルさんはそう言いながら、俺たちが守り切った村の門へ視線を向ける。
「今日、村が守られたのは、カコ殿の光とお前の働きがあったからだ」
「俺だけじゃありません」
「ああ。全員で守ったな」
ラウルさんは静かにうなずき、俺の肩から手を離した。
「なら、次も全員で守ってこい」
「はい!」
足元の転送光が次第に強くなり、集会所の方ではルカたちが大きく手を振っている。
エナさんもオルドさんも、ほかの村人たちも、俺が中層へ戻るのを見送ってくれていた。
俺もみんなへ向けて軽く手を上げる。
「行ってきます!」
次の瞬間、足元から立ち上ったまばゆい光が、俺の視界を完全に包み込んだ。
◇
中層へ戻ると、転送円のすぐ前にはカコが待ち構えるように立っていた。
その横では先に戻っていたコーデックスが静かに浮かび、俺が現れたことを確認している。
カコは俺の姿を見ると、すぐに一歩近づいてきた。
「ケイ、怪我は大丈夫なの?」
「ただいま、カコ」
「おかえり。肩の傷、見せて」
「戻って早々、それかよ」
「早く見せて」
「……はい」
俺は逃げられないと悟って観念し、傷を見せるために外套を少しだけずらした。
エナさんが巻いてくれた包帯に残る血の跡を見るなり、カコの眉がぎゅっと寄る。
「血は少ししか出てないって言ってたのに、全然少しじゃない」
「もう血も止まってるし、これくらいなら大した怪我じゃないだろ」
「大したことある。少しじゃない」
「……エナさんにも、同じことを言われた」
「じゃあ私からも言う。これは少しじゃないからね」
「……はい」
『小娘よ、我が主は村を守るためによく戦ったのだぞ!』
「だからって、こんな怪我をしていい理由にはならない」
『む……それは、そうかもしれぬが』
「それに、ミメシスも悪い」
『待て、なぜ我まで責められるのだ!?』
「ケイが無理しようとしたら、ちゃんと止めてって言ったよね」
『我は剣だぞ!? 剣がどうやって我が主を止められると言うのだ!』
「それでも止めて。無理しそうになったら、ちゃんと言って」
『むむ……ずいぶん難しい役目を押しつけるな』
難しい役目を押しつけられたミメシスが、本気で困ったように黙り込んだ。
カコは俺の肩に巻かれた包帯へそっと指先を触れ、傷を刺激しないように状態を確かめる。
「まだ、肩は痛むの?」
「少しだけな。動かせないほどじゃない」
「また『少し』って言った」
「便利な言葉なんだから仕方ないだろ」
「じゃあ、しばらく『少し』って言うのは禁止ね」
「えっ、それはさすがに困るんだけど」
「うん。いっぱい困って」
カコは明らかに怒っていたが、その表情には、隠しきれない不安も浮かんでいた。
よく見ると、泣きそうになるのを必死にこらえているようにも見える。
「ちゃんと戻ってくるって約束しただろ。こうして戻ってきたんだから、そんな顔するなよ」
「うん。でも、怪我して戻ってきた」
「村も守れたし、カコも試験に合格できた。結果的には全部うまくいったんだから、大丈夫だ」
「大丈夫かどうかは、医療カプセルでちゃんと調べる」
そう言ったカコは俺の左手をつかみ、そのまま離そうとしなかった。
「今から医療カプセルに行く」
「下層へ行く準備はどうするんだ?」
「その前に、まずケイの怪我をちゃんと治す」
「先生のこともあるし、できるだけ急いだ方がいいんじゃないか?」
「その途中でケイが倒れたら、もっと困るでしょ」
「これくらいの怪我で倒れたりしないから、大丈夫だって」
「そうやって自分の怪我を軽く見るのも禁止」
「……はい」
反論する隙も与えず、カコは俺の手を引いて医療区画へ向かって歩き始めた。
小さな手なのに、その握り方からは絶対に逃がさないという強い意思が伝わってくる。
「ちゃんと歩けるから、そこまで引っ張らなくても大丈夫だ」
「途中で逃げるかもしれないから信用しない」
「俺、そこまで信用ないのか?」
「怪我のことに関しては、ない」
『我が主よ、ここは素直に観念した方がよいぞ』
「お前までカコの味方になるのかよ」
『小娘の目が怖いのだ』
「……それには同感だ」
「二人とも、ちゃんと聞こえてるからね」
『すまぬ』
「すみませんでした」




