第8話 黒い剣に触れたら、拒否権なしで主従接続が始まりました
居間をゆっくり歩いているうちに、俺の視線は自然と暖炉の上の壁へ向かった。
そこには、初日から気になっていた黒い剣が掛けられている。
最初の夜、鞘の中で何かが動いたような、カチリという音を聞いた気がした。
だが、あれ以来は何も起きていない。
「そういえば、この黒い剣って先生の物じゃないのか?」
「違うと思う」
「違うと思うって、ずっと先生が持ってたんじゃないのか?」
「使ってるところを一度も見たことないから」
「じゃあ、どうしてこの家にあるんだ?」
「拾ったって言ってたよ」
「……拾った?」
「うん」
「こんな怪しい剣を、どこで拾うんだよ」
「先生は、話したくない物を全部『拾った』って言う」
「便利すぎる言葉だな、それ」
「前に持ってきた箱も、拾ったって言ってた」
「普通の箱だったのか?」
「開けたら光った」
「絶対普通じゃないだろ!」
「触ろうとしたら怒られた」
「それは怒られると思う」
近くで見ると、黒い剣は遠目に眺めていたときとは少し印象が違った。
派手ではないが、決して粗末な造りでもない。
鞘には傷一つなく、柄にも銀色の細かな文字がびっしりと刻まれている。
その文字には、どこか見覚えがあった。
迷宮でオーガに襲われたとき、足元へ突然現れた謎の魔法陣とよく似ている。
「カコは、この剣に触ったことはあるのか?」
「掃除する時に少しだけ」
「抜いたことは?」
「ないよ」
「抜けなかったのか?」
「先生に、勝手に握るなって言われてたから」
「危険な剣なのか?」
「分からない」
カコは少し考えたあと、何かを思い出したように顔を上げた。
「でも先生が、いつか必要な人が来るかもしれないって言ってた」
「必要な人?」
「その人が剣を手に取ったら、止めなくていいって」
カコは、俺の顔を見た。
「もしかしたら、ケイかもしれない」
「どうしてそうなるんだ?」
「ここに来た人は、ケイが初めてだから」
「それだけの理由で、俺が選ばれた人って決めるのは早すぎるだろ」
「でも、他にいないよ」
「……それはそうなんだけどな」
俺は黒い剣へ視線を向けた。
正直なところ、初めて見たときから、その妙な存在感が気になっていた。
だが、自分が選ばれた人間だと考えるのは、あまりにも都合がよすぎる。
「触ってもいいよ」
カコが、静かに口を開いた。
「本当にいいのか? 先生が大切にしてた物じゃないのか?」
「先生が、必要な人なら止めなくていいって言ったから」
「でも、俺がその必要な人じゃなかったら?」
「何も起きないと思う」
「そんな簡単なものなのか?」
「たぶん」
「……また『たぶん』なのか」
俺は暖炉へ近づき、黒い剣へゆっくりと手を伸ばした。
特別な覚悟があったわけでも、この剣を使ってみたいと思ったわけでもない。
どれくらいの重さなのか、柄に刻まれた文字がどのようなものなのかを確かめるつもりだった。
右腕にはまだ痛みが残っていたため、俺は左手で黒い剣を取った。
「思ったより……」
軽い、と言おうとした瞬間、手のひらへ強い衝撃が伝わった。
ドクン、と心臓の鼓動に似た音が響く。
「……何だ、今の?」
もう一度、ドクンと強い脈動が伝わった。
心臓の鼓動ではない。
剣の中にある何かが、確かに脈打っている。
「ケイ?」
「カコ、少し離れてくれ。剣の中で何か動いてる」
「どうしたの?」
「分からない。でも、手を離そうとしても離れないんだ!」
指が動かず、黒い柄が手のひらへ吸いついたような感覚があった。
次の瞬間、鞘に刻まれていた銀色の文字が青白く変わり、一文字ずつ光り始めた。
「光ってる」
「下がれ、カコ! 何が起きるか分からない!」
「でも……」
「大丈夫だから、今は少し離れてくれ!」
カコが後ろへ下がった直後、黒い剣から青白い光が噴き出した。
「うわっ!」
「きゃっ!」
家の中に突風が吹き荒れ、机の上にあった器が転がった。
本棚の本が一斉に開き、紙が激しい勢いでめくれていく。
さらに暖炉の灰まで舞い上がり、俺の視界を塞いだ。
「何なんだよ、この剣! 触っただけだろ!」
左手から流れ込んだ熱が、腕を伝って肩から胸の奥へ広がっていく。
次の瞬間、見覚えのない光景が頭の中へ一気に浮かび上がった。
炎に包まれた巨大都市が崩れ落ち、その向こうでは黒い塔が空を覆っている。
大地には、剣や槍、斧をはじめ、見たこともない武器が数え切れないほど突き立っていた。
それらの武器が次々と砕け、その破片すべてが一本の黒い剣へ吸い込まれていく。
「ぐっ……頭が……!」
頭が割れそうなほど痛み、膝から力が抜けて片膝をついた。
それでも左手は、黒い柄から離れない。
そのとき、頭の奥に機械的な声が響いた。
【生体情報 _ _ 取得】
【血統情報 _ _ 不一致】
【王権資格 _ _ 該当なし】
【管理権限 _ _ 該当なし】
「……何も持ってないって、わざわざ順番に言わなくてもいいだろ!」
「ケイ?」
「また頭の中に、変な声が聞こえてる!」
【戦闘記録 _ _ 消失】
【重度損傷】
【武装喪失】
【戦闘能力 _ _ 基準値未満】
「悪かったな! こっちだって好きでオーガに負けたわけじゃない!」
【生存意志 _ _ 基準値を超過】
黒い剣の鼓動が、さらに強くなった。
【適合条件 _ _ 一致】
【主従接続 _ _ 開始】
「待て! 今、ものすごく大事なことを勝手に決めなかったか!?」
俺は、思わず声を上げた。
「主従って言ったよな? ちゃんと俺の意思も確認してくれ!」
【拒否権を検索】
【該当機能 _ _ 存在せず】
「そこは最初から作っておけよ! どう考えても必要な機能だろ!」
黒い剣が、俺の意思とは関係なく鞘から抜け始めた。
俺は柄を握っているだけなのに、鞘だけが下へ滑り落ちていく。
ゆっくりと姿を現した刀身は、鞘と同じ漆黒だった。
窓から光が差し込んでいるにもかかわらず、黒い刃はほとんど光を反射しない。
刀身の中央に刻まれた文字だけが、青白く輝いていた。
剣が完全に鞘から抜け、鞘が床に落ちる直前、家全体を揺らすほどの怒鳴り声が響いた。
ゆっくりと姿を現した刀身は、鞘と同じ漆黒だった。
窓から光が差し込んでいるにもかかわらず、黒い刃はほとんど光を反射しない。
刀身の中央に刻まれた文字だけが、青白く輝いていた。
剣が完全に鞘から抜け、落ちた鞘が床へ届く直前、家中に怒鳴り声が響き渡った。
『遅ぇぇぇぇぇっ!』
「うわああああっ!? いったい何だ!?」
あまりの大声に、俺は思わず黒い剣を投げそうになった。
窓が震え、棚に並んだ器が一斉に音を立てる。
さらに、外にいた鳥たちまで驚いて飛び立った。
『遅い! 遅い遅い遅い! 遅すぎるぞ!』
「剣が……喋ってる」
カコが目を見開き、俺も黒い剣を握ったまま固まっていた。
だが、驚いている暇はほとんどない。
黒い剣は、なおも喋り続けた。
『どれだけ待たせたと思っている!』
『何十年か!? 何百年か!? それとも何千年か!?』
「俺に怒るな! 俺はさっき初めてお前に触ったんだぞ!」
『もっと早く触れ!』
「無茶を言うな! 昨日まで俺は寝台からまともに動けなかったんだよ!」
『何日も前から、この家にいただろうが!』
「俺がここへ来た時から気づいてたのか!?」
『当然だ! 貴様が運び込まれた時から、ずっと気づいていた!』
「だったら自分から話しかけろよ!」
『できるならやっている!』
「じゃあ、それを俺のせいにして怒鳴るな!」
『怒ってなどいない!』
「最初の一言から完全に怒ってただろ!」
黒い剣が、俺の手の中で激しく震え始めた。
『我は長い眠りから目覚め、感情が高ぶっているだけだ!』
「それを普通は怒ってるって言うんだよ!」
『黙れ、貧弱な我が主よ!』
「今、何て言った?」
『貧弱と言った』
「その後だ!」
『我が主と言った』
俺とカコは黒い剣を見つめたまま、一瞬だけ沈黙した。
「……誰が主なんだ?」
『貴様だ』
「俺が?」
『他に誰がいる! この家に男は貴様しかいないだろう!』
「男なら誰でもいいみたいな言い方をするな!」
『そんなわけがあるか! 貴様が適合条件を満たしたからだ!』
「さっき戦闘能力は基準値未満って、はっきり言われたんだけど!」
『弱くとも、我が主にはなれる!』
「弱いって言い切るな!」
『事実から目を背けるな!』
「目覚めた直後から、主の心を折りにくる剣があるか!」
頭が痛いのは、さっき見た映像のせいではない。
この剣が、うるさすぎるからだ。




